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2011年09月30日

DDT48総選挙2011の重さと意味

1位=佐藤光留(558)
2位=飯伏幸太(389)
3位=男色ディーノ(387)
4位=ヤス・ウラノ(380)
5位=マサ高梨(363)
6位=大石真翔(356)
7位=チェリー(335)
8位=HARASHIMA(287)
9位=MIKAMI(252)
10位=木高イサミ(248)
11位=大家健(247)
12位=KUDO(228)
13位=高木三四郎(197)
14位=DJニラ(195)
15位=アントーニオ本多(182)
16位=石井慧介(179)
17位=石川修司(176)
18位=高尾蒼馬(174)
19位=中澤マイケル(167)※2位の飯伏が負傷欠場のため、繰り上げで10・23後楽園に出場。
20位=ミスター6号(161)
21位=ケニー・オメガ(159)
22位=入江茂弘(140)
23位=平田一喜(119)
24位=彰人(107)
25位=佐々木大輔(99)

 上記は昨日、新宿FACEで発表されたDDT48総選挙2011の結果だ。あのAKB48総選挙をパクるように昨年からスタートした企画だが、これはお遊びではない。選手たちにとっては本当にシビアな査定である。選挙だから支持を集めるために選挙活動をしなければならない。そうなるとリング上の流れとは違う素の部分でファンに自己主張を伝えなければいけないし、何かを発信しなければいけない。中にはあくまでもリング上の内容だけでファンに訴えようと考えた選手もいるだろう。つまり、各々の選手の自己プロデュース力が試され、最終的にはファンのニーズに合っているのかどうかが公にさらされてしまうのである。DDTは来年、15周年を迎える。社長の高木三四郎は、今回の選挙を「選手たちの意識の底上げ」と言った。経営者としてやっぱりシビアだ。

 発表の場となった新宿FACEは入場無料とはいえ、550人(超満員札止め)で熱気ムンムン。ファンも総選挙の意味、重さを知っているから、今年はウケ狙いの投票はなかったという。

 実際、ビジョンの発表まで結果を知らない選手たちはピリピリ。1位になった光留も4回吐いたというし、結果発表後、リング上で笑顔で記念撮影に収まる上位18選手と、それをステージのイスに座って見守る他の選手たちの悔しそうな表情、悲しそうな表情は、まさに勝者と敗者の明暗をハッキリと感じさせるものだった。

 さて、結果を見て、どう感じただろうか? レスラーとしての三四郎は昨年6位から13位に大きくダウンしたが「去年と顔触れがガラッと変わって、お客さんのニーズが新しくなってきたのかなと。それは経営者としては嬉しい限り。来年は“目指せ圏外!”です。佐藤光留が1位になったことについては…所属もフリーも他団体も関係なく、一番旬の人間が上にいけばいいと思ってますから」と、DDTの今後に手応えを掴んだコメント。

 1位になった光留は「戦いたい人間の怪我の治療費に充ててほしい」と賞金100万円を返還。その詳しい経緯については他のサイトでご覧いただくとして、私の印象に残ったのは、光留の「夢を実現するには、同じ量か、それ以上の現実が必要」という言葉だった。

 そして、戦いたい人間=飯伏に目を向けた光留に敵意を剥き出しにした男がいる。昨年1位から3位にダウンした男色ディーノだ。ディーノは今回の結果については「DDTを変えることは出来なかったけれども、私個人は今までと同じように外に向かっていく姿勢。今回の選挙で武道館を見据えて戦っていたのは私だけだと思う」と胸を張ったが、光留については「ひかるんはなぜ飯伏に向いたのか? 私はKO-D王者のKUDO君に向いてほしかった。あの瞬間にひかるんは外敵になった。今度の後楽園ホールでは、心おきなくKUDO君の応援に回る!」と宣言。これはレスラーとしての純粋な感情だ。

 また10・23後楽園で光留の挑戦を受けるKUDOも「2回シングルやって勝ってますから。人気とリング上は別なんで、普通に勝って防衛して、俺なりのやり方でDDTに貢献します!」とキッパリ。

