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2012年07月30日

情熱バカという財産

 昨日の全日本・後楽園は様々なことが起こった。諏訪魔と河野真幸がリミッターをはずして大立ち回りをやってのけ、永田裕志へのリベンジマッチに挑んだ船木誠勝が覚悟のショートタイツで登場、GET WILDの世界タッグ王座に挑戦した真田聖也とジョー・ドーリングが仲間割れ…等々。そんな3時間半にも及ぶ興行を締めたのはジュニア・ハイパー・リーグ戦に優勝した大和ヒロシだ。

 正直、大和は他のジュニア選手に比べて技術、センスなどで秀でたものは特にないと思う。だが、人の心を動かす生真面目さ…“情熱バカ一代”と言われる生真面目さとひたむきさを持っている。これがプロレスラーとしての大和ヒロシのかけがえのない武器、財産だと思う。準決勝で金本浩二のシビアな攻撃に屈することなく勝利した瞬間の会場の沸きは、その時点でまるで優勝したかのような熱さ。師匠・近藤を撃破しての優勝は、この日の様々な出来事を呑み込むインパクトがあった。

「プロレスって最終的には人の心を動かす、揺さぶるものじゃなきゃ駄目だと思うよ」とは武藤敬司の言葉。その意味で大和ヒロシは器用ではないけれど、素晴らしいプロレスラーである。

投稿者 maikai : 11:57 | コメント (0)

2012年07月28日

天龍プロジェクトに見たREAL

 昨日の天龍プロジェクト後楽園大会はハプニング続きだった。まずは天龍源一郎が再入院のために来場出来なかったこと。以前、手術した箇所の傷口が開いてしまったとのことだが、24日の再手術では膿を排除して改めて縫合したという。8月上旬には退院できるとのことで一安心だ。感心させられるのは、何があってもへこたれない心の強さ。12・29後楽園での復帰戦を想定しての前向きな気持ちからの再入院&再手術だった。

 第2のハプニングはセミ前のタッグマッチで嵐がロープに飛んだ際に、サードロープが外れてしまったこと。下手をすれば、嵐は頭から場外に転落しかねない状況だったが、辛うじてセーフ。一見、何でもないロープワークでもそれだけの強い力がかかっているということを見せつけるようなハプニングだった。

 そして極めつけはメインの佐々木健介&宮原健斗vs新崎人生&宮本和志で、宮本が健介の拳で失神してしまったこと。宮本は全日本の分裂騒動後の元子・全日本でデビューした第1号選手。デビュー2戦目の6人タッグで天龍と対戦。デビュー1年半後には『王道伝授七番勝負』の名のもとに一騎打ちで胸を借り、06年1月のキングスロード旗揚げ戦でも胸を借りた。それだけに今回のメインの大抜擢に張り切っていて、健介に互角のチョップ合戦で食い下がったが…最後、健介にグーをお見舞いしたところ、お返しのグーをまともにアゴに食らって昏倒してしまったのだ。宮本は担架で控室に運ばれ、大事をとって救急車で病院へ。意識朦朧の宮本だったが、心配そうな健介の顔を認めると「すみませんでした…」と詫びて病院へ向かった。怪我をした方が謝る。これがプロレスラーの試合に対する、仕事に対する姿勢。それは何回も見てきた光景でもある。だから私はプロレスを、プロレスラーをリスペクトしている。

 本当にハプニング…というよりもアクシデント。先にグーで殴ったのは宮本だから、健介にお返しを食らっても仕方がないし、立場が逆になっていたことも考えられるのだ。健介は今大会のRを“REAL”とした。そして最後、プロレスは何が起こるかわからないというREALな場面が生まれてしまった。もちろん、起こってはいけないことだが、こういう事態は常に考えられるし、当事者のレスラーたちはそういう覚悟を持ってリングに上がっている。今はただ、宮本の回復を祈るばかりだ。

投稿者 maikai : 11:34 | コメント (0)

2012年07月23日

力皇の正装

 昨日のノア両国国技館大会はDDTやWNCのTAJIRI、TNAの協力があったとはいえ、新日本、全日本からの参加はなく、実質的に自力によるビッグマッチ。それだけに観客動員が注目され、選手や関係者も危機感を隠せなかったが、フタを開ければ8000人。満員マークは付かなかったものの、ここ何年間かの逆風状態を考えれば、先につながる明るい数字だ。また会場の雰囲気もよかった。

