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2013年03月28日

ハンセンが語ってくれた!

Gスピ=ハンセンと.jpg

 実は全日本の3・17両国決戦の翌日から3年ぶりにマレーシアのランカウイ島に行っていたため、Gスピリッツ第27号を手にしたのは発売日の昨日。自分が書いた記事が載っている本のページをめくるのは何年経っても嬉しいし、新しい本の匂いもワクワクする。この感覚はいつまでも持ち続けたいものだ。

 さて今号の特集はスタン・ハンセン。ハンセンは、私にとっては苦手な外国人選手だった。高校生のファン時代には記念写真も撮ってもらったし、新日本時代は気軽に取材に協力してくれる選手だった。全日本に移籍した時には羽田空港来日から密着取材をするなど、良好な関係だった。それが悪化したのは全日本が日本人対決主流になってから。長州らのジャパン・プロレスが参戦してきてからハンセンは少しずつ不機嫌&無愛想になり、87年の天龍革命勃発によって鶴龍対決が中心になってからは常にピリピリしていて腫れ物に触るように接するしかなかった。「お前らは日本人だけ取材してろ!」と拒絶されたこともあったし、天龍と龍艦砲を結成していた時も、まずハンセンに敬意を示して挨拶してからでないと控室にも入れなかった。

 引退後はサムライTVの対談番組『Versus』で小橋建太や髙山善廣との顔合わせで進行役を務めさせてもらって、昔と違って随分と穏やかになったことを実感していたが、今回のインタビューでは1900年の祖父母のアメリカ移民の話から始まって、新人時代にベテランのバディ・コルトに教えてもらった大切なことや日本の各時代での自分の在り方、独自のプロレス論、サイコロジー…人間ジョン・スタンレー・ハンセン・ジュニアとして、プロレスラーのスタン・ハンセンとして丁寧に語ってくれた。テディ・ペルクさんが通訳してくれたが、私のつたない英語にも「ユーの英語はジャンボ(鶴田)並みだな」と笑いながら耳を傾けてくれた。取材は2時間を越えたが「年寄りの長話を聞いてくれて、こちらこそ楽しかったよ」と言ってくれた。長年接していて、初めて素顔に接した気がした。メチャクチャなようでいて、実は熟考の末に自分なりのワイルドスタイルを完成させていたハンセン。ぜひ、じっくりと読んでいただきたいと思う。

 掲載している写真は高校時代以来、三十何年かぶりに撮ってもらったツーショットです。

投稿者 maikai : 12:23 | コメント (2)

2013年03月18日

全日本プロレスの真剣勝負

 全日本プロレスの株を100%取得し、新オーナーとなった㈱スピードパートナー社の白石伸生社長の言動及びFacebook上での発言が大きな波紋を呼んでいる。新日本プロレスを演劇プロレスと斬って、ガチンコセメントプロレスを推進していくことを主張、それができないKENSOの解雇を示唆し、さらに総合格闘技進出、鎖国…などなど、今やその主張に対して選手、関係者、ファンは喧々囂々となっている。

 全日本の武藤会長、内田社長、選手たちは「リングの上は選手のもの、ファンのものであり、変えさせない!」と一斉に白石路線に真っ向からNOを突きつけ、全日本はオーナーvsその他の人間というおかしな図式になってしまった。そして昨日の両国大会の全試合終了後、白石オーナーが遂にリングに上がって挨拶した。私はGAORA中継の解説者としてリングサイドの放送席にいたが、観客の凄まじい怒号で白石オーナーが何を言っているかは聞き取れなかった。目の前で展開されたのは、オーナー批判を繰り返していたKENSOがリングに駆け上がって白石オーナーと対峙して「ガチンコプロレス、やってやろうじゃないか!」らしき言葉を叫び、何と白石オーナーがKENSOに張り手。さすがにKENSOが手を上げることはなかったが、佐藤光留が突進して、あわや白石オーナーはリングから転落するところだった。その後、花道に引き戻された光留は人目もはばからず、ずっと号泣していた。

 プロレスは誰のものか?「全日本プロレスのスポンサーはお客さん」というのは全日本の創始者ジャイアント馬場の言葉。オーナーがどんな理想を持っていようとも、お客さんが付いて来なければ、経営者として方針を変えるのは当然のことである。正直、今の全日本プロレスの状況を考えるとオーナーと五分に闘えるのは選手ではなくファンなのだ。その意味では、昨日のファンの反応を白石オーナーは真摯に受け止めてほしいと思う。

 ただ、譲渡した武藤会長、内田社長、そして対価としてのファイトマネーをもらう選手たちはファンに甘えてはいけない。経営サイドの人間は結果を出すこと(興行収益を上げること)で、今の路線が正しいということを白石オーナーに証明しなければならないし、選手たちは自分たちのプロレスで白石オーナーに「プロレスはこんなに素晴らしいものだったのか!」と言わせなければならない。ファンの気持ちを第一にしつつ、自分たち自身で闘わなければいけないのだ。昨日、最後に白石オーナーに突進したのは全日本所属ではなくフリーの光留。その行動の良し悪しは別問題として、光留は全日本で仕事ができなくなるリスクを越えて義憤に駆られてリングに飛び込んだ。その一本気な心はファンに伝わったはずだ。

 昨日、新三冠王者になった諏訪魔は「もう俺らレスラーは、リングの上で結果を出して認めさせるしかないよね。俺の目指すプロレス、強いプロレスでリング上を通して納得させる。総合どうこうはいらないし、そこはリング上でどういう風に納得させるか。そことの闘いだと思う」と言った。KENSOは白石オーナーに向かって「ガチンコプロレスをやってやる!」と言ったが、それはKENSOが考えるKENSO流のガチンコプロレス。「リングの上でお客さんの目を見て、自分のメッセージを伝える」プロレスだろう。

 プロレスは誰のもの? プロレスとは何? これは全日本プロレスの真剣勝負。闘わなければ答えは見えない。

投稿者 maikai : 13:28 | コメント (1)

2013年03月16日

Gスピリッツ第27号の表紙はコレだ!