 総選挙という極限の真剣勝負を経て、DDTはまた新たな段階に突入する。

投稿者 maikai : 13:19 | コメント (1)

2011年09月29日

あんなオッサン

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「将来は俺もあんなオッサンになってやろうと思います」
橋本がそう言ったのは99年6月8日、日本武道館。その年の1・4東京ドームで小川直也に事実上KOを喫し、半年ぶりに復帰戦を行った後の言葉だ。昨日発売になったGスピリッツ第21号の橋本真也特集では、当然、橋本が言う“あんなオッサン”にも取材している。そう、天龍源一郎である。

 思えば、93年9月~95年5月の新日本における橋本エース時代のきっかけを作ったのは天龍だった。そして天龍にとって橋本は、初めて自分を突き上げてきた下の世代だ。後年、天龍は全日本に戻り、橋本はゼロワンを設立したことでなかなかタイミングが合わずにリング上での接点はなくなってしまったが、交流は続いていた。そこには世代を越えた絆があった。

「気持ち的にはお互いに真の友達を見つけたかったんだよ。心情的に俺と橋本は似ているよ」と言う天龍の橋本論、橋本への想いを読んでいただきたい。

投稿者 maikai : 14:53 | コメント (2)

2011年09月28日

AKIRAの想い…

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 今日9月28日はGスピリッツ第21号の発売日。情報PART3として、橋本真也特集のAKIRAインタビューについて書かせていただこう。

 橋本のヤングライオン時代の話を聞くとなると、同期の武藤敬司、蝶野正洋がお馴染みだが、Gスピ的にはちょっと違う角度の見方や話が欲しい。ということで、同期として唯一取材させてもらったのは野上彰ことAKIRAだ。「ノガちゃんは橋本のこと、大っ嫌いだったからなあ」とは武藤敬司の言葉。それなら“嫌いな人間から見た橋本真也”を知りたかったのだ。

 AKIRAは橋本に怪我をさせられたことでプロレス人生が大きく変わった。だが、それが嫌いの理由のすべてではない。そこには当時の新日本プロレスの環境や教育も大きく影響しているし、プロレス観という根っこの部分もある。このインタビューではAKIRAと橋本の関係だけでなく、1984年組全体の青春、あの時代の新日本の体質も語られている。そして橋本没後6年経った今、AKIRAの橋本真也に対する想いは…。

投稿者 maikai : 13:44 | コメント (3)

2011年09月27日

『S-ARENA』ラスト出演

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 サムライTVのニュース情報番組『S-ARENA』は9月いっぱいで終了。10月1日からは同じ時間帯で新番組『速報!!バトル☆メン』がスタートする。ということで、昨日の放映は私にとって『S-ARENA』ラスト出演。

 思えば、毎週月曜日の夜にスタジオに行くようになったのはフリーになったばかりの05年春。その時の番組は『S-ARENA』の前身の『NEWS侍』だった。週刊ゴングの編集長時代は最初の情報番組『ニュースの鬼』にも出演させていただいたし、くりぃむしちゅーの有田哲平さんがMCをやっていた『生でGON×2』にも何度が出演させていただいた思い出がある。

『S-ARENA』について書けば、フリーになった私にとってはダイジェストではあれ、自分ではカバー出来ない試合を観ることが出来たし、それまで接点がなかった多くの選手と知り合うことが出来て、本当にプラスになった。

 視聴者の皆様、これまで約6年半、本当にありがとうごさいました。そして新番組『速報!!バトル☆メン』では月曜日ではなく、週末に出演することになります。まずは番組のオープニングとなる10月1日にお会いしましょう!

