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2012年05月24日

天龍源一郎の誠意

 昨日は後楽園ホールで天龍プロジェクトが昨年11月10日の『天龍源一郎 プロレス生活35周年記念興行』以来の大会を開催。2月23日と3月8日の2回にわたって腰の手術をした天龍は試合に出場しなかったものの、試合前と休憩時間にサイン会を行い、オープニングと全試合終了後にはリングに立って挨拶した。

 杖をつきながらリングサイドに向かい、階段を上がるのも、ロープをまたぐのも容易ではなかった。恐らく“天龍の今現在”を見たファンはショックだったと思う。それでも病院のベッドに伏す姿を目の当たりにしている人間にしてみれば、凄い回復ぶりなのだ。2本の杖を使っていたのが、リングに立ってからは杖を一切使わずに挨拶し、試合後の「エイエイオー!」もやったのである。

 天龍自身の本音としたら、完全に治ってから元気いっぱいの天龍を見せたかったと思う。でも、杖をつきながらでもリングに上がってファンに姿を見せたのは、会場に足を運んでくれた観客への感謝、自分を目当てに来てくれた人たちに少しでもサービスになればという主催者としての誠意だったのだろう。もし天龍が辛そうな顔をしてリングに上がっていたらファンも辛かっただろうが、天龍は笑顔で感謝を語った。この状態から12月29日の復帰戦を目指す。かつて天龍同盟は「一生懸命に頑張っていれば、いつか報われる時がくる!」を体現した。あれから約四半世紀…60歳を過ぎた天龍はなおも体を張って、我々にメッセージを送り続けている。

 さて、昨日の大会の注目はノアのマイバッハ谷口だった。天龍のマイバッハ評は厳しいものだった。

「あれじゃトップにはいけない」「あれがノアの悪役ですよ」「キカクの中での悪党という感じ。後楽園ホールの外の外までは届かない」などと、辛辣な言葉が並んだ。キカクは規格、企画の両方の言葉が当てはまるようだ。規格外じゃなければファンを振り向かせることはできない、企画の中のキャラクターと見られているうちはまだまだという意味に取れる。厳しいマイバッハに対する期待の裏返しなのは言うまでもない。天龍も天龍同盟を始めた頃は「維新軍の二番煎じ」「コップの中の嵐」と言われたが、マスコミ関係者、ファンを「そこまでやるのか!?」と驚かせるほどのファイトを連日やってのけたことで一大ムーブメントになったのだ。マイバッハに対する歯に衣着せぬ言葉もまた、天龍源一郎の誠意である。

投稿者 maikai : 11:57 | コメント (3)

2012年05月10日

マイバッハ谷口の本当の始まり

 昨日は後楽園ホールで森嶋猛vsマイバッハ谷口の注目のGHC戦。反則裁定、リングアウトなしのノールールマッチとなったが、何も規制がない自由な試合というのは難しい。たとえば反則は5秒以内という規制があるからこそ、レフェリーのブラインドを衝いたり、5カウント以内により大きなダメージを与えようとレスラーが知恵を絞らせるから面白いのだ。「何でもやっていいですよ」と言われたら、逆に何を観客に提供するか悩んでしまうのが本当のところだろう。

 ハッキリ言って新・暴走王となったマイバッハ谷口にとってはハードルの高い試合だった。実はこれまでの暴走はタイトルマッチまでの前振りで、本番ではオーソドックスな試合をするかもという予想もあった。実際、序盤は森嶋の巨体をレスリング仕込みの技術で寝かせてマウントを取ったりしたが、客席からは「悪いことをしろ!」の声。また、悪いことをやったところで規制がないから暴走したことにはならない。観客をハッとさせるには、観客の想像の上を行くことをしなければならないのである。

 こうした難しいシチュエーションの中で、マイバッハは精一杯やった。少なくとも谷口周平の過去からは脱却できたと思う。ベルトを獲れれば、とりあえず「結果良ければ、すべて良し!」になっていただろうが、そうはいかなかった。KENTAは「自分を貫き通して結果を出した者が正義」と言っていたが、昨日の時点でマイバッハは正義ではなかった。では、どうする!? 昨日の観客の反応を見る限り、ファンは反則をやるマイバッハを面白がっているが、これまで通りに暴走しているだけではイロモノで終わってしまう。“人のいい谷口周平”を卒業したマイバッハ谷口はこの先、どういうレスラー像を創っていくか。ここからが本当の始まりである。

投稿者 maikai : 13:15 | コメント (1)

2012年05月09日

遂に馬場さんがDVDに!