 全11試合という長丁場だったが、進行もスムーズで、選手それぞれの試合への真摯な取り組みが伝わる大会だった。試合のことをそれぞれ書いていたらキリがなくなるし、話が取っ散らかってしまうので、真のメインだった力皇猛の引退セレモニーにのみ触れようと思う。私が感動したのは、この最後の瞬間に力皇がスーツではなく、リングコスチュームで登場したことだ。バックステージで本人に聞いたら、最後まで迷ったが、リングコスチュームにしたとのこと。「身体がしぼんでしまって…」と照れ笑いを浮かべていたものの、実際には試合がないこのリングに上がるために一生懸命身体を作ってきたはず。こんがりと焼けた肌も見た目を考えてのことだったはずだ。

 最後の試合は10年5月30日、大阪府立体育会館第二競技場におけるモハメドヨネとディスオベイを結成してのvs吉江豊&相島勇人だった。ちなみに本来なら同年6月19日に新日本の大阪で真壁刀義が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するはずだったが、それを目前にしての欠場となっている。

力皇がリングコスチュームで登場したのは実に2年2ヵ月ぶり。実際には昨年末での現役引退なのだが、この最後の時に“プロレスラー、力皇猛の姿”を家族に、ファンに見せてくれたのである。リングコスチュームはレスラーの正装。力皇の最後の正装姿は最高にカッコよかった!

投稿者 maikai : 15:40 | コメント (1)

2012年07月18日

大先輩の送別会

 昨日はデラックス・プロレス編集長、週刊プロレス次長、週刊プロレス顧問を歴任してきた宍倉清則さんの送別会が催された。宍倉さんは私にとって大先輩。新日本プロレスのファンクラブ『炎のファイター』を創った高校2年生の時に初めて話をさせてもらったということは…1978年だから、34年のお付き合いということになる。当時、宍倉さんは大学生で、プロレス8ミリ上映会をやっていたザ・マニアックスのメンバー。すでに月刊&別冊ゴングのアルバイトスタッフをしていた。社会に出てしまえば大した差には感じなくなるが、高校生の頃の5歳年上は大きい。宍倉さんは大人であり、憧れの人でもあった。

 宍倉さんが担当していた連載企画『ファンクラブとの遭遇』に出演させていただいたのは別冊ゴング79年2月号のこと。そして80年春、大学生になった私はゴングのアルバイトになり、そんな私に編集作業の細かい基礎を親切に教えてくれたのが先輩の宍倉さんだった。

 例えば熱戦譜。試合の記録だが、これにも実は細かい決めごとが多数ある。それを教わりながら宍倉さんのアパートに泊まらせてもらって徹夜で仕上げたのも懐かしい思い出だ。

 81年に宍倉さんはベースボール・マガジン社に移籍してしまった。それ以前の私は写真のネガ整理がメインの仕事でほとんど雑用係、パシリだったから、実際は一緒に仕事をしたとは言えないかもしれない。しかし、年月が経ち、フリーになった私がベースボール・マガジン社の媒体で仕事をするようになった時には、宍倉さんは喜んでくれた。

 昨日、お会いしたのは5月4日の竹内宏介さん…ボスのお通夜以来。その時は、ほとんど話が出来なかったので、昨日は久しぶりに楽しい時間を過ごさせてもらった。

 これから先、宍倉さんがどういう選択をしていくかはわからないが、一旦は心と体を休めて、そして新たな一歩を踏み出していかれることを期待しています。ひとまず、お疲れさまでした。

投稿者 maikai : 15:35 | コメント (1)

2012年07月16日

三十七のデビュー

 篠瀬三十七がプロレスラーを目指していると聞いたのはいつ頃だっただろうか? 彼はプロレスファンで、娘さんを連れて全日本プロレスの会場にもよく来ていて、一緒にGAORA中継の実況をやっている鍵野威史アナウンサーと親しくなり、その関係で私も話をするようになった。