投稿者 maikai : 15:15 | コメント (1)

2011年09月26日

今日が締め切り!DDT48総選挙

 高木三四郎がAKB48総選挙をパクって去年からスタートしたDDT48総選挙。最初は洒落のようなノリだったが、昨年は第2位にランクされた佐藤光留がブレイク。俄然、選手もファンも注目のイベントになった。

 今年の総選挙ではエントリー48人中18位までが10・23後楽園ホール大会に出場でき、1位には賞金100万円と同大会でのKO-D無差別級王座挑戦権が、KO-D王者が1位の場合は挑戦者を選べる権利が与えられる。この総選挙の結果が、今後のDDTマットにおける立ち位置を大きく左右するから選手たちは必死。こうして選手を横一線に並べてファンの審判を仰ぐ高木三四郎は、厳しいビジネスマンと言っていいかもしれない。

 昨日は後楽園ホールで48人中43人が出場した『最後のお願いスペシャル』。試合前に発表された中間発表の結果(カッコ内は投票数)は
1位=佐藤光留(318)
2位=飯伏幸太(221)
3位=チェリー(219)
4位=男色ディーノ(194)
5位=マサ高梨(173)
6位=HARASHIMA(159)
7位=ヤス・ウラノ(156)
8位=大石真翔(153)
9位=大家健(144)
10位=MIKAMI(131)
11位=木高イサミ(122)
12位=KUDO(120)
13位=アントーニオ本多(114)
14位=高尾蒼馬(110)
15位=高木三四郎(105)
16位=石井慧介(92)
17位=入江茂弘(86)
18位=ケニー・オメガ&石川修司(共に77)
20位=ミスター6号(72)
21位=DJニラ(69)

 投票締切日は本日9月26日だが、こうした激戦になるとカギを握るのは投票するファンの気分&駆け引き。支持する選手が複数いるファンの場合、この最終中間発表の結果&票数を見た上で誰の票を増やすか考えるだろう。つまり最後の最後に大ドンデン返しもあり得るわけだ。

 泣いても笑っても…結果発表は9月29日の新宿FACE。果たしてファンの審判は!?

投稿者 maikai : 11:12 | コメント (0)

2011年09月25日

菅前首相退陣の日に馳センセ―を取材!

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 9月28日(水)発売のGスピリッツ第21号の特集は『橋本真也 爆殺の記憶』。あの破壊王をGスピ流に分析している。橋本というと、どうしてもトンパチ・エピソードばかりがクローズアップされる傾向にあるが、純粋にプロレスラーとしてどこが優れていたのか、いろいろな要素を含めて技術面はどうだったのか、なぜ平成・新日本を引っ張るだけの抜擢を受けたのかなど、あちらこちらの角度から解き明かそうというものだ。

 正直、橋本の分析は難しい。そこで今回の特集をやるに当たって、ある意味で肝になったのが馳浩だった。馳と橋本の接点は87年10月、カナダ・カルガリー。当時の馳は日本デビューを控えてカルガリーのトップ戦線で活躍していて、そこに入ってきたのが橋本だった。つまり馳は橋本の海外武者修行時代を知る数少ない人間のひとりなのだ。その後は新日本のリングで同世代のレスラーとして切磋琢磨したし、橋本の93年からのIWGP王者時代に馳は新日本のマッチメーカーでもあった。さらに馳は新日本出身ではなく、ジャパン・プロレス出身だから根っこにジャイアント馬場の要素を持っているし、後に全日本に移籍して四天王とも戦っている。仲間として、プロレスラーとして、マッチメーカーとして、全日本のレスラーも知る人間として橋本真也を俯瞰できる打ってつけの人物こそが馳浩なのだ。つまり、今回の特集は馳浩を取材出来るか出来ないかというのが大きなポイントになっていた。

 馳センセ―は衆議院議員として多忙な毎日を送っている。とりあえず7月半ばにメールで取材の打診をしたところ、早々に「おっけーです」の軽いノリの返信が。ところが政局が不安定になったことで取材日は二転三転…秘書の方に何とかやりくりしていただき、ようやく取材出来たのは8月26日の午後。そう、菅直人前首相が退陣表明記者会見を行った日に国対でのインタビューとなった。

 話は様々な角度からの橋本分析&橋本論から、さらに馳浩ならではのプロレス技術論にまで発展。ハッキリ言って、これはなかなか深いですぞ!

