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2011年12月28日

2012年に向けて…気合いだーっ!

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 今日の昼前、アニマル浜口さんから電話をもらった。浜口さんには現在発売中のGスピリッツ第22号の連載企画『実録・国際プロレス』にご協力いただいている。その取材は11月。娘・京子ちゃんの天皇杯レスリング全日本選手権を目前にした大事な時期にもかかわらず、実に3回もお宅にお邪魔して長時間のインタビューにお付き合いいただいた。しかも最後の取材は「いろいろ話しているうちに忘れていたことを思い出しましたよ。国際プロレス、吉原社長を語るのに、いい加減なことは許されないので」という浜口さんからのリクエスト。ということで1回分のスペースには収まりきらず、3月下旬発売予定の第23号にインタビュー後編をお届けすることになった。

 さて、気になっていた天皇杯全日本選手権だが、すでに新聞やニュースで報じられているように京子ちゃんはフリースタイル72キロ級で優勝。出場18回が最多記録なら、全日本選手権15連覇というのは男女を通じての新記録樹立だ。本当に凄い記録である。

「吉原社長はレスリング出身のプロレスラー第1号。その吉原社長がいなければ僕はプロレスラーになれなかったし、もちろん指導者になることはなかった。そんな僕の娘・京子が今こうしてレスリングで新記録を作った。縁というか…すべてがつながっているんですよ!」と浜口さんの声は弾んでいた。浜口さん、京子ちゃんが活躍することで国際プロレスも吉原社長も忘れ去られることなく生き続けるのである。

 浜口さんの取材で何回か顔を合わせた京子ちゃんは「私、必ずロンドンに行きます!」と明るい笑顔だった。2012年…ロンドンで浜口ファミリーが最高の笑顔、最高のパフォーマンスを見せてくれることを願っている。

※写真は取材中の1コマ。元気の秘訣は気合いと笑いのコラボレーション!

投稿者 maikai : 14:40 | コメント (0)

2011年12月24日

メリー・クリスマス!

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 昨日はノアのディファ有明の後、サムライTV『速報!バトル☆メン』出演というスケジュール。その合間に昼の後楽園ホールで米山香織が10ゴングの最中に引退を撤回したというニュースが飛び込んできた。今日、記者会見をやるようなので、ここでウダウダ書くつもりはない。私の昨日の時点での見解は『速報!バトル☆メン』で述べた通り。きっと思わぬ展開に会場は盛り上がっただろうし、ある意味では正直者の米山らしいと言えば、らしい。でも、それでOKということはないだろう。試合を続けたくても引退せざるを得なかった先輩、志半ばで命を落とした先輩もいる。そうした人たちのことを考えたら…。あとは米山本人、受け入れたJWPのケジメの付け方を見させてもらうだけだ。

 重い話はこれくらいにして、昨日はクリスマス・イブ。昨日のモッキーのサンタ姿はかわいかったなあ。さあ、ご一緒にメリー・クリスマス!

投稿者 maikai : 12:33 | コメント (0)

2011年12月22日

上田馬之助さんの思い出

 昨日、上田馬之助さんが亡くなった。享年71歳。昭和を彩った名レスラーがまたひとり、この世を去ってしまった。こうした時、どんなレスラーだったのか、どんな人物だったのか…取材を通しての思い出を書くことしかできない。

 私の中の上田さんの記憶は81年の夏に遡る。当時、ゴングで取材スタッフとしてアルバイトしていた大学2年生の私は、夏休みを利用して3週間のアメリカン・プロレスの旅に出た。上田さんにお会いしたのはテキサス州ウェイコのカブキさんの家だった。その日の朝、テキサス州ダラスに着いた私はカブキさんに電話。するとカブキさんは「試合までまだ時間があるから」と車で迎えに来てくれて、さらに家まで連れて行ってくれて日本食を御馳走してくれた。そのカブキさんの家に居候していたのが上田さんだった。

 当時の上田さんは新日本のレギュラー。81年は新日本と全日本の引き抜き合戦が繰り広げられていた年で、上田さんの盟友タイガー・ジェット・シンは7月に全日本に移籍したばかり。このタイミングで全日本所属のカブキさんの家に上田さんがいるというのはマズイ。最初、上田さんは「私がここにいることは記事にしないでよ」といきなりの若造記者の出現に不機嫌そうだったが、話をしているうちに受け入れてくれるようになり「日本の団体はガイジンを高いギャラで引き抜き合っているようじゃダメ。ここにいる高千穂(カブキさんのこと)とかね、実力があって頑張っている選手を上げていかなきゃ…」などと話してくれるようになった。そしてカブキさんの家から会場のスポータトリアムまでは上田さんの車に同乗させてもらい、2人で頭からバスタオルをすっぽりと被って、ファンに顔を見られないように会場入り。当時、上田さんは顔を黒くペイントしたテングー(天狗)というキャラクターで試合をしていたのだ。