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3月27日(水)発売のGスピリッツ27号の表紙と主な内容を公開します!

【特集】伝説が甦る!“不沈艦”スタン・ハンセン
<回想――28年の激闘録>
スタン・ハンセン
テリー・ファンク
長州力
天龍源一郎
渕正信

【特別企画】大木金タオルのアメリカ修行時代
NWA世界王者ルー・テーズにセメントを仕掛けた真意とは?

★独占キャッチ!『実録・国際プロレス』はマッハ隼人
素顔時代の写真も初公開

★ブラック・シャドー&ブルー・デモン“黒”と“青”の義兄弟物語(後編)
ナショナル・ウェルター級王座の謎

★ミル・マスカラスが「悪魔仮面」と呼ばれた時代
“金髪の妖鬼”ジョニー・バレンタインとの抗争

投稿者 maikai : 13:50 | コメント (1)

2013年03月04日

石森太二、今もなおキープ・オン・ジャーニー!

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 昨日は後楽園ホールの新日本プロレス『旗揚げ記念日』を途中で切り上げてニコニコプロレスチャンネルのスタジオへ。MC2回目となる生インタビューの今回のゲストは新GHCジュニア・ヘビー級王者の石森太二だった。

 石森と私にはヘンな縁があって、2004年9・9後楽園の闘龍門Xのファイナル興行が日本スポーツ出版社の人間としての公の場での最後の仕事だった。メインイベントのセーラーボーイズ(石森、佐藤秀&恵)とCTU(邪道&外道&竹村豪氏)のUWA世界6人タッグ戦の立会人を務めたのである。会社の経営権が変わるなかで私は9月16日付での退社を決めていた。だが経営陣交代は業界で話題になっていただけにその時点で退社することを伝えていた社外の人間はGAORA全日本プロレス中継のスタッフだけ。そして立会人の話をしてきたウルティモ・ドラゴンにも「実は…」と打ち明けると「最後の記念にいいじゃないですか。闘龍門Xも最後だし!」と笑っていた。

 そんな個人的な話はいいとして…昨日の生インタビューの大半は闘龍門と石森の黒歴史とも言えるアイドル・ユニットのセーラーボーイズ時代の話になってしまった。まず闘龍門については、そのシステム自体に個人的に興味があった。受講料はいくらなのか? 日本で半年間の基礎練習をしてからメキシコに送られるというカリキュラムの詳しい内容は? そしてウルティモはレスラーたちにどうやってキャラクター付けをしていたのか? などなど。

 石森の当初のキャラクターは19歳のスーパースター。そして、それが佐藤秀&恵とのアイドル・ユニットのセーラーボーイズにつながり、伝説の名曲(?)『キープ・オン・ジャーニー』が生まれる。ちなみにセーラーボーイズの計画を知らされたのは1カ月前。振付と歌詞は3日で覚えるドタバタだったという。ちなみに歌とダンスが一番うまかったのはケイだったという。それにしてもあのバラモン兄弟があのアイドルをやっていたというのは、いまさらながら驚きだ。

 石森のプロレス人生は山あり谷ありだった。04年7月に闘龍門はドラゴンゲートに変わり、メキシコに残された石森以下のメンバーは日本での活動の場を失った。石森はウルティモのブッキングで新日本に上がったが、それも05年春まで。以後、ドラゴンドア、全日本へのスポット参戦、ドラゴンドアからエルドラドへ…と流浪の旅を余儀なくされる。そうして大人の事情で振り回された石森は遂にウルティモとの決別を決意してノアへ。その後、ウルティモとは健介オフィスのリングで再会し、石森は涙した。ノア初参戦から7年、7度目の挑戦にしてGHCジュニア王座を奪取したが、その奪取した相手は闘龍門時代から節目で戦ってきた近藤修司。1・27大阪のタイトルマッチには2人だけにしかわからないドラマがあった。

 そして今、石森はノア・ジュニアを引っ張る立場になった。「今のノアも確かに大変ですけど…これまでいろいろなことに翻弄されて、いろいろなことがあったんで、今が一番幸せです。必ずノア・ジュニアを再建しますよ」と石森。闘龍門に始まり、様々な旅をしてきた石森だが、プロレスラーである限り旅路は続く。そう、ノアという定住地を見つけても…今もなお、高みを目指してキープ・オン・ジャーニーなのだ。

 このインタビューはタイムシフト公開中なので、ぜひニコニコプロレスチャンネルにアクセスしてみてください。写真は「キープ・オン・ジャーニー!」ポーズです。

投稿者 maikai : 11:59 | コメント (1)