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2012年10月25日

イヨマンテの夜

菊池さん追悼会.jpg

 昨夜は原宿で菊池孝さんの追悼会が催された。原宿駅に着くとグレート小鹿さん、大日本プロレスの登坂栄児社長、小沢正志(キラー・カーン)さん、東スポの川野辺修さんが。そこに北沢幹之さんが合流して一緒に会場へ。到着すると坂口征二さん、永源遙さん、高杉正彦さん…といったレスラー、多くのマスコミ関係者が集合していた。

 門馬忠雄さんの献杯でスタートし、小鹿さんに促されて三田佐代子さん&鈴木健txt.君が司会役となって、参列者それぞれが菊池さんの思い出を語り、プロ歌手でもある小沢さんがアカペラで菊池さんの十八番だった『イヨマンテの夜』を熱唱。ご長男の「父は賑やかなこととお酒が好きだったので…」という言葉通りに明るい会になった。みんなが菊池さんの懐で心地よく酔った一夜だと思う。

 振り返ると、菊池さんのお酒は楽しいお酒だった。そこに愚痴や人の悪口は一切なしで、美味しく食べ、明るく飲み、元気に歌い、そして締めにまた食べる。そして気が付けば朝というパターンだった。最近は酒席にご一緒する機会がなかっただけに、昨夜は久々に菊池さんと飲ませていただいた想いがした。今はただ、「ありがとうございました」の言葉しかありません。

投稿者 maikai : 12:06 | コメント (2)

2012年10月15日

TAKAの20年、YOSHIYAの15年

 昨日はK-DOJO後楽園のTAKAみちのくデビュー20周年記念大会へ。TAKAvs外道、メインのTAKA&FUNAKI&CIMAvs鈴木みのる&タイチ&NOSAWA論外という2つの記念試合のカードは、この20年間で培ったTAKAの人脈の広さを物語るもの。外道はユニバーサルでデビューした時の師匠だし、FUNAKIはみちのく、WWEでの盟友。CIMAとは05年10月にドラゴンゲートでパスポート&免許証&保険証をかけた貴重品コントラ貴重品なんていう試合をやった。そして相手は鈴木軍。ここにNOSAWA論外が入っていることがミソ。今も論外は新日本のリングに上がることが出来ない。TAKAはどうしても論外を入れての鈴木軍揃い踏みをやりたかったから「他で出来ないことはウチでやろう」と、このカードを組んだという。

 メインの6人タッグでは興味深い絡みが実現した。藤原組で擦れ違いの先輩後輩となる鈴木とFUNAKIの初対決があったし、鈴木vsCIMAの世代を越えた大人げない攻防も面白かった。こうした顔合わせが生まれるのもTAKAが幅広く活動してきたからである。CIMAはドラゴンゲートを休んで出場してくれたし、FUNAKIはこの日のためにサンアントニオから帰国した。タイチだって、この試合のためにメキシコから帰国した…ことになっているようだ。

 試合後、TAKAはボスの鈴木に一騎打ちを要求。すると鈴木は「いいよ。いつやる?」と即答して「今だよなあ?」とニヤリ。CIMAが試合開始のゴングを勝手に鳴らしてしまったから、TAKAは大慌て。11・13後楽園での一騎打ち決定という予告編で盛り上がって終わる算段だったのが、ここからは鈴木の独壇場だ。「撤収まで、まだ時間があるだろ?」と迫る鈴木にTAKAがすでに2試合やっていること、これから盛岡で試合があるから今日は出来ないことを説明すると「後楽園の客よりも盛岡の客の方が大事なのかよ!?」と鋭いツッコミ。諸々あってTAKAが「ここはお引き取りください!」と促しても鈴木は「嫌だよ。帰んないよ。絶対、帰んねぇ!」と困らせる。さあ、どうやってオチをつける? すると論外がタイミングよく「撤収!」と声をかけてまとめたあたりは、さすが鈴木軍の阿吽の呼吸だった。

 ということで、まったく華を持たせてもらえなかったTAKAだったが、これが鈴木軍流の祝福。TAKAは本当に仲間に恵まれている。

 さて、TAKAが20周年を迎えた一方ではキャリア15年のYOSHIYAが引退を迎えた。YOSHIYAと初めて喋ったのは、彼がIWAジャパンにいた時代。維新力の店でアルバイトをしていた時だった。その後、Iジャを辞めてフリーになり、K-DOJOへ。185センチの長身は大きな武器だったし、必殺ビッグブーツを放つタイミング、インパクトは抜群だった。もっと注目されていい選手だったと思うが、首に爆弾を抱え、右腕に力が入らない状態になってしまい、こういう状態で続けていたら、自分が憧れていたプロレスラーではなくなってしまうということで引退を決意したという。いわき平競輪駐車場デビューしたYOSHIYAは「小さな駐車場でデビューしたから後楽園ホールで引退するのが夢でした。それが出来て幸せに思います」と笑った。これからは客席からプロレスを見守っていきたいという。YOSHIYA選手、15年間、お疲れさまでした。これからもプロレス会場でお会いしましょう。