 カブキさんはメイン、テングーは前座というのが当時の格付けだった。先に試合を終えて身支度していた上田さんが、大会終了後も「高千穂はまだ時間がかかるから…」と、車でグレイハウンド・バスのバス・ディポまで送ってくれた。

 約束通り、カブキさんの家にいたことを記事にしなかったが、上田さんは10月の『ジャイアント・シリーズ』に新日本から全日本へ。そして開幕戦の後楽園ホールの試合前、外国人控室のドアが開いて上田さんが顔を出した。私はアメリカでのお礼を言いたくて上田さんに近寄ろうしたが、その瞬間に凄い形相で竹刀を振り上げた上田さん。「寄るな!」という意味だ。他に記者の人たちがいたのに親しげに近寄ろうとした私が迂闊だった。新日本から全日本に転じ、改めて悪党として売っていく上田さんが、いきなり若い記者と仲良く話をしている姿を見せるわけにはいかない。20歳の私は上田馬之助のプロ意識を見せつけられた思いだった。

 実際にインタビューしたのはゴングが週刊化されたばかりの84年6月の1回だけ。マネージャーのH氏には「ゴングの取材は受けない!」と言われてしまった(その辺の人間関係や政治的背景は今もわからない)が、上田さん本人にお願いすると、快く取材を受けてくれたことを記憶している。

「天龍は遠慮せずにガンガンくるでしょ。あれは買える。それにトンガ(キング・ハク=ミング)もいい。ああいった伸びてる選手をもっともっとテレビに出さなきゃダメよ」「あんたたちマスコミは、やたらと内部事情を書きたてるでしょ。ゴタゴタなんかをファンに知らせる必要はないの。プロレスはリングでいかにお客さんを喜ばせるかなんだから、団体も含めてその点をもっと考えてもらいたい」「引き抜きとかで一番迷惑するのはお客さん。ガイジン招聘ルートを1本にすれば甘い汁を吸われないし、面白いレスリングを安く観られるはず」「プロレスOBをもうちょっと大切にすべき」「ゴタゴタのないプロレス界にするためだったら馬場だろうが、猪木だろうが、いつだって協力する気持ちはある」というようなことを語ってくれた。その当時の私には上田さんというレスラーは深すぎて、きちんと伝えきることができなかったのが心残りだ。

 今はただ、ご冥福をお祈りします。合掌。

投稿者 maikai : 13:21 | コメント (1)

2011年12月21日

日本デビュー25年目の記念日に…

 今日21日はGスピリッツ第22号の発売日。もう購入していただけただろうか? 総力特集は『相撲とプロレス』。その中に天龍源一郎と恩師・森岡理右氏の対談があることはすでにお伝えしたが、もうひとつスペシャル対談がある。第54代横綱・輪島大士と元前頭4枚目の大ノ海こと石川孝志(敬士)の先輩・後輩対談だ。

 1986年4月に全日本プロレス入団を電撃発表して世間を騒がせた輪島。それをバックアップしたのが石川だった。ふたりは名門・日本大学相撲部の先輩後輩の関係。輪島が横綱に昇進した73年に石川は全日本相撲選手権を制してアマチュア横綱に。そして卒業後は輪島が所属していた花籠部屋に入った。石川は2年半で廃業してプロレスに転向したが、この時は輪島が快く送り出し、その9年後に今度は輪島が石川にプロレス転向を相談している。今も交流があるのだから、本当に切っても切れない絆のようだ。

 私は輪島さんがプロレス転向を表明して約1ヵ月の86年5月にハワイ特訓を取材している。その時に寝食を共にして付きっきりで指導していたのが石川さんだった。アラモアナホテルの中華レストランでステーキを何枚も食べていた輪島さんを思い出す。相撲時代、プロレス時代、そしてプライベートまで…2人の会話を楽しんでもらいたい。

 ちなみにこの対談の取材日は11月1日。そう、輪島さんがタイガー・ジェット・シン相手に七尾市総合体育館でデビューしてからちょうど25年目の日だった。あれから四半世紀…輪島節は健在だ!

