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2011年06月29日

世代を超えて革命児の競演!

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 昨日は7月4日午後11時から放映されるサムライTVの対談番組『Versus』の収録。今回の顔合わせは天龍源一郎vsKENTAという“昭和の革命児”と“平成の革命児”の激突。あの激しかった天龍革命(レボリューション)を取材している人間として両雄の仲介役を務めた。

 2人の接点は05年に天龍がノアに参戦した時。タッグで何度か対戦しているし、シングル対決も実現(同年10月8日=後楽園ホール)している。さらに静岡の宴席では天龍がKENTAに「さあ、飲めよ!」とリング外の得意技(?)を炸裂させている。「あの時は…気付いたら、トイレで便器を抱えていました」(KENTA)とのことだが、普段はあまり飲まないKENTAが「飲みますよ!」と、ググーッと飲んだことは龍魂に響いていたようだ。

 年齢差31歳。KENTAは天龍が最後のアメリカ修行を終えて帰国した81年3月に生まれている。天龍革命が勃発した時は幼稚園の年長組。そう考えると世代のギャップは凄いが、全日本に危機感を持って天龍革命をスタートさせた天龍と、ノアに危機感を持ってNO MERCYを結成したKENTAは意気投合。これ以上はネタバレになってしまうので書けないが、今必死にもがいているKENTAにとって、天龍がいかに当時の強固な全日本の体制を変えていったか、何を支えに突っ走ったかなどの話は貴重だったはずだ。収録後も控室でしばらく天龍の話を熱心に聞いているKENTAの姿があった。

 天龍革命時代の天龍&阿修羅・原の龍原砲は、対戦する正規軍の選手と交わるのを嫌って、電車やリング屋さんのトラックに乗って単独で会場入りするほどシビアだった。そんな天龍革命の凄さや覚悟をもっともよく知っているのは、実はKENTAが標的としている仲田龍GMだ。当時、リング屋さんでもあった仲田GMは天龍革命の支持者でもあった。仲田GMは今回の天龍とKENTAの意気投合をどう感じるだろうか? 今日の東スポで記事になっていたが、天龍がNO MERCYの相談役になったら面白い展開が生まれそうな予感がするが…。

投稿者 maikai : 14:39 | コメント (2)

2011年06月26日

Gスピ第20号は…90年代の全日本プロレス!

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 6月29日(水)に発売されるGスピリッツ第20号の表紙画像が編集部から送られてきた。今号の総力特集は『90年代の全日本プロレス』。全日本プロレスは72年10月の旗揚げから80年代半ばまで豪華外国人選手を招聘しての日本人vs外国人、外国人選手同士の夢の対決が主流だった。85年のジャパン・プロレス参戦から徐々に日本人対決が主流となり、80年代後半は天龍革命勃発による鶴龍時代となり、天龍離脱後の90年代は超世代軍を経て四天王プロレス時代へ…。保守的に見える全日本だが、実は歴史の中で大きく変化しているのだ。そんな中で全日本全盛期と言われる90年代を今号では分析してみた。

 この総力特集『90年代の全日本プロレス』の証言者はすべて私が取材した。業界キャリア順に紹介すると、まずは渕正信。渕にはこれまでもGスピでいろいろなことを語ってもらっているので、今回はあえて90年代の外国人選手について取材した。日本人主流の中で外国人選手はどんな感情を持って戦っていたのか、そして外国人選手同士の葛藤など、これまであまり触れられなかった“90年代ガイジン列伝”だ。

 続いては和田京平レフェリー。京平さんは全日本プロレスの創成期から現在まで、レスラーを最も間近で見てきた。全日本が旗揚げした72年にリング設営スタッフとなり、74年11月にレフェリー・デビュー。70年代から80年代中盤まで中堅クラス、前座試合を裁き、87年からは天龍同盟の激しい試合を担当、90年代は鶴田軍vs超世代軍、四天王プロレスのメイン・レフェリーを務めて、先日の6・19両国の三冠戦まで裁いてきた全日本の生き字引。テーマは“全日本のすべての時代を裁いてきた和田レフェリーが見た90年代の全日本プロレスとは”だ。この取材は東北巡業に出る前の5月初めに行ったもので、結果的には京平さんが全日本のレフェリーとして全日本を語るのはこれが最後になった。京平節をご堪能いただきたい。