P.S. 国際さんの質問にお答えします。寺西さんはもちろんIWAミッド・ヘビー級王者時代の思い出も語ってくれています!

投稿者 maikai : 16:23 | コメント (5)

2011年09月24日

刀を抜いた中嶋勝彦

 昨日のノア後楽園大会は内容盛り沢山。潮﨑豪vs高山善廣のGHCヘビー級戦、鈴木鼓太郎vs中嶋勝彦のGHCジュニア・ヘビー級戦の2大タイトルマッチを柱に、10・10ディファ有明の選手会興行出場を巡っての杉浦とKENTAの激突、第2試合では小橋建太と佐々木健介が約3年ぶりにチョップ合戦…と、様々なプロレスの魅力を提供してくれた。

 そんな中で最も印象に残ったのは、鼓太郎のV8を阻止してGHCジュニア・ヘビー級王者になった中嶋勝彦だ。正直、09年から現在まで、ノア・マットにおいて勝彦にほとんどチャンスは与えられなかった。09年2月11日にKENTAを撃破してGHCジュニア王座を初戴冠したものの、同年3・1武道館で奪回された後、ようやく挑戦権が回ってきたのは今年の3・5有明コロシアム。それも唐突感は否めなかったし、ジュニア・タッグにしても09年9月、昨年7月に宮原を従えて2度挑戦しただけ。ノア・ジュニアの流れから外されているという印象が強かったのだ。

 今、最も動ける時期にこの待遇はもったいないと思っていたのだが、その間に勝彦は腐ることなく懐に隠した刀を研いでいた。どんな試合が組まれても、誰が相手でも…一歩も退かない気が強いファイトで存在感は示してきたし、健介オフィスの若頭として後輩たちを引っ張り上げ、健介オフィスの自主興行、ホームタウンマッチでは中心になって頑張ってきた。そんな諸々が昨日の試合につながったと思う。またアウェイの会場にもかかわらず鼓太郎を上回る声援を浴びたのは、この充電期間の勝彦の頑張りがファンに伝わっていたからに違いない。

 研ぎ澄まされた打撃、身のこなし、落ち着いた試合運び、ふてぶてしい表情。どれもがトップレスラーの光を放っていた。それも当然だ。15歳9ヵ月でプロレス・デビューした勝彦は、7年8ヵ月のキャリアを積んで23歳の青年に成長した。そのほとんどの時間を他団体…アウェイのリングで戦って生き抜き、全日本の世界ジュニア、アジア・タッグを始め、ベルトも数多く巻いてきたのである。その経験値は同じキャリアの他のレスラーとは段違いと言っていい。

「今、ナントカMERCYだの言ってて、ノアの中だけで盛り上がろうとしているけど、俺を忘れてねぇか?」「この緑のマットに上がってきて、当然の結果だと思っている」「健介オフィスのカ中嶋勝彦がベルトを獲っても、誰も出て来ねぇのか!?」「GHCジュニアのベルトって価値がないのか? だったらいいよ、俺が上げてやる!」といった試合後のマイクアピールも嫌味に聞こえず、観客も支持した。それだけの説得力が今の勝彦にはあるのだ。

 中嶋勝彦は3年近く研いできた刀を今、懐から抜いた!

投稿者 maikai : 12:15 | コメント (2)

2011年09月23日

祝!佐々木貴15周年

 昨日は新宿FACEで佐々木貴の15周年記念大会。師匠の鶴見五郎も出場してバラモン兄弟とトリオを結成し、グレート小鹿&アントーニオ本多&大家健と激突した。佐々木が鶴見ジムに入門したのは大学2年から3年になる春休み。入会金3万円を払ってジム生になり、ウェイト・トレに数ヵ月励んだ後に、さらに別料金のレスリング・コースに進み、大学4年生の9月にデビューして15年が経過したというわけだ。

 ちなみに鶴見さんは新宿駅から新宿FACEに来る途中に迷子になって佐々木に電話してきたとか…。鶴見さんの天然ぶりは変わらない!?