PS.森岡先生の御子息・洋右氏からコメントをいただきました。洋右さん、お役に立てることがあれば、何なりと…。

投稿者 maikai : 11:41 | コメント (1)

2011年12月20日

週プロ忘年会

 昨日は週刊プロレスの忘年会。一昨年、佐久間一彦編集長時代にお邪魔させてもらったが、佐藤正行編集長になってからは初めてだ。週プロの編集部員も世代交代で随分と若くなったが、昨日の出席者の中では佐藤編集長、宍倉清則顧問、今はモバイルを担当している安西伸一氏、フリーの斉藤文彦氏、鈴木健氏、安田拡了氏、鶴田倉朗氏が、私が週刊ゴングに籍を置いていた時代の戦友だ。

 その昔、ターザン山本氏が編集長だった時代、週プロの人間は「ゴングの連中と口をきくな!」と言われていたこともあったが、出張先では新聞社の人間も含めて酒を酌み交わすことも少なくなかった。競うのは取材と記事。それ以外は同じ業界で、同じように多忙な毎日を送っている同志という意識が強かったと思う。

 わざわざ声を掛けていただいて、ありがとう!

投稿者 maikai : 11:53 | コメント (0)

2011年12月19日

楽しいデスマッチ王者

 昨日は横浜文化体育館で大日本プロレスの今年最後のビッグマッチ。全日本勢が参戦したりとバラエティーに富んだ内容になったが、最後をきっちり締めたのは伊東竜二とアブドーラ・小林のデスマッチ王座を賭けたクライマックス・ゲーム・オブ・デスだ。普通の蛍光灯はもちろん、蛍光灯スカイツリータワー、格子状に組んだ蛍光灯、コンクリート・ブロック、剣山、今年1年間のデスマッチアイテムを用意。フォークを剣山状にしたボックスまで登場した。

 そんな過酷な戦いを制したのは小林。05年12月に伊東の防衛記録V6をストップさせた時と同じように、今回もその記録をV6でストップさせた。

 小林の魅力はどんな凄惨な試合でも、最後は和やかなムードに持っていってしまうこと。それは本人のキャラクターもあるし、プロレスをいろいろな意味で心底楽しんでいるからだ。

「伊東、プロレスをやってて楽しいか? 俺は16年もやってきたから、たまに楽しめなくなる時もあるんだけど、お客さんが楽しみに来てるんだから、俺らレスラーがもっと楽しまなきゃいけない。強いだけじゃなく、激しいだけじゃなく、お客さんを喜ばす楽しいチャンピオンになりたいんだ!」という言葉にはアブドーラ・小林というプロレスラーの心意気を感じた。控室に戻ってからの「今のウチの若い世代は凄いけど、みんな右に倣え。100点はいつまでも100点。でも、俺は100点以上を目指していますから」と。これも深い言葉。楽しいデスマッチ王者とは、普通に考えたら有り得ないが、アブドーラ・小林はそれをやってしまう男である。

「プロレスはな、楽しいもんなんや」という馬場さんの言葉をふと思い出した。楽しいの表現の方法はまったく違うが、プロレスラーとしてプロレスを愛し、楽しむ心は共通しているように感じた。

 額に突き刺さった剣山を自らの手で引っこ抜いたアブドーラ・小林は「じゃあ、サイン会に行ってきますので…」と、血を拭うことなく売店へと急いだ。

投稿者 maikai : 11:46 | コメント (0)

2011年12月17日

デビュー35周年記念企画!天龍が恩師と対談

 12月21日(水)発売のGスピリッツ第22号の総力特集は『相撲とプロレス』。表紙を飾ったように、今年デビュー35周年を迎えた天龍源一郎も登場する。インタビュー? いやいや。対談だ。その相手は…筑波大学教授の森岡理右氏。

 森岡氏には第17号の『追憶の昭和・全日本プロレス』に“ジャイアント馬場の初代フィクサー”として登場していただいた。馬場の全日本旗揚げ、外国人選手招聘、ミュンヘン五輪レスリング代表のジャンボ鶴田の全日本入団、『オープン選手権』開催による猪木潰し…などに関わった裏の仕掛け人だ。

 そんな森岡氏の最後の大仕事だったのが現役幕内力士・天龍の全日本入団。元々は相撲記者で天龍が所属していた二所ノ関部屋の大横綱・大鵬と仲が良く、そして馬場の参謀だった森岡氏がいなければプロレスラー・天龍は誕生していなかったはず。その当時、相撲界に嫌気がさしていた天龍だが、そこにはプロレス転向という選択肢はまったくなかったのだ。

 そして天龍の転向に森岡氏が関与していたというのはトップシークレットだったという。それだけ現役幕内力士がプロレスに転向するというのは、当時としては大事件だったそうだ。

 さて、恩師との久々の再会に天龍は? 相撲時代の話もいろいろと飛び出すので、お楽しみに!

