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2013年05月17日

23年ぶりの小橋建太インタビュー

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 昨日16日の夜はニコニコプロレスチャンネルで引退5日後の小橋建太インタビューのMCを担当した。実は私が小橋に“正式な形で”インタビューするのは実に23年ぶり。1990年4月26日に三沢タイガーとのコンビでアジア・タッグを初戴冠した小橋を新装なった東京体育館に連れ出してベルトを肩に撮影&インタビューしたのが紙媒体では最初で最後のインタビュー記事である。

 なぜ取材日を憶えているかというと、取材を終えてゴング編集部に帰って作業をしていたら、午後9時過ぎに馬場さんから「もう知っていると思うけど、天龍がメガネスーパーに行くことになったから。天龍とは今日を含め、何回か話し合ったけれども、すべてきれいな話ができたと思うし、将来は天龍のところとウチとで対抗戦が行われることもあり得る。円満退社という形だから、くれぐれも変な記事は書かんでくれよ」という電話がかかってきたからだ。

 私は84年5月のゴングの週刊化からずっと全日本プロレス担当をやっていたから、このSWS騒動の時には天龍とSWSを取材しつつも、全日本担当も続けたいと思っていた。ようやく同年代の三沢、川田や入門から知っている小橋、田上、菊地らが台頭してきた時期だけに「自分たちの時代が来た!」という感覚があったのだ。だが、大人の事情はそれを許してくれなかった。私は90年夏から編集長に就任する94年8月まで全日本の会場に行かなかった。その空白の4年の間に小橋は立派な四天王に成長していた。だから私が担当していた小橋建太は、何もなかった時代~アジア・タッグ王者になってようやくスタートラインに立った時代のわずかな期間だった。編集長になってからは後任の全日本担当の鈴木敦雄記者に任せていたから、私が出しゃばるのは無粋というもの。そんなこんなで…コメントを取ったり雑談はしていたものの、インタビューは23年もご無沙汰になっていたというわけだ。

 さて、番組は1時間の予定だったが、小橋の熱いトークで倍の2時間に! 番組終了後もコメントが書き込まれるパソコンの画面に釘付けになっていた。20歳の入門した頃も、一時代を築いて46歳になった今も、小橋は本当に変わらない。

 このインタビューはタイムシフト公開中なので、ぜひご覧ください。

投稿者 maikai : 19:05 | コメント (1)

2013年05月13日

『方舟新章』は四天王プロレスからの卒業

 昨日12日の午前11時前、後楽園ホールのチケット売り場を覗くと立見席以外のチケットが売り切れになっていた。昨日はノアの新たな出航を意味する『方舟新章』。前日には日本武道館で小橋健太引退試合があったため、客入りを心配する声もあったが、むしろ相乗効果で超満員。地方から小橋引退を観に来たファンの中には「ついでに翌日のノアも観てから帰ろう」と思った人もいたかもしれないし、以前はノアファンだったが今は観ていなくても小橋の引退試合を観て「久しぶりにノアを観てみよう」という人もいたかもしれない。小橋引退によってノア愛に再び火がついた人もいただろうし、もちろん純粋にノアを応援し続けているファンもいる。どうあれ会場に来てくれた超満員2200人のお客さんを魅了して、今度は知り合いを連れて再び足を運んでくれるようにすることが重要なのだ。

 後楽園ホールは試合前から出来上がっていた。大川リングアナの試合カード発表に合わせて選手がリングインして入場式に。館内は「新しいノアを観よう!」という期待感、盛り上がろうという空気が充満していた。まるで新団体の旗揚げ興行のような高揚感がそこにはあった。

 振り返ればノアは四天王プロレスの延長のような形で生まれた団体である。だから三沢光晴が亡くなり、小橋建太、田上明が第一線から退いてすでに世代交代していたものの、それでもファンはどこかで四天王プロレスの幻影を追っていただろうし、選手たちも四天王プロレスのプレッシャーを感じていたと思う。2010年9月6日の日本武道館での時のGHC王者・杉浦貴の「三沢さんのいない武道館は物足りないですか? 小橋さん、秋山さんが欠場して出場していない武道館は物足りないですか? 僕はそういうものとも闘っています」という観客への問いかけは心の叫びだった。そうやって苦しみながらノアは今日までやってきた。そして小橋引退によって、みんなに踏ん切りがついた。昨日の後楽園では誰もが「あの頃は…」と振り返ることなく未来だけを見ていたのだ。

 昨日のメインのKENTAと杉浦のGHC戦は身も心も削るような激闘だった。四天王プロレスとはまた違った趣の闘いだった。それは彼らのノア新時代への決意の証。亡き三沢さん、引退した小橋から“諦めない心”を受け継ぎつつ、前に向かって、明るい未来に向かって力強く踏み出したノア。2012年5月12日は四天王プロレスからの卒業、旅立ちの日だったように思う。

投稿者 maikai : 15:18 | コメント (2)