 さて、記念試合は佐々木&石川修司vsGENTARO&大森隆男。佐々木と石川は岩手県立一関第二高等学校柔道部の先輩・後輩の間柄。石川がやけに嬉しそうにファイトしていたのが印象的だった。それは先輩と組むのもそうだが、大森と初対戦出来たから。石川は大の全日本プロレスファンだっただけに、大森相手にやたらと「アックス・ボンバー!」と叫んだり、河津落とし→ジャンピング・ネックブリーカーで「王道プロレス!」と絶叫。かなりテンションが上がっていた。

 主役の佐々木は自然体のファイト。「この15年の生きざま云々じゃなくて、旗揚げから丸2年経った今現在のフリーダムズ、今現在の自分を見てほしかったです」と佐々木。通過点だからこその自然体のファイトだった。ただ、自然体とは言っても、大森や師匠の鶴見、大日本、DDT、フリー…本当に多くのレスラーが祝福に駆けつけたことは、15年間頑張ってきた証である。

 16年目の第一歩は10月9日の札幌大会。ここでは11月9日に引退興行を行う澤宗紀との一騎打ちが決定。「フリーダムズでひとつだけやり残したバチバチがあります。佐々木貴、俺とシングルでバチバチ…やり過ぎぐらいがちょうどいい試合をやりますか?」という澤の呼び掛けに応じたものだ。

 IWA格闘志塾→DDT→アパッチプロレス軍→フリーダムズと生き抜いてきた佐々木。「デビューした時には“俺はプロレスラーだ”って言うのが恥ずかしくて胸を張れない状況でした」と言うが、今や東日本大震災復興支援にも尽力しているプロレス団体の立派な長であり、立派なプロレスラー。これからも前向きに力強く歩んでほしい。

投稿者 maikai : 17:25 | コメント (1)

2011年09月22日

和製カーペンティア登場!

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 9月28日(水)発売のGスピリッツ第21号の情報をひとつ。連載企画の目玉にもなっている『実録・国際プロレス』第11回には寺西勇さんに登場を願った。寺西さんは、国際プロレス14年7ヵ月の歴史の中で屈指のテクニシャンと呼ばれた人物。まだ日本にルチャ・リブレが知られていない時代にショルダースルーをクルッと1回転して着地するなど、華麗な空中殺法を披露していた寺西さんは、日本ジュニア・ヘビー級の元祖的レスラーなのだ。

 私が取材で寺西さんとお付き合いするようになったのは、81年8月に国際プロレスが崩壊し、はぐれ国際軍団としてラッシャー木村さん、アニマル浜口さんと新日本に上がるようになってから。静岡県西伊豆の雲見での国際軍団合宿は泊まり込みで取材したし、その後、維新軍団→ジャパン・プロレス→全日本プロレスと、ずっと私の取材対象だった。今回、お会いしたのは92年に全日本で一度引退して以来だから、実に19年ぶり。65歳になった寺西さんは昨年秋に事故に遭って決して体調はいいわけではなかったが、気持ちは昔と変わらずに元気いっぱい。

 寺西さんがデビューしたのは、アントニオ猪木が豊登と共に1966年10月に旗揚げした東京プロレス。国際プロレスの話だけでなく、東京プロレス入りの経緯、当時23歳だった猪木との出会い、旗揚げ戦とその実情、猪木との別れなどについても聞いているので、ぜひ読んでいただきたい。

投稿者 maikai : 13:51 | コメント (2)

2011年09月21日

ハッピーバースデー!