投稿者 maikai : 12:38 | コメント (0)

2011年12月16日

Gスピリッツ第22号の表紙は…デビュー前の天龍源一郎!

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 お待たせしました! Gスピリッツ第22号の発売は12月21日(水)です。ということで表紙を公開しよう。ジャーン! 今回の表紙はコレ。プロレス本デビュー2日前の26歳の天龍源一郎だ。

 今号の特集は『相撲とプロレス』。表紙の写真は1976年11月13日のテキサス州ヘレフォードにおけるテッド・デビアスとのデビュー戦に先がけての同月11日、アマリロのアマリロ・スポーツ・アリーナでの1枚。この日、天龍は相撲の同期でもあった桜田一男(ケンドー・ナガサキ=相撲時代は立浪部屋の網走洋)とエキジビションの相撲マッチで対戦。3本勝負で行われ、天龍が下手投げと突き落としで2―0のストレート勝ちしている。

 考えてみれば、この1ヵ月半前、天龍は9月場所で東前頭13枚目の二所ノ関部屋の関取として蔵前国技館で相撲を取っていたのだから人の運命とはつくづく不思議なものだ。この写真を見ると、まだプロレスラー体型にはなっていないが、相撲で鍛え上げられた頑丈そうな体、太い腿が印象的。

 さて、本の内容については追って書かせていただくので、乞うご期待!

投稿者 maikai : 11:56 | コメント (2)

2011年12月15日

GO FORWARD!

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 昨日は来年2月10日の午後11時からサムライTVで放映される『Versus』の収録。スタン・ハンセンと小橋建太の対談の進行役を務めた。ふたりが実際に顔を合わせるのは全日本プロレスがノアと分かれる00年6月の『スーパーパワー・シリーズ』以来、実に11年半ぶり。だが、その間にも交流があり、ハンセンは癌で入院中の小橋に激励の電話を入れている。

 今回の対談は「カムバックし、結婚もして元気になった小橋に直接会ってみたい!」というハンセンの強い要望によるもの。対する小橋も「ハンセンさんに力をもらった。お礼も言いたいし、馬場さんとは違った意味での俺の先生だから…」とのことで実現した。永源遙GHCタイトル管理委員もハンセンに会いたかったようで、小橋は収録後、永源さんのメッセージを伝えていた。

 さて、小橋vsハンセンと言えば、90年代全日本プロレスを熱くさせた対決。小橋にとってハンセンは厚い壁であり、デビュー2年の90年2月の初対決から4年間、10戦0勝10敗! ハンセンは容赦なく小橋を叩き潰した。しかし、小橋は挫けることなく94年4月10日、仙台におけるチャンピオン・カーニバルで初勝利。以後、ハンセンの必殺技ラリアットを自分のものにして本家をフォールするまでになった。通算成績は小橋の5勝10敗2分だ。

 対談では、ハンセンという厚い壁に向かっていった若き日の小橋の心情、小橋がラリアットをフィニッシュ技にした時にハンセンが呼びだして言ったこと、95年にハンセンのイス攻撃で左腕を22針も縫う大怪我を負い、試合後にハンセンの控室に殴り込んで大乱闘になった思い出など、本気でやり合った2人だからこその昔話に花が咲いた。気付いてみたら、収録は2時間にも。終盤は小橋の言葉が止まらなかったのが印象的だった。

 あんまり書くとネタバレになってしまうので、このあたりで止めておくが…小橋はハンセンから贈られた「Go forward!」(前に突き進め!)という言葉を自分に言い聞かせるように自ら何度も呟いていた。

投稿者 maikai : 11:28 | コメント (2)