2013年05月12日

そこには確かに青春が!小橋引退試合

 超満員17000人の日本武道館。そこは“あの頃”を思わせる空間だった。小橋建太の引退記念試合は、彼が歩んできた時代すべてを凝縮した大会になった。

「お楽しみはこれからだ!」の決めゼリフで開会宣言したのは、開国路線によって97年4月にFMWから全日本に参戦したハヤブサ。小橋とハヤブサは同年9月6日、この日本武道館で小橋&滋賀賢太郎vsハヤブサ&新崎人生のカードで初対決し、9月28日のFMW川崎球場に小橋が出陣して小橋&マウナケア・モスマン(太陽ケア)vsハヤブサ&人生が実現している。

 第1試合では渕正信がノアの新人・熊野準に胸を貸した。小橋の新弟子時代のコーチはハル薗田さんだったが、薗田さんが87年11月に南アフリカ航空墜落事故で亡くなった後は渕がコーチ役に。そして鶴田軍vs超世代軍の時代にはジャンボ鶴田の参謀役として超世代軍の壁となった。また2000年6月の全日本プロレス分裂騒動を思えば、渕が“緑のリング”に上がったことは歴史的なことでもあるのだ。

 第2試合ではピンクのタイツに変身した平柳玄藩が、あの永源遙を彷彿とさせるツバで館内を沸かせた。これは攻撃を加えた小峠篤司のファインプレーでもある。あの光景を見て、明るく楽しかった馬場・全日本を思い出して和んだファンも少なくなかったはずだ。

 第2試合終了後は引退セレモニー。ここでは三沢亡き後の新体制を巡るゴタゴタでノアを去った百田光雄、川田利明が駆けつけたのはグッとくるものがあった。「今はリングに上がっていないから…」と花道を歩かなかったのは川田らしいが、小橋、川田、渕のスリーショットの実現は13年には考えられない光景だった。百田来場も含めてすべては小橋の人徳と言うしかない。

 第3試合では昨年末でノアを去り、現在はバーニングとして全日本でアジア・タッグ王者になった鈴木鼓太郎&青木篤志が新旧バーニング対決として本田多聞&志賀賢太郎と激突。93年5月に全日本に入門してちょうど20年になる多聞と志賀はこの大会に声をかけてもらったことを小橋に感謝していたのが印象的だった。

 そして80年代終盤の全日本を牽引した天龍同盟が一夜限りの復活。天龍源一郎と小川良成がタッグを結成して森嶋猛&井上雅央と対戦。天龍と小川の純粋なタッグは、実は89年8月19日の後楽園ホールにおけるvs鶴田&小橋以来、今回が2回目だったのだ。しかも対戦相手がかつて天龍に「平成のジャンボになれ!」と言われた森嶋と、鶴田と同じ山梨出身で若手の頃には鶴田譲りの星マークのタイツを履いていた雅央。こうしたマッチメークは小橋ならではの粋なファンサービスと言えよう。

 セミ前には永田裕志とのコンビで小橋&多聞からGHCタッグを奪取した棚橋弘至、タッグ王座奪取だけでなく小橋のGHC王座に挑戦した永田、全日本のF4時代に小橋と6人タッグで対戦した小島聡の新日本プロレス勢が登場。セミでは丸藤正道&鈴木みのるの元GHCタッグ王者が2年前のAT以来の復活となる髙山善廣&大森隆男のノーフィアーと対戦。大森がノアのリングに上がるのも実は事件。黒髪を茶髪にし、豹柄のタイツを黒タイツに変えてノーフィアー・バージョンでリングに上がった大森には小橋に対する感謝の気持ちが見て取れた。

 そしてメイン。今、小橋については多くは語れない心境なのだが、447日ぶりの復帰戦でもある引退試合で小橋健太は小橋健太を見せてくれた。試合時間は39分59秒。ひょっとしたら時間いっぱいの60分闘い続けるのではという試合だった。組んだ秋山準、佐々木健介、武藤敬司も対戦した歴代付き人の金丸義信、KENTA、潮﨑豪、マイバッハ谷口も小橋との時間を大切にしていたように感じる。今の状況からしたら、本来は成り立たないはずの付き人カルテットがちゃんと機能していたのも、そこに大きな師匠の小橋がいたからにほかならない。

 最後は覚悟のムーンサルト・プレス。そして小橋は自分の足でリングを降りた。引退発表記者会見の時の「馬場さんと三沢さんには本当に感謝しています。引退の花道をしっかり歩いて帰る、しっかり引退する。それが恩返しだと思います」の誓いを守ったのである。

「朝早く起きて、道場で練習して、そして日本武道館に来て試合をした。いつもと変わらない1日でした」と語った小橋には引退試合という実感がないようでもあった。きっと447日ぶりの復帰戦でファンのみんなを満足させなければいけないという気持ちだけだったからだろう。

 私にとって小橋建太は入門からデビューの過程を取材した初めてのレスラーだった。正確には本人が言う「何もなかった」時代から超世代軍結成までが私の取材対象だった。その後、何年かは大人の事情で全日本に取材に行かなかったが、その間に彼は立派なメインイベンターになっていた。それでも“何もなかった時代の小橋”と変わらない態度でずっと接してくれた。昨日の大会を観て、改めて同じ時代を生きたんだなと感じた。小橋が言うようにそこには青春があったと実感した。それを気付かせてくれたことに本当に感謝したい。

「ありがとう、お疲れさまでした。そしてこれからもよろしく!」。

投稿者 maikai : 09:57 | コメント (1)