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 5月11日(金)に小学館のSJムックとしてDVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』が創刊される。これはDVD(動画)&ムック(テキスト)で馬場さんの在りし日の雄姿を完全再現するシリーズ企画。毎月第2金曜発売で、9月まで全5巻が発売される。史上初めての馬場さんのDVDコンテンツで、馬場元子夫人監修によって実現したものだ。

 表紙は私の子供の頃の漫画雑誌のようなレトロチックなもの。オールカラー20ページのムックは、馬場さんの足跡、必殺技館、DVDに収録されている試合の解説や登場するレスラーのプロフィール、馬場さん回想録として縁のある人たちへのインタビュー(創刊号はプロ野球・読売巨人軍で後輩だった王貞治)など盛り沢山。この企画の総合プロデューサーでもある菊地孝さん、そして私もライターとして参加している。

 創刊号のDVDに収められているのは75年7月25日に日大講堂で行われたジャイアント馬場vsフリッツ・フォン・エリックのテキサス・デスマッチ、82年4月20日、愛知県体育館で行われたジャイアント馬場&ジャンボ鶴田vsスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのインターナショナル・タッグ選手権の2試合。

 馬場vsエリックは37年前に全日本では初めて実現したデスマッチだ。反則、場外カウントはなしでKOかギブアップのみの決着。レフェリーはリングに上がらず、リングサイドに2人のジャッジ(ジョー樋口&ジェリー・マードック)が付くというルールだった。今現在とはまったく違うテイストのデスマッチをご賞味いただきたい。

 馬場&鶴田vsハンセン&ブロディは、前年12月に新日本から電撃移籍したハンセンとブロディが合体しての初タイトル戦。両軍譲らないギクシャクぶりが新鮮である。DVDコンテンツは2試合収録で約59分。定価は1680円で特大ポスター(ポーズ写真&16文キック)が付録になっている。

 なお、発売日の11日にはフジテレビ系列の『めざましテレビ』(午前5時25分~8時)でCMが3回流れる予定になっているとのことなので、こちらもお楽しみに!

投稿者 maikai : 12:00 | コメント (7)

2012年05月06日

ご報告

 すでに様々なメディアで報じられていますが、竹内宏介さんが5月3日午後8時24分、永眠されました。その日の私は、昼間は後楽園ホールでスターダムを取材、帰宅してからは原稿を書いていました。正確な時間は憶えていませんが、カメラマンの大川昇君から竹内さんが危篤状態にあることを知らされ、慌てて病院に向かいました。恐らく私が到着したのは8時30分~40分ぐらい。竹内さんのご家族、大川君夫妻、清水勉さん、吉川義治君、大日本印刷でずっと週刊ゴングを担当してくれていた須藤幹夫君ご家族に囲まれて安らかに逝かれたとのことでした。私、その後に駆けつけてきた金沢克彦君、田中幸彦君は残念ながら間に合いませんでした。

 その後、竹内さんのご自宅で奥様や家族の方たち、大川君、清水さん、金沢君、吉川君、田中君と葬儀の打合せへ。嘆き悲しんでいるよりも、いかにして竹内さんを送り出すことができるのか…通夜が翌4日、告別式が5日というスケジュールになったため、手分けして電話やメールで連絡したりと、みんなが竹内さんのことを想いながらひとつになっていました。皆さんがご存じのとおり、竹内さんが倒れて4ヵ月後の07年3月に週刊ゴングは休刊になってしまいました。その時点で、日本スポーツ出版社は事実上、機能しなくなり、社員、週刊ゴングの編集部員、カメラマン、フリーとして週刊ゴングに携わっていた人間は、それぞれに自分の道を模索しました。私はその2年前からフリーとして活動していたので仕事環境や生活が激変することはありませんでしたが、複雑な人間関係の中で(と書いてはいるものの、いまだにどうしてそうなったのかは正直わかりません)同年9月にはGスピリッツ(清水、小佐野)とGリング(金沢、吉川、大川)に分かれてしまいました。そんな5人、そしてファンクラブ時代からの仲間の田中君が深夜にひとつの目的に向かって顔を突き合わす日が来るとは思ってもいませんでした。これも竹内さんの大きな意思だったのかもしれません。

 4日の通夜には前日深夜、あるいは当日早朝の連絡だったにもかかわらず坂口征二さん、百田光雄さん、藤波辰爾さん、グレート小鹿さん、武藤敬司さん、仲田龍さん、新間寿さんの代理として奥様と新間久恒さん、連絡を手伝ってくださったロッシー小川さんらのプロレス関係者、テレビ関係者としては日本テレビのプロデューサーだった梅垣進さん、今泉富夫さん、アナウンサーの若林健治さん、福沢朗さんら、マスコミ関係では門馬忠雄さんご夫妻、デイリースポーツの宮本久夫さん、私たちと同じ竹内学校出身の宍倉清則さんを始めとする週刊プロレスの人たちなど、そして今はそれぞれの道を歩いている元日本スポーツ出版社の役員・社員の人たちが駆けつけてくれました。