2011年12月14日

決定!2011年度プロレス大賞

『2011年度プロレス大賞』選考会議は昨日12月13日、午後1時30分から行われた。柴田惣一選考委員長(東京スポーツWeb東スポ編集長)、内館牧子特別選考委員(脚本家)、東スポの原口典彰運動部部長、平塚雅人運動部次長、細島啓輔運動部次長、楠崎弘樹運動部次長、秋山直毅写真部主任、水沼一夫、小阪健一郎、大島啓、岡本佑介の各記者、写真部の下田知仁、前田利宏の各氏、サンケイスポーツの江坂勇始記者、スポーツニッポンの仁木弘一記者、デイリースポーツの藤澤浩之記者、東京中日スポーツの大西洋和記者、日刊スポーツの小谷野俊之記者、報知新聞の勝田成紀記者、週刊プロレスの佐藤正行編集長、プロレス評論家の菊池孝氏、門馬忠雄氏、サムライTVキャスターの三田佐代子さん、そして私の24名による選考会議は約1時間半。選考会議の経緯と各賞受賞者は以下の通りだ。

【最優秀選手賞(MVP)】棚橋弘至
 09年度以来2度目の受賞になった棚橋の他、G1に初優勝、常にクォリティーの高い試合で対戦相手をも光らせていた中邑真輔、ノア革命に着手して1年間頑張ったKENTAがノミネートされた。だが、投票では棚橋=23、中邑=0、KENTA=1と棚橋がダントツ。
 1・4東京ドームから始まって内容のある試合でIWGP防衛タイ記録のV10を達成した実績、各会場での人気とファンの期待感、3・11震災があった中で新日本のみならず日本プロレス界全体を牽引していこうという姿勢、ファンに対する応対…など、あらゆる要素で棚橋の評価は高かった。私も棚橋を推した。最終的には選考委員全員納得の文句ないMVPだ。


【年間最高試合(ベストバウト)】武藤敬司&小橋建太vs矢野通&飯塚高史(8月27日、東京・日本武道館)
 ベストバウトには実に13試合がノミネートされた。ノミネート順に列記すると①武藤敬司&小橋建太vs矢野通&飯塚高史(8月27日、東京・日本武道館)②棚橋弘至vs中邑真輔(IWGPヘビー級戦=9月19日、神戸ワールド記念ホール)③秋山準vs潮﨑豪(GHCヘビー級戦=8月6日、東京・ディファ有明)④中邑真輔vs鈴木みのる(G1公式戦=8月14日、東京・両国国技館)⑤諏訪魔vs秋山準(三冠ヘビー級戦=10月23日、東京・両国国技館)⑥棚橋弘至vs内藤哲也(IWGPヘビー級戦=10月10日、東京・両国国技館)⑦諏訪魔vs永田裕志(チャンピオン・カーニバル公式戦=4月9日、東京・後楽園ホール)⑧杉浦貴vs佐々木健介(7月23日、大阪府立体育会館)⑨杉浦貴vs佐々木健介(グローバル・リーグ戦公式戦=11月14日、東京・後楽園ホール)⑩天龍源一郎&諏訪魔&鈴木みのるvs佐々木健介&小島聡&太陽ケア(11月10日、東京・後楽園ホール)⑪スターバックvsデーブ・フィンレー(SMASH王座戦=11月24日、東京・後楽園ホール)⑫棚橋弘至vs後藤洋央紀(IWGPヘビー級戦=6月18日、大阪府立体育会館)⑫CIMA&土井成樹&B×Bハルク&戸澤陽&サイバー・コングvs望月成晃&吉野正人&鷹木信悟&YAMATO&Gamma(ブラッド・ウォリアーズvsジャンクション・スリー サバイバル敗者ユニット脱落マッチ=11月4日、東京・後楽園ホール)
 これだけの試合がノミネートされたのは、裏を返せば「これだ!」という決定的な試合がなかったということでもある。ちなみに私が挙げたのは11・14後楽園の杉浦vs健介。「これこそベストバウト!」という意味ではなく、複雑な技、スピーディーな攻防、上手なプロレスが主流になっている今、杉浦と健介の攻防には「他がマネできない」というタフなプロレスがあった。あの攻めとあの受けは…本当に頑丈なプロレスラーにしかできないものだ。それを主張したかったのである。
 天龍の35周年記念試合をノミネートしたのはカメラマン。カメラマンのスタンスからすると「見た目で凄かった!」試合だったという。
 初回投票は1位が武藤&小橋vs矢野&飯塚=10、2位が諏訪魔vs秋山=4。1位が過半数に満たなかったことから、この2試合による決選投票にもつれ込んだ。その前にも改めて議論が交わされた。「東スポ主催の興行の試合を選ぶのには抵抗がある」という意見もあったし、その一方では「あのATは一番雰囲気のいい興行だった。その中で矢野と飯塚がいい人にならずにヒールを貫き、即席コンビの武藤&小橋が持ち味を発揮して、最後はムーンサルトの競演というファンが求める形で終わった」と改めて高く評価する声も。諏訪魔vs秋山については「ここ数年、ヘビー級のまっとうなプロレスがベストバウトに挙がっていない」「秋山によって三冠ヘビー級という由緒あるタイトルの新たなドラマが生まれた」「いや、諏訪魔と秋山だったら、もっといい試合ができるはず」などの意見が。最終的には武藤&小橋vs矢野&飯塚=20、諏訪魔vs秋山=4という結果に。
 私は迷いつつも最終的に武藤&小橋vs矢野&飯塚に1票を投じた。そこには癌から復帰以来、初めてムーンサルト・プレスをやった小橋の覚悟が大きかったし、2011年という特別な年をプロレスで振り返った時、人々の記憶に残っているのはATのあの試合だと思ったからだ。