投稿者 maikai : 08:19 | コメント (0)

2012年10月09日

今があってこその過去・未来

 世間は6~8日の3連休だったが、私の場合は関係ない。思えば1980年3月にゴング編集部でバイトを始めた時から土日・祝日とは無縁の生活だ。今は週刊誌の締め切りから解放された生活になったが、それでも6日(土)=執筆&資料調べ、7日の日曜日は正午から全日本・後楽園ホール大会GAORA生中継の解説。その後、自宅に戻って原稿を1本仕上げてから全日本40周年記念パーティーへ。体育の日の昨日8日はノアの横浜文化体育館に行き、終了と同時に新日本の両国へ。どうにか休憩明けの真壁刀義&井上亘vs桜庭和志&柴田勝頼からの4試合を観ることが出来た。

 2日間の全日本&ノア&新日本の取材を通して改めて痛感したのは「今現在があるから過去があるし、未来がある」という、ごく当たり前のこと。全日本の10・7後楽園は40周年記念大会だったが、そのメインでGAORAの初代TVチャンピオンシップを争ったのはキャリア5年の真田聖也と3年にも満たない中之上靖文だった。ケニー・オメガの挑戦を退けた大和ヒロシも真田と同期のキャリア5年。全日本旗揚げの時には生まれてもいない若者だ。そして武藤・全日本になった時点でも、まだプロレスラーではなかったのだ。これが時の流れである。その一方では武藤敬司とスコット・ノートンがタッグを結成して、放送席には蝶野正洋が登場し、90年代後半に大ブームを巻き起こしたnWoが再現された。その相手は全日本黎明期に入門したキャリア38年半の渕正信、94年6月にジャイアント馬場にスカウトされてハワイから来日した太陽ケアの馬場・全日本コンビ。ほぼ旗揚げ期から現在までが同居するのがプロレスの奥深さだ。

 パーティーでは武藤が全日本会長として挨拶し、その武藤を新日本に入れた現・新日本相談役の坂口征二氏が乾杯の音頭、そして現在の全日本の象徴・三冠王者として中締めの挨拶をしたのが船木誠勝。古い全日本しか知らない人にしてみれば「一体、どうなってんだ!?」と声を上げたくなるような波乱万丈の歴史が全日本にあったのだ。

 そんな話をしたら武藤は苦笑していたが「正直、俺の膝も動かなくなってきたよ。でも、俺が動けなくなったから終わりじゃ意味がねぇんだよ。俺が動けなくなっても…俺の肉体が滅びても続いていく会社じゃなきゃダメなんだよ。今までのプロレス界は、実際には馬場さん一代とか、猪木さん一代みたいな感じだったけど、この今の全日本は武藤商店じゃなくて、ちゃんと人材を育成して未来につなげる。それが俺の仕事だと思うし、レスラーとしても、もちろん俺にしか出来ないものっていうのがあるからさ、その部分でやっていこうと思ってるよ」と熱い言葉。かつて武藤は「先輩方が道標を作ってくれなかったから、今の時代の人間が苦労している。だから俺は、俺自身が道標になれるぐらい頑張ろうかなって気持ちはあるよ」と言っていた。武藤は今現在の自分の置かれている立場で、ちゃんと過去・現在・未来をつなごうとしているのである。

 そして昨日のノア横浜と新日本・両国。ノアのGHC王者・森嶋猛と新日本のIWGP王者・棚橋弘至は同世代の王者であり、それに挑んだ秋山準と鈴木みのるも同世代。タイトルマッチ実現までの背景は違うが、大きなテーマは共通しているように感じた。それは過去が現在に挑戦するということではなく、秋山も、鈴木も、これまでの実績にふんぞり返ることなく今現在のプロレスを闘い、今現在の若いチャンピオンと対峙したということだ。

 秋山も鈴木もベルト奪取成らなかった。それでも2人に気落ちはなかった。それは過去に生きているのではなく、今を生きているからだ。失敗したなら、またチャレンジすればいいのである。秋山は言った。「あいつの下で3カウント聞いたってことは俺の負けだ。でも俺のチャレンジは絶対に終わらないからな!」と。