 さらに祭壇には力道山百田家、馬場元子さん、アントニオ猪木さん、坂口征二さん、俺たちの世代の長州力さん、藤波辰爾さん、天龍源一郎さん、三銃士の武藤敬司さん、蝶野正洋さん、四天王世代の田上明さん、小橋建太さん、第三世代の永田裕志さんから大日本プロレス、ドラゴンゲートに至るまで、日本プロレス界の全世代からの花が並びました。竹内さんがあらゆる世代の関係者に愛され、リスペクトされていた証しだと思いました。私はサムライTV『速報!バトル☆メン』出演が決まっていたため、午後7時40分には調布メモリードホールを飛び出しましたが、ここに書かせていただいた以外にも多くの方が駆けつけてくれたと聞きました。

 そして昨日5日の告別式は晴天に恵まれました。櫻井康雄さんと舟橋慶一さんの『ワールドプロレスリング』実況コンビ、弔辞を読んでいただいた菊地孝さん、長野の吉沢幸一さんらが出席してくださり、昭和の楽しかった時代にタイムスリップしたような感覚になりました。清水さんは泣きながら棺にそれぞれの時代のゴング、増刊号の『ミル・マスカラス その華麗なる世界』を入れていました。送り出しにジグソーの『スカイハイ』が流れた時には、中学生の一ファンだった頃、高校生になって竹内さんに顔を覚えてもらい、可愛がっていただいた時代、ゴングのアルバイトとしてガラス屋さんの2階の仮編集部でパシリをしていた時代、本誌ゴングと別冊ゴングの合間のわずかな暇な時間に新宿等に遊びに連れて行ってもらったこと、1999年1月~2002年11月まで編集企画室で机を並べて増刊号を作っていた時代などが物凄いスピードで頭の中を駆け巡りました。こんなに心に染み入る『スカイハイ』は聞いたことがありませんでした。

 今、私は「竹内イズムを継承して…」などというおこがましいことは書けません。ただ、月刊誌時代から間近に接していた私の中には、竹内さんの教えが息づいているのは誰も否定できない事実です。私だけでなく、ゴングで竹内さんの下で仕事をした人間は、その影響を受けているに違いありません。それぞれが吸収したエッセンス、学んだことを、それぞれの仕事の中で活かしていくことが、竹内さんが遺したものの継承につながると私は思っています。

 お付き合いさせていただいた約34年もの時間の中で高校生だった私もいつしか大人になり、考え方に違いが生まれたこともありました。人と人の結びつきは、歴史が長ければ長いほど綺麗事だけでは済まなくなります。実際、竹内さんと私の関係を外から云々言う人もいました。でも、竹内さんと私の間柄は、竹内さんと私の2人が知っています。私はそれで十分です。そして今、改めて「本当にありがとうございました」と言わせていただきます。貴方がいなければ、私はこの世界に入ることはありませんでした。あなたがいたから今の私が存在します。貴方から受け取ったものを大切にしながら、これからも私は私の人生を歩んでいきます。

投稿者 maikai : 16:11 | コメント (7)

2012年05月02日

マイバッハが天龍と遭遇

 昨日は天龍プロジェクトの記者会見。5・23後楽園における『R-1』のメインイベントに出場する髙山善廣&マイバッハ谷口の相手が嵐&村上和成に決定したことの発表だったが、この会見にマイバッハが同席した。

 鉄仮面に変身して以来、一切コメントせず、マスコミを寄せつけないマイバッハが記者会見出席とはちょっと信じられなかったが、さすがにプロレス界の大先輩・天龍に敬意を表したのか? 考えてみれば、NO MERCYのボス、KENTAもサムライTVの対談番組『Versus』でもわかる通りに天龍に敬意を見せているし、今回の天龍プロへのマイバッハの参加は、天龍の代行として大会をプロデュースする髙山の要請によるものなのだ。だが、やはりマイバッハにリスペクトという言葉はなかったようだ。イスに座らず無言で立ち尽くし、会見開始から1分も立たずに退席してしまった。まあ、暴れなかっただけでもマシだったと言うべきか…。

 このマイバッハの投入について髙山は「昔の天龍さんの無茶苦茶ぶりに比べたら可愛いもんでしょう。俺は、あいつをもっと覚醒させたい」とニヤリ。高山にしてみれば、天龍プロジェクトに爆弾を投下すると同時に、マイバッハがノア以外のリングでも遠慮なく暴れられるのかを試すつもりだろう。マイバッハにとっては今後へのひとつのハードルだ。マイバッハこと谷口周平がノアに入門したのは2005年5月9日。当時、フリーだった天龍はこの年の主戦場をノアにしていたから、谷口は新弟子としてそのファイトを目の当たりにしていたはず。だが、残念ながらデビューした時には天龍はノアから去っており、リング上で肌を合わせることはなかった。感情を一切表に出さないマイバッハは昨日、天龍を目の前にして何を感じただろうか? そして5・23後楽園では…。

投稿者 maikai : 16:01 | コメント (1)