【最優秀タッグチーム賞】関本大介&岡林裕二
 この賞は関本&岡林、ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンのバッド・インテンションズ、そしてノアのKENTA率いるNO MERCYに絞られた。関本&岡林は全日本でアジア・タッグを奪取、大日本での『最侠タッグ』に優勝した実績はもちろんのこと、全日本マットをも活性化、岡林の成長、そのわかりやすいファイトぶり、デスマッチもこなす幅の広さなど、あらゆる面が高く評価された。バッド・インテンションズはIWGP、GHCの2大メジャー・タッグ王座2冠王を達成した誰も文句のつけようがないタッグチーム。NMCはタッグチームというよりもユニットとしてノアを活性化させたことが評価されたものだ。
 私はGAORAの全日本プロレス中継の解説をしているので関本&岡林の全日本における活躍ぶりを間近で見ているが、ここではあえてバッド・インテンションズを支持した。関本&岡林はまだまだ成長できるタッグチームだと思うし、対するバーナード&アンダーソンはタッグチームとして完成の域に達していると思うのだ。ノアの潮﨑&谷口の挑戦を受けたGHCタッグ防衛戦は、ノア勢の持ち味をちゃんと引き出しつつ、試合を完璧にコントロールする手腕に脱帽させられた。
 結果は関本&岡林=13、バッド・インテンションズ=7、NMC=4。もちろん私も関本&岡林の受賞に異論はない。おめでとう!

 ここからはいつも大混戦になる殊勲・敢闘・技能の3賞。選考委員それぞれに「この選手には何かの賞を!」という思惑があるだけに、どの賞にノミネートするかという駆け引きも生まれてくる。ただし、選考は3賞まとめてではなく、殊勲・敢闘・技能の順で選考されるのである。では殊勲賞から…。

【殊勲賞】秋山準
 ノミネートされた順から①中邑真輔②秋山準③ジェロム・レ・バンナ④KENTA⑤永田裕志。MVPに名前が挙がった中邑、KENTA以外に出てきた名前が秋山、バンナ、永田だ。秋山は諏訪魔戦がベストバウトに挙がったように状況的に有り得ないはずだった三冠初戴冠を果たし、なおかつ三冠というベルトのドラマを改めて提示したこと、それ以外でもノア・マットで常にレベルの高い試合、自分の試合をしていたことが評価された。バンナはIGF王者として輝いたこと、永田は新日本のNJC、全日本のカーニバルと2大メジャー春の祭典を制してアンチエイジングを実証したことが評価された。結果は中邑=5、秋山=16、バンナ=1、KENTA=1、永田=1。私も秋山に投票した。

【敢闘賞】永田裕志、望月成晃
 敢闘賞には惜しくも殊勲賞で落選してしまったKENTA、永田に加えてドラゴンゲートの望月成晃、内藤哲也がノミネートされた。
 永田はアンチエイジングを掲げ、新日本&全日本の春の祭典を制覇、IWGP挑戦、三冠挑戦とまさに敢闘にふさわしい活躍をした。望月も同様で、若い選手が揃ったドラゴンゲートの中で41歳にして頂点のドリームゲート王座を奪取。常にコンディションをキープし、団体外でも橋本大地や垣原賢人と対戦するなど、積極的に打って出る姿勢が評価された。内藤は特にG1以降のめざましい成長ぶりがポイント。投票結果はKENTA=6、永田=7、望月=7、内藤=4。ここで同点の永田、望月の決選投票になったが、何と永田=12、望月=12の同点に。その後、議論が交わされたが、平行線。最終的には両選手共に年齢を感じさせない敢闘ぶりという共通の評価ということでダブル受賞となった。