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 今日は百田光雄さんの63回目の誕生日。それに先がけて昨夜、新宿でサプライズのバースデー・パーティが催された。何がサプライズかと言うと…光雄さん本人には内緒で天龍さん、折原昌夫、天龍プロジェクトの嶋田紋奈代表が企画したもの。あらかじめ参加者はパーティー会場に集まり、天龍さんと折原が打合せということで光雄さんを会場に誘導した。光雄さんが入ってくるなり、参加者は「ハッピーバースデー!」と共にクラッカーで歓迎。さすがに光雄さんもビックリだ。

 昨年あたりは2011年での引退をほのめかしていた光雄さんだが、天龍プロジェクト、SAMSHで定期的にファイトすることで元気いっぱい。

「どこまで出来るかわからないけど、こうなったら70歳になっても現役で試合をしたいね。人間、鍛えれば、ここまで出来るんだっていうのを見せていきたいよ。そこまでやれれば、天上の父(力道山)も褒めてくれるかな」と光雄さん。トレーニングを欠かさず、体はガッチリしているし、何と言っても負けん気の強さは半端じゃない。このままプロレス道を邁進してください。改めて…誕生日、おめでとうございます!

投稿者 maikai : 09:15 | コメント (1)

2011年09月20日

Gスピリッツ最新号は橋本特集&ボック・インタビュー!

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 9月28日(水)発売のGスピリッツ第21号の表紙&主な内容を公開します。

【特集=橋本真也 爆殺の記憶】
<証言>
馳浩
天龍源一郎
AKIRA
ドン荒川
KENSO
永島勝司
山口日昇

【巻頭スペシャル=地獄の墓掘人は生きていた!】
独占キャッチ!衝撃の2万字インタビュー=ローラン・ボック

【特別企画】
木村政彦のプロレスラー時代=知られざる海外遠征の足跡

【連載】
実録・国際プロレス=和製カーペンティア 寺西勇
オーストラリアのプロレス史=カール・ゴッチに5回勝った男
キム・ドク インタビュー後編
ミル・マスカラスが「悪魔仮面」と呼ばれた時代=第4回
アリーバMEXCO=カルロフ・ラガルデ

投稿者 maikai : 15:01 | コメント (2)

2011年09月19日

全日本プロレスの今

 武藤・全日本から内田・全日本へ。武藤敬司から内田雅之氏に社長が交代したというだけでなく、ここにきてリング上も確実に新たな世界に変わりつつある。これまでは誰が三冠王者であろうが、誰が主役に座ろうが、全日本プロレス=武藤の世界だった。だが、徐々に武藤の匂いが薄れてきているのだ。

 それは馬場時代をひっくるめて全日本の過去・現在・未来のすべてを背負おうという諏訪魔が三冠王者として中央に構えていることが大きい。諏訪魔は10月23日の両国で四天王時代を知るノアの秋山準の挑戦を受けて、あの熱い90年代をも自分に取り込もうとしている。そして、その諏訪魔をさらに若い世代の真田聖也らが追う姿は、かつての超世代軍を思わせる。

 今日19日には昼間に後楽園ホールで興行が行われたが、メインのリングに立ったのは世界ジュニア王者のKAI。KAIは後楽園3大会連続でメインを務めたことになる。これも新しい時代の風景と言っていい。さらにKENSOは『TEAMビチッと!』を結成して独自の世界観でお客を楽しませているし、征矢学にしても大森隆男にワイルド・コントラ・ワイルドで噛みついて自分の存在感をアピールした。それぞれに新しい時代に向けて、自分の意思・主張で動き始めている。

 さて、この状況で注目したいのは武藤だ。このまま新たな時代に移行するのを歓迎して黙って見守るのか? それとも何らかのアクションを起こすのか? 武藤の匂いが薄れてきているからこそ、ここで武藤が動いたら、それは逆に大きなインパクトになるはず。どういう流れが生まれるにせよ、全日本は目が離せない魅力的な団体だ。

投稿者 maikai : 17:56 | コメント (2)

2011年09月18日

あと2ヵ月弱の“やり過ぎぶり”に注目!

