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2011年09月18日

あと2ヵ月弱の“やり過ぎぶり”に注目!

 私が澤宗紀というプロレスラーの存在を知ったのは04年だっただろうか。SWSでリングアナを務めていた鳴海剛氏が立ち上げたrという団体に所属していたから名前だけは知っていたのだと思う。04年当時、私は日本スポーツ出版社の編集担当執行役員という立場で何とか会社を立て直そうとしていた時期で、GAORAの全日本プロレス中継解説以外はほとんどプロレス会場に顔を出せなかったし、一昨日も書いたようにこの年の9月15日付で退社するなど身辺がゴタゴタしていたので、プロレス界の細部の情報には明るくなかったのだ。

 年が明けて05年、新たにフリーとして週刊ゴングの仕事をするようになり、任されたのが増刊号のプロレス名鑑の編集。ここでランジェリー武藤の存在も知ったのだが、初めは澤宗紀=ランジェリー武藤とは思ってもみなかった。ところが週刊ゴングの取材記者が集めてくれた選手へのアンケートを見ると、2人の基本的なプロフィールはほぼ一緒。「ひょっとして、同一人物?」と思い、後楽園ホールで澤と会った時に「ランジェリー武藤だよね?」と聞いたら「はい、スミマセン(笑)」。これが澤との初めての会話だった。

 当初、澤宗紀とランジェリー武藤は別人格だったように思う。澤としてのバチバチ・ファイト、ランジェリーとしてのコミカルなファイトの振り幅の広さに感心したが、いつしか澤宗紀というひとりのレスラーにすべての魅力が集約されていった。これは凄いことだ。

 そんな澤は11月5日の新宿FACEにおけるバトラーツ解散興行の数日後に引退する。いつも元気で、大人げなくて、変態な澤だが、神経は細やかだし、頭も働く。「バトラーツ解散の日に引退しようとも思ったんですけど、その日に引退試合をやると話題がブレるので…」と客観的に分析出来るのだ。引退については…私は、澤に限らず誰が引退を表明した時でも「お疲れさまでした」しかない。結局、本当の理由は本人にしかわからないものだし、その人の人生の大きな決断だからだ。

 さて、昨日は後楽園ホールでゼロワンの天下一ジュニア準決勝&決勝戦。引退が決まっている澤にとって最後の参加。そして準決勝で横須賀享、決勝でフジタ“Jr”ハヤトを撃破して見事に優勝を飾った。

 享、ハヤト共に勝っても負けても澤とのリング上の時間をとても大事にしていたように見えた。特にバチバチとやり合って負けたハヤトは号泣。ハヤトは優勝した時の願い事としてゼロワンで自分のプロデュース興行をやってもらって、そこで澤の引退試合の相手を務めることを発表したかったという。それが叶わなかったことへの悔し涙でもあろうし、同時に天下一ジュニア決勝という大きな舞台で澤との最後のシングルマッチを思い切り戦えたという感涙だったと思う。

 ハヤトは試合後に「俺が“やり過ぎぐらいがちょうどいい”を引き継ぐ。みちのくでも他の他んでも、俺が“やり過ぎぐらいがちょうどいい”で臨みます」と言った。プロレス界という枠から見たら、澤は決して大きな存在ではないかもしれないが、こうして継承してくれる若いレスラーがいるということは、澤にとってはレスラー冥利に尽きるだろう。

 優勝した澤本人は努めて明るく普段通りに振る舞っていたが、もうひとり涙を堪えられなかったのは、願い事として引退試合の対戦相手に指名された日高郁人だ。

「こいつ、体ボロボロなんですよ。決勝戦見守りながら、こいつの心が折れないように檄飛ばすので一生懸命でした。俺が澤宗紀を、責任を持ってプロレス界から送り出します。後輩であり、弟のような男を先に送り出すのは複雑だけど、もう一度リングに上がりたいとか、そんな気持ちを2度と起こさないように精一杯、送り出します」と涙ながらに語った日高。そんな日高に「泣かないで」で声をかける澤の柔らかな表情が印象的だった。

 体のダメージは本人しかわからないもの。でもきっと澤は最後まで“やり過ぎぐらいがちょうどいい!”と全力で駆け抜けるに違いない。

「バトラーツの戦う営業、戦う広告塔としては、解散興行のチケットが立ち見以外完売になって退職前のひとつの仕事をクリアー出来ました。次の大仕事はバトラーツに所属したレスラー全員を解散興行に集めることです。みんな大人げなくて、仲が悪くて大変なんですけど、僕が必ずやってみせます。そして、その数日後、日高さんと引退試合をさせてもらいます」と澤。あと2ヵ月弱、澤の“やり過ぎぶり”を見届けよう!

投稿者 maikai : 2011年09月18日 14:08

コメント

澤選手の引退は非常に残念です..

澤選手にありがとうとお疲れ様でしたと..

投稿者 岐阜人 : 2011年09月19日 18:18

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