 私の正直な気持ちとしては…早稲田大学を卒業後、普通に就職して家庭も持ったにもかかわらず、35歳を過ぎてのプロレスへの挑戦は無謀に見えた。実際、SMASH1・19新宿FACEにおけるAKIRAの胸を借りてのプロテストは、ボディスラムの受け身もまともに取れず、ロープワークも出来ずという状態。気迫は伝わってきたものの「合格にするべきではない!」と思った。その時、36歳。これで夢が叶ってプロレスラーになったら話題性もあるが、それをしてしまったらおしまいである。プロレスラーは努力したからといって誰でもなれるような職業ではないのだ。果たしてTAJIRIは不合格にした。篠瀬には悪いが、そこにTAJIRIの良心を見た思いがした。

 でも篠瀬は諦めなかった。2・19TDCホールでのプロテストも不合格。私が「オッ!?」と思ったのは、WNC6・22新宿FACEでの児玉ユースケ相手の3回目のプロテストだった。身体が大きくなっていた。ロープにも走れる。基本的な投げ技の受け身は取れるし、ヘッドロック投げ、ヒップトスなどの基本技もきっちりやっていた。「努力すれば、その分、成長するんだなあ」と実感させられた。

 そして昨日の37歳にしてのデビュー戦だ。とにかく頑張ったと思う。新人だし、決して器用なタイプではないから、特にこれといったキャラクターがあるわけではないが、TAJIRIが言うように“佇まいがちゃんとプロレスラーだったこと”は特筆すべきこと。

 ただ、彼の本当のストーリーはこれからだ。現実は「37歳で夢だったプロレスラーになりました。めでたし、めでたし」とはいかない。これから先、プロレスで実生活を成り立たせて、初めて成功だと言えるし、観る者に夢を感じてもらえることができるのである。

「今日、死んでもいいぐらいの覚悟で」と口にしていた篠瀬。その意味はもちろんわかる。しかしプロレス界の一員として、夫として、父親として「何があってもリングを無事に生きて降りる覚悟」で頑張っていってほしいと思う。

 とりあえず篠瀬三十七選手、デビュー戦、おめでとうございました。これからのさらなる精進、活躍に期待しています。

投稿者 maikai : 10:41 | コメント (1)

2012年07月12日

馬場DVDムック第3巻の内容は…

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 明日13日は小学館のDVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第3巻の発売日。今回のDVDに収録されているのは79年2月10日、イリノイ州シカゴのインターナショナル・アンフィシアターにおけるアブドーラ・ザ・ブッチャー戦と、74年12月5日、両国・日大講堂におけるジャック・ブリスコ戦だ。

 ブッチャー戦は前年に馬場→キラー・トーア・カマタ→ビル・ロビンソン→ブッチャーと移動したPWFヘビー級王座の奪回戦。このシカゴの名門会場は馬場が初のアメリカ武者修行時代の62年6月11日に時のNWA世界ヘビー級王者バディ・ロジャースに挑戦した思い出深い場所。ブッチャーのスピーディーな動きにも注目してもらいたい試合だ。マガジン編では菊池孝さんが解説している。

 私の担当はブリスコ戦。これは74年12月2日、鹿児島で馬場がブリスコから初めてNWA世界王座を奪取した後の初防衛戦。馬場vsブリスコというと、どうしても鹿児島の試合の印象が強いが、この日大講堂の試合も馬場の名勝負のひとつ。馬場の多彩な技を観ることができし、きっと新鮮な発見があるはず。

 また『馬場さん回想録』として市瀬英俊君が三遊亭円楽師匠にインタビューしている。こちらも必読!