 私が澤宗紀というプロレスラーの存在を知ったのは04年だっただろうか。SWSでリングアナを務めていた鳴海剛氏が立ち上げたrという団体に所属していたから名前だけは知っていたのだと思う。04年当時、私は日本スポーツ出版社の編集担当執行役員という立場で何とか会社を立て直そうとしていた時期で、GAORAの全日本プロレス中継解説以外はほとんどプロレス会場に顔を出せなかったし、一昨日も書いたようにこの年の9月15日付で退社するなど身辺がゴタゴタしていたので、プロレス界の細部の情報には明るくなかったのだ。

 年が明けて05年、新たにフリーとして週刊ゴングの仕事をするようになり、任されたのが増刊号のプロレス名鑑の編集。ここでランジェリー武藤の存在も知ったのだが、初めは澤宗紀=ランジェリー武藤とは思ってもみなかった。ところが週刊ゴングの取材記者が集めてくれた選手へのアンケートを見ると、2人の基本的なプロフィールはほぼ一緒。「ひょっとして、同一人物?」と思い、後楽園ホールで澤と会った時に「ランジェリー武藤だよね?」と聞いたら「はい、スミマセン(笑)」。これが澤との初めての会話だった。

 当初、澤宗紀とランジェリー武藤は別人格だったように思う。澤としてのバチバチ・ファイト、ランジェリーとしてのコミカルなファイトの振り幅の広さに感心したが、いつしか澤宗紀というひとりのレスラーにすべての魅力が集約されていった。これは凄いことだ。

 そんな澤は11月5日の新宿FACEにおけるバトラーツ解散興行の数日後に引退する。いつも元気で、大人げなくて、変態な澤だが、神経は細やかだし、頭も働く。「バトラーツ解散の日に引退しようとも思ったんですけど、その日に引退試合をやると話題がブレるので…」と客観的に分析出来るのだ。引退については…私は、澤に限らず誰が引退を表明した時でも「お疲れさまでした」しかない。結局、本当の理由は本人にしかわからないものだし、その人の人生の大きな決断だからだ。

 さて、昨日は後楽園ホールでゼロワンの天下一ジュニア準決勝&決勝戦。引退が決まっている澤にとって最後の参加。そして準決勝で横須賀享、決勝でフジタ“Jr”ハヤトを撃破して見事に優勝を飾った。

 享、ハヤト共に勝っても負けても澤とのリング上の時間をとても大事にしていたように見えた。特にバチバチとやり合って負けたハヤトは号泣。ハヤトは優勝した時の願い事としてゼロワンで自分のプロデュース興行をやってもらって、そこで澤の引退試合の相手を務めることを発表したかったという。それが叶わなかったことへの悔し涙でもあろうし、同時に天下一ジュニア決勝という大きな舞台で澤との最後のシングルマッチを思い切り戦えたという感涙だったと思う。

 ハヤトは試合後に「俺が“やり過ぎぐらいがちょうどいい”を引き継ぐ。みちのくでも他の他んでも、俺が“やり過ぎぐらいがちょうどいい”で臨みます」と言った。プロレス界という枠から見たら、澤は決して大きな存在ではないかもしれないが、こうして継承してくれる若いレスラーがいるということは、澤にとってはレスラー冥利に尽きるだろう。

 優勝した澤本人は努めて明るく普段通りに振る舞っていたが、もうひとり涙を堪えられなかったのは、願い事として引退試合の対戦相手に指名された日高郁人だ。

「こいつ、体ボロボロなんですよ。決勝戦見守りながら、こいつの心が折れないように檄飛ばすので一生懸命でした。俺が澤宗紀を、責任を持ってプロレス界から送り出します。後輩であり、弟のような男を先に送り出すのは複雑だけど、もう一度リングに上がりたいとか、そんな気持ちを2度と起こさないように精一杯、送り出します」と涙ながらに語った日高。そんな日高に「泣かないで」で声をかける澤の柔らかな表情が印象的だった。

 体のダメージは本人しかわからないもの。でもきっと澤は最後まで“やり過ぎぐらいがちょうどいい!”と全力で駆け抜けるに違いない。

「バトラーツの戦う営業、戦う広告塔としては、解散興行のチケットが立ち見以外完売になって退職前のひとつの仕事をクリアー出来ました。次の大仕事はバトラーツに所属したレスラー全員を解散興行に集めることです。みんな大人げなくて、仲が悪くて大変なんですけど、僕が必ずやってみせます。そして、その数日後、日高さんと引退試合をさせてもらいます」と澤。あと2ヵ月弱、澤の“やり過ぎぶり”を見届けよう!