【技能賞】KENTA
 KENTAが殊勲、敢闘で票を伸ばせなかったのは「技能賞が最もふさわしいのでは…」という声があったことも大きい。ところが、この技能賞も競り合いとなった。ノミネートされたのは国内引退までDDTでレベルの高い試合を続けたディック東郷、頭脳的なヒール殺法、チラリと見せるレスリング・テクニックで職人ぶりを大いに発揮した矢野、誰が相手でも好試合を展開してきた中邑、全日本の世界ジュニア王座を奪取したケニー・オメガ、そしてKENSOがノミネートされた。
 KENSOの名前を挙げたのは私。レスリング技術云々ではなく「観客を惹きつけてしまう予測不能の言動やパフォーマンスはプロレスならではの技術ではないか」ということで推薦させてもらった。今年、全日本は暗い話題が続いた。そんな中で唯一、ファンをホッとさせていたのがKENSOだったのではないか。それこそ1年前は本当にファンに不快感を与えていたのが、いつしかファンを「KENSOは、今度は何を言うのか? 何をやるのか?」と引き込んだ。それはプロとして大切なことだ。あの摩訶不思議なKENSOワールドは決して偶然の産物ではない。新日本を飛び出してから様々な経験を経た上で構築されたものなのだ。ATの3大メジャー揃い踏みの6人タッグにしても、KENSOという調味料があったからこそ、豪華食材が活きたのだと思っている。というようなことを述べさせてもらった。
 その結果、東郷=1、KENSO=8、矢野=3、中邑=5、KENTA=6、ケニー=1という結果に。ただし、トップのKENSOが過半数に届かないため、KENSOとKENTAの決選投票に。その前の議論では「KENSOに賞をやったらプロレスが馬鹿にされる!」「いい試合がない!」という厳しい意見も…。そして最終結果はKENTA=13、KENSO=11。
 KENSOを推しておきながら、正直な気持ちはKENTAになってホッとした。KENSOプッシュは「こういう技術も認めてほしい」という気持ちであって、KENTAのノア改革にかける1年間の頑張りも凄いという実感があったからである。

【新人賞】鈴川真一
 ノミネートされたのは鈴川、橋本大地、征矢匠、女子からは愛川ゆず季、世Ⅳ虎、そして私がノミネートしたのは沖縄プロレスのめんそ~れ親父。めんそ~れ親父は闘龍門出身で07年4月にメキシコでデビューしていることを考えれば選考対象から外れてしまうが、実質的なデビューは08年7月の沖縄プロレス旗揚げ戦ということで入れさせてもらった。実際、私が彼のファイトを観たのは11・4新宿FACEでのvs怪人ハブ男だけ。だが、あのハブ男相手に素晴らしいファイトを展開した。沖縄プロの東京初進出にあたって、ハブ男がメインの相手にめんそ~れ親父を指名したのも頷けた。その風貌&喋りとファイトのギャップは、中央の団体に進出したらハブ男のように支持されるに違いない。正直、賞を獲れるとは思っていなかったが今年が新人賞資格ギリギリだし「頑張っている中にはこういう選手もいる」ということで上げさせてもらった。
 選考結果は鈴川=17、大地=7、匠=4、世Ⅳ虎=4、愛川=4、めんそ~れ親父=1だった。
 鈴川は昨年もノミネートされたが、その時点では1試合しかしておらず「あと1年間、観てみよう」ということで選ばれなかった。そして今年はバンナ戦が高評価。また「今年のIGFは鈴川が軸になっていた」「この1年は予想以上の成長だった」「あの体格はプロレス界にとって魅力的な逸材」という声、元横綱審議会委員だった内館さんの「相撲時代とは違う生き生きぶりに驚きました」という意見も。鈴川に対する選考委員の期待は大きい。

【女子プロレス大賞】愛川ゆず季
 女子プロ大賞にノミネートされたのは愛川、華名、尾崎魔弓、里村明衣子の4選手。昨年、新人賞にもノミネートされていた愛川はアイドルから体をキッチリと改造して女子プロレスラーになり、女子プロに注目を集めさせたこと、スターダムで2つのベルトを奪取した実績によって18票を獲得して晴れて大賞に。その他は里村=2、華名=2、尾崎=1、棄権=1だった。