投稿者 maikai : 10:46 | コメント (1)

2012年07月11日

NOSAWA論外&紫雷イオ大麻事件の顛末について

NOSAWA論外が大麻所持で逮捕されたという一報を聞いたのは事件翌日の5月24日の午後。7・1両国大会の記者会見を取材するためにブシロード本社に行っていたところ、ある人間から未確認情報ながら知らされたのだ。その瞬間、「あのバカ…」と思った。これが素直な感情だった。「タクシー事件の禊が終わり、ようやくこれからという時に…」という気持ちだった。その時、一瞬でも彼を疑ったことは事実だし、彼に腹を立てたのも事実。それは野沢に謝りたい。

NOSAWA論外は、名前が売れていない時代の些細なことを憶えていてくれて、今も感謝してくれる義理堅い男、信用足る男だ。鈴木みのる、髙山善廣、菊タロー、TAKAみちのくたちが信頼、信用しているのも頷ける。そんな男を私は一瞬でも疑ったのである。

「あのバカ…」と一瞬、思ったものの、その後、事件の詳細を知るにつれて「ああ、これは誰かに嵌められたな」と思った。あまりにもおかしいのだ。個人的に大川昇カメラマンからいろいろ聞かせてもらったし、スターダムのロッシー小川社長とも話をした。本来ならイオをバッサリ斬り捨てても会社、他の選手、社員、その家族を優先しなければならない立場の小川さんが、釈放と同時にイオを全面バックアップしたのも凄いと思った。

 NOSAWAとイオを嵌めた人間が特定できたらしいという情報も耳にしていた。だから『速報!バトル☆メン』でイオのリング上での謝罪の映像後にコメントを求められた時には「いろいろ聞いていることもありますが、今の時点では話せません」というような歯切れの悪い言葉しか出なかったと記憶している。

 それにしてもNOSAWAを嵌めたのがSUGIだったとは…。SUGIは今年3月の全日本・両国にも上がっているし、知らない仲ではないだけにこれにも衝撃を受けた。2人の間に何があったかはわからない。でもSUGIは、人としてやってはいけないことをやってしまった。その罪は大きい。私はSUGIの共謀者だとされる林雅弘氏(本人は否定)は知らないが、今後、新事実なるものがまだまだ出てきそうな気がする。

 とりあえず、今回の件ではNOSAWA論外、紫雷イオは無実であり、被害者であったということ。そして2人とその家族、友人たちが不特定多数の人間に不当に傷つけられたという事実も認識しなければならない。彼らは憶測や無責任、悪意の言葉の暴力でボッコボコにされたのだ。それは明らかに批判や避難とは違うものだったと私は思っている。これからSUGIバッシングが起こることが予想される。それも当然のこと、当然の報いだと思う。でも、くれぐれも言葉の暴力はやめようよ。

投稿者 maikai : 15:19 | コメント (0)

2012年07月07日

ドラゴンゲートの後楽園物語

 昨日はドラゴンゲートの後楽園ホール大会。普通なら7・1両国の新日本&全日本40周年記念大会の後だけに観客動員に影響しそうなものだが、超満員札止めの1800人だ。つまり、ドラゴンゲートの会場にだけチケットを買って足を運ぶ固定ファンが多いということ。他団体やマット界の状況に影響されないというのは大きな強みである。

 そしてドラゴンゲートの凄いところは平均月1回の後楽園ホール用の流れを常に作って、1ヵ月先の大会にしっかりと興味をつなぐところだ。7月22日には神戸ワールドでビッグマッチを控えているが、昨日の大会にしてもそこへの途中経過にせず、ちゃんと後楽園物語を作っていた。まずはCIMAと問題龍のマスカラ・コントラ・パサポルテだ。これは前回の6・7後楽園で対戦を執拗に迫る問題龍に対して「ドリームゲート以外なら、お前の要求をすべて飲んでやるから」というCIMAの返答で実現したもの。海外で頻繁に試合をするCIMAがパサポルテ(パスポート)を、かわりに問題龍はマスクを賭けることになり、さらに問題龍は戸澤陽と組んでの2対1マッチを要求。戸澤は7・22神戸ワールドでCIMAのドリームゲート王座に挑戦することになっており、ここで神戸ワールドの前哨戦的な要素も加味されるという絶妙なマッチメークだった。

 メインは4軍団対抗の6人タッグ4WAYマッチ。前回の6・7後楽園で、帰ってきたベテラン軍のCIMA&望月成晃&ドン・フジイとの挑戦者決定戦を制したウィンドウズのスペル・シーサー&新井健一郎&K-nessの挑戦をW-1インターナショナルの土井成樹&吉野正人&PACが下してトライアングルゲート王座初防衛した後(ちょっと、ややこしい)、各ユニットが次々に挑戦の名乗りを挙げたことで実現したもの。これもちゃんとストーリーがあってのものだ。