「未来はな、未来の人間にしか創れねぇんだ。過去はな、過去に生きた人間にしか創れねぇんだよ。俺たちには無理なんだよ…。だけどな、今はな、現代はな、こうやって命と体を張っている俺たちが創るんだよ。俺たちにしか創れねぇんだよ」。この鈴木の試合後の言葉は心にズシンと響いた。

 この言葉を吐いた鈴木、再チャレンジを口にした秋山のプライドは過去にあるのではなく、今現在のプロレスの第一線のリングに立っているということにあるのだ。それが戦前の鈴木の“あの時代に関わった奴ら”への怒りになったのだと思う。今現在のプロレスがなければ過去を語ることができないし、未来を夢見ることもできない。だから今現在が大切なのだ。

 私自身の仕事についても思う。いつしかキャリアを積んだことで、過去のことについての原稿のオファーが多い。それは、その時代を実際に知っている私にしか出来ない仕事だし、私の財産でもある。でも、私は過去に生きているわけではない。過去だけに生きるなら今のプロレスを観る必要はない。今現在のプロレス界で生きているから時間が許す限りは現場で試合を観て、現場のリアルな空気を吸い、お客さんの反応を感じ、それを自分の新しい財産として蓄え、いつ何時でもそれを出せる準備をしている。それこそ“あの時代”を知っている人間だからこそ語ることが出来る今現在もあるだろう。それが私の仕事である。この2日間、全日本&ノア&新日本を取材してよかった。特に「無理かなあ」と半分諦めかけていたノア→新日本のハシゴは強引にやってよかったとつくづく思っている。

投稿者 maikai : 12:11 | コメント (1)

2012年10月04日

全日本プロレス40年史

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 今日はGスピリッツではなく、10月2日に発売になったベースボール・マガジン社の『全日本プロレス40年史』について。こちらにも私は寄稿させていただいた。ひとつは王道の軌跡として80年~89年の80年代の1年ごとの解説。この王道の軌跡を担当したのは70年代が流智美氏、80年代が私、90年代は私が週刊ゴングの全日本担当記者だった時代に週プロの全日本担当記者になった市瀬英俊氏。市瀬クンと初めて会話したのは天龍革命スタート直前の87年6月ぐらいだったと記憶している。その後、90年代の超世代、四天王プロレスを週プロ誌面で盛り上げた人物である。そして2000年代は鈴木健.txt氏だ。

 そしてもうひとつは元横綱の輪島大士さんのインタビュー。輪島さんとお会いしたのは昨年11月1日にGスピリッツでの石川隆志さんとの対談取材以来のこと。64歳になった輪島さんだが、半年に一度は体をチェックしているとかで、元気いっぱいだったのが嬉しかった。

 思えば、私が週刊ゴングで純粋に全日本プロレスの担当記者をやっていたのは84年5月~90年6月の6年間に過ぎないが、94年8月からは編集長として、その後はテレビ解説者としてなど…様々な形でずっと関わりを持ち続けて今日まできた。もちろんファン時代の旗揚げからの記憶もある。長年、観て、取材していれば、人よりは多くの引き出しを持っているのは当たり前の話。そして、その引き出しを開けるのが私の仕事であり、役目だと思っている。ということで、こちらの40年史もぜひ読んでください!

投稿者 maikai : 14:23 | コメント (0)

2012年10月03日

武藤&カズが語る武藤・全日本10年の軌跡と未来

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(C)大田哲男

 Gスピリッツ第25号発売から1週間…もう『全日本創立40周年記念スペシャル』を読んでいただけたか な!? ちょっと間が空いたが、こぼれ話はまだまだ続きます! ということで、今日は2002年からの武藤・全日本。会長・武藤敬司×取締役カズ・ハヤシの対談だ。

 ふたりの初対面は98年5月、カズがWCWから『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアⅤ』に参戦した時だ。その後、99年にはWCWで同じ時間を過ごしている。今回の対談では全日本入団以前の武藤がアメリカでスキンヘッドになった真相と、初めてスキンヘッド武藤を見た時のカズの驚きなどの番外エピソードも。

「ネームバリューより職人」「企画ではなく技術」などなど、武藤の口からこの10年間で学んだことが随所に飛び出す。そしてカズが語るのは人材育成の難しさ。馬場・全日本の伝統を引き継ぎつつ、いかに新しい全日本を打ち出してきたか!? さらに2人の話は未来へ…。武藤・全日本10年の軌跡と未来を感じ取ってください!

投稿者 maikai : 14:23 | コメント (1)