 という形で今年の選考会議は終了したが、各賞にノミネートされながら、あと一歩で届かなかった中邑、GHC最多防衛記録V14を樹立して王座転落後も中身の濃い試合を展開していた杉浦貴、GHC王者に返り咲いて秋山、高山、KENTAを退けた潮﨑豪、カーニバル準優勝、三冠初挑戦、最強タッグ優勝などの目覚ましい成長を見せた真田聖也、同じく世界ジュニア奪取、シングル&タッグのジュニア・リーグ戦制覇、最強タッグ優勝を成し遂げたKAIなどの選手が何も賞を獲れなかったのは残念でもある。その反面、MVPの棚橋以外の賞は「何が何でも!」という決定打がなく、誰にでもチャンスがあったという印象も受けた今年のプロレス大賞だった。

 なお、例年通りにコメントの書き込みは、私個人は読ませていただきますが、ブログ上に公開しないのでご了承のほどを。

投稿者 maikai : 06:00 | コメント (0)

2011年12月13日

出陣

 今日は昼過ぎから『2011年度プロレス大賞』の選考会に出席。今年は今日までに113大会を取材してきた。すべてのプロレスラーの1年間の頑張りに敬意を払って選考会に臨む。いざ出陣だ。

 結果及び選考の経緯は明朝アップします!

投稿者 maikai : 11:34 | コメント (0)

2011年12月12日

出会いから30年

 一度サボリぐせがついてしまうと、どうやって再開したらいいものかと結構、頭を悩ませてしまうが、思い切って今日再開しました!

 昨日は昼=全日本のファン感謝デーのTV解説、夜=みちのくの宇宙大戦争と後楽園ダブルヘッダー。まずファン感謝デーの方は、3年8ヵ月前にスペシャルゲストとして解説席に座ってくれた愛川ゆず季がプロレスラーとして登場した。プロレス・デビュー後に再会した時に「あのナマ観戦で完全にプロレスにハマりました。あの時、後楽園に行ってなかったらプロレスラーになっていなかったと思います」と言っていたゆずポン。それだけに感慨深いものがあった。

 もうひとつ、ファン感謝デーで心がほっこりしたのは、試合後の締めの挨拶で武藤からバトンを渡されたKENSOが、それを若手の中之上に譲ったこと。中之上はデビュー2年にして未だに自力勝利がない。後輩の匠にも差をつけられてしまった。だが、着実に成長している。植物に例えるなら、花どころか枝葉も伸びていないが、しっかりと幹を作ってきたと言える。KENSOはそんな中之上の努力と頑張りを間近でちゃんと見ているからこそ、最後に主役の座を譲ったのだと思う。やっぱりKENSOはヘンだけどいい奴なのだ。

 夜のみちのく後楽園では、いきなり大仁田厚とバッタリ。会うのは一昨年のクリスマスイブに新木場で開催されたスーパーFMW旗揚げ戦以来。思えば、大仁田さんと初めて会ったのは30年前の1981年8月、テネシー州ナッシュビルだった。その後、FMWの旗揚げ、引退後の復帰の際には結構関わった。

「あれから30年かよう。小佐野ちゃんは学生だったよな? 俺は23だったよ」と大仁田さん。その他、顔馴染みの記者が沢山いて、大仁田さんは「やっぱりプロレスはいいよなあ」と本当に楽しそうだった。これまでいろいろあったがプロレス村は居心地がいいようだ。

 村などと書くとイメージが悪いかもしれないが、今はともかくかつてはプロレスラーとプロレス・マスコミは確かに同じ村の住人だった。同じ村に住んでいて関係が濃密だからこそ、和気あいあいだけでなく、ガチンコの軋轢も多々生まれた。例えば私にしても週刊ゴングの全日本担当記者時代には馬場さんの名前で個人取材拒否の通達が2回会社に届いているし、元子夫人とは何度もやり合った。長州さんには路上で胸倉を掴まれて殴られる寸前までいった。WAR時代には冬木さん、武井社長と大喧嘩になったし、天龍さんとも揉めてまき代夫人、武井社長が仲裁に入ってくれたこともあった。大仁田さんともゴングのFMWの扱いを巡って何度もギクシャクした。でも、今となったらお互いに「そんなこともあったね」と笑えるいい思い出になっている。

 昔は硬派のサムライ記者も多かったし、レスラーにしても昔気質の人が多かったから、いさかいは少なくなかったと思う。レスラーに喧嘩を売る記者やカメラマンもいたくらいだ。でも、そうしたことを乗り越えることで、より強い絆が生まれるというのが昔のプロレス村社会だった。

 大仁田さん、やっぱり村の雰囲気は最高でしょ!

投稿者 maikai : 15:44 | コメント (0)