 かくしてW-1インターナショナル=土井成樹&吉野正人&リコシェ、帰ってきたベテラン軍=望月成晃&ドン・フジイ&マグニチュード岸和田、暁~AKATSUKI~=鷹木信悟&YAMATO&富永千浩、ジミーズ=ジミー・ススム&堀口元気H.A.Gee.Mee!!&斎藤“ジミー”了の勝ち残り4WAY戦が実現。彼らの凄いところは、同時に4選手がリングで戦うという状況で試合をちゃんと成立させてしまうところ。笑える攻防あり、お約束あり、飛び技あり、合体技あり…グダグダになることなく、実に38分33秒の闘いをやってのけた。そして勝利したのは合計年齢125歳の帰ってきたベテラン軍だった。

 8月の後楽園ホールのスケジュールはサマー・タッグリーグ戦(6人タッグリーグ戦に変更)の開幕となる8月2日と22日の2回。9月23日には東京ビッグショーとして大田区総合体育館(旧・大田区体育館を改築)大会も決定している。

 8月2日はリーグ戦の開幕戦だが、それとは別に久々の土井吉コンビが7・22神戸ワールドのツインゲート統一タッグ戦の勝者チーム(ジミー・ススム&ジミー・カゲトラvs鷹木信悟&YAMATOの勝者チーム)に挑戦することが決定した。

 完成度が高いドラゴンゲートは、いつ観に行っても満足できるぞ!

投稿者 maikai : 10:58 | コメント (1)

2012年07月03日

新日本&全日本40周年大会が終わって

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 先週は様々な原稿の締め切りとテレビの仕事が重なり、土曜日は秋葉原の『大プロレス祭り』→ノア後楽園ホール、そして日曜日の7月1日は両国国技館で新日本&全日本40周年記念大会の解説を実に4時間半! リングサイドで喋りながら、今現在のプロレスを堪能させてもらった。

 その模様は7月5日(木)GAORA全日本中継スペシャルで22:00~25:30に3時間半のワイド版でお届けする。基本的に私と鍵野威史アナウンサーも全日本実況コンビだから、全日本に思い入れがある放送になっていると思うが、全日本視点の新日本というのも面白いはず。新日本のファンの人にもぜひ観ていただきたい。

 さて、大会全体の感想だが、一言で表現すると「40年でプロレスは大きく変わったんだなあと感じた」となる。それは観ている自分の年代、その時の社会状況などにもよると思う。私がゴングで仕事を始めたのは80年春だから、純粋にファンだった時代は小学生~高校生だった70年代。「プロレスこそ世界最強の格闘技である」「我こそは実力日本一」「ストロングスタイルこそプロレスの本道」と躍動する新日本のアントニオ猪木に胸を躍らせ、全日本を観る時は豪華な外国人選手を通してアメリカという国に憧れを抱いた。当時、アメリカはまだまだ遠い国だった。そしてプロレスには確かに他の格闘技にはないショー的な要素や華やかさがあったが、スポーツ・エンターテインメントという概念はなかった。

 今のプロレスはエンターテインメントとしてファンが認知しているし、ファンの楽しみ方も多種多様化しているから、選手のキャラクター、ファイト・スタイルも様々。時代に対応して変化してきたから、それはそれで正解だと思う。でも、個人的には秋山準vs太陽ケアの三冠戦や、諏訪魔の大暴れが私の好み。価値観がひとつではなく、それぞれ好みのプロレスを楽しめるのも今の時代なのだ。

 さて、掲載した写真は昨日のサムライTV『速報!バトル☆メン』。金沢勝彦クンとのW解説で両国を語り、さらにK-DOJO7・8千葉ポートアリーナ大会のパブリシティに火野裕士と関根龍一も加わっての大賑わいに。GKとは両国の記念パンフレットでも競筆している。週刊ゴングがなくなって5年以上経つが、こうしてGKと私が日本プロレス界の大きなイベントに関わっていることは、少しは師匠・竹内宏介さんの供養になっているのかなあ…。

投稿者 maikai : 12:18 | コメント (1)