投稿者 maikai : 14:08 | コメント (1)

2011年09月17日

乾杯!

 ダイアリーの再開に際して温かいコメントをいただき、ありがとうございました。Gスピリッツの情報については、編集部の意向に沿う形で来週初めぐらいから出していけると思います。

 さて、昨日はドラゴンゲートの後楽園大会。メインはYAMATOと戸澤陽のノーロープ&ノーDQマッチだった。ノーロープということはロープワークを使ったファイトが出来ないし、体でリングの大きさを把握していないと動けない。両者の基本的な技術が試される試合だったと言ってもいい。

 YAMATOはプロレス入り前に4年間、和術慧舟會に所属して『パンクラス・ゲート』でも試合経験があるだけに、この手の戦いは得意。元々が「どうやったら、技を極力使わないで面白い試合を作り上げられるか?」という考えの持ち主でもあり、私のお気に入りの選手のひとりだ。序盤は当然バックの取り合い、関節の取り合いと地味な攻防になり、やたらと「喧嘩をやれ!」という無粋な野次も飛んだが、顔面踏みつけ、アキレス腱固めなどの攻めはYAMATOの真骨頂だったと思う。

 一方の戸澤は、YAMATOに対応しつつ、ヒールとしての味をきっちりと発揮。スパナの使い方も巧かったし、最後にフォールを奪ったパッケージ・ジャーマンも、鉄板を隠しておいたキャンバスの上に叩きつけるという味な仕掛け。かつての戸澤塾、メタボリック・ブラザースというコミカルな時代を感じさせずに自己プロデュースしているのは立派だ。

 帰宅後は独立7周年を祝って、妻とシャンパンで乾杯! さあ、今日はゼロワンの後楽園大会…天下一ジュニアの決勝だ。

投稿者 maikai : 11:07 | コメント (2)

2011年09月16日

今日は独立記念日

 2004年の9月16日、ちょうど今頃の時間に千代田区神田駿河台の出版健保にいた。健康保険を任意継続に切り替えるためだった。それは日本スポーツ出版社を退社して、43歳にして無職になったから。野に放たれてから丸7年、今もこうしてプロレス業界で生きていることは感慨無量の一言に尽きる。毎年9月16日になると、心は04年の同じ日に帰り、また新たに頑張っていこうと思う。私にとっては初心に戻る独立記念日なのだ。

 考えてみると9月というのは私のキーポイントになっている月。5日は誕生日で、今年50歳を迎えた。そして07年9月5日には今の私の主戦場であるGスピリッツが創刊された。10日は私が辛い時期に温かく見守り続けてくれた母方の祖母の命日でもある。

 あれから丸7年経った今日、原稿を一本仕上げてドラゴンゲートの後楽園ホールに行く。当たり前の日常だが、つくづく幸せな日々を送っていることに感謝したい。

 さて、このダイアリーを2ヵ月以上も休んでいたことをお詫びします。多くの方々にご心配をおかけしました。実は7月下旬に転居、8月からこれまでの日々はGスピリッツ第21号の取材&原稿書き、その他、諸々の仕事に追われて更新する時間も気力もありませんでした。

 8月下旬、久々に馳浩に会った。彼は毎朝午前4時前後に起床して国会議員として多忙な毎日を送っているにもかかわらず、毎日、ブログを更新している。そのことを聞くと「プロレスラー時代に毎日練習していたのと同じですよ。朝起きて、ブログを書くことによって前日の復習をする。そしてその復習は今日の予習にもなるんです!」とキッパリ。いやあ、さすが馳センセ―は違う!

 ということで馳センセ―には敵いませんが、独立記念日を機にダイアリーを再開したいと思います。また、途中でプツッと途切れることもあると思いますが、懲りずにクリックしてください。今後ともよろしくお願いします。

投稿者 maikai : 12:43 | コメント (4)