 現在、ノアのGMを務める仲田龍氏も京平さんと同じく全日本創成期からフロント及びリングアナとして活躍した人物。三沢光晴さんと仲が良く、馬場さんの側近でもあった龍氏には“90年代の全日本においてジャイアント馬場が理想としていたのは何だったのか”“馬場に代わって現場を掌握した三沢の三沢革命とは何だったのか”を中心に聞いてみた。

 レスラーとしては、まず川田利明だ。90年代の全日本プロレスを牽引したのは三沢だが、そこに川田利明というアクを持った異彩を放つ存在がなければ、あれほどのインパクトは生まれなかった。三沢の死後、リングに上がる機会が減り、昨年夏からは長期休業状態になっている川田にとって“あの熱き時代”は何だったのだろうか? 入門は昭和世代の82年。昭和と平成のプロレスラーの環境、気質の違いについても突っ込んでいるのでお楽しみに。

 レスラーとしての2番手は菊地毅。菊地が全日本プロレスの門を叩いたのは87年3月。長州力らのジャパン・プロレス軍が大量離脱した時期だった。その後の天龍革命、そして超世代軍、四天王プロレスと続く全日本の過渡期の時代と言っていい。そんな菊地が体感した80年代末期、90年代の全日本プロレスとは?

 完全な90年代デビューの選手として取材したのは大森隆男。大森はあの秋山準と同期(正確には秋山が1ヵ月先輩)ということで、ある意味で特殊な環境で育った。80年代生まれとは違う90年代世代の大森の話は新鮮だ。

 そして最後は“青い目の馬場遺伝子”太陽ケア。全日本では過去、プリンス・トンガやジョン・テンタがデビューしているものの、まるっきりの新弟子として入ってきた外国人はケアのみ。2000年6月の分裂騒動後もノアに移籍せず全日本に留まり、体制が変わった武藤敬司率いる全日本で今もなお馬場・全日本スタイルを貫いている。ケアに宿っている馬場の王道哲学、そして90年代の全日本とは…。ケアが語る師匠・馬場との出会いから現在に至るまでのトゥルー・ストーリー、その過程で培ったプロレス観に耳を傾けてほしい。そこにはアメリカのレスラーとは違うハワイアンの感性も垣間見ることができるはず。

 ぜひ、読んでください!

投稿者 maikai : 14:12 | コメント (2)

2011年06月25日

革命点火!

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 天龍プロジェクトが昨年12月14日の新宿FACE大会以来、8ヵ月ぶりに興行を開催することが決定した。8月21日、新宿FACEで『革命点火 REBORN』と銘打って開催される。革命点火は92年7月にWARが旗揚げした時の大会名でもある。

 なお、諏訪魔&嵐&石井智宏が保持する世界6人タッグ王座は、諏訪魔が天龍に王者の権利を譲ったことで天龍&嵐&石井組になった。私は別の取材が入っていたために昨日の会見には行けなかったが、天龍の口から今後の王座防衛の相手として菊池孝さん&門馬忠雄さん&私のマスコミ・トリオの名前も出たとか…。これは丁重にお断りしよう(苦笑)。

 しかし、その前に私は別の形で天龍と対峙する。7月8日にアントニオ猪木酒場・新宿店で天龍のイベントが開催されるが、そこでトークショーの司会を務めることになったのだ。イベントの詳細は以下の通り。天龍節を最大限に引っ張り出そうと思っているので、ぜひ、お越しください!

<日時>7月8日(金) 19:00~21:30(18:00受付開始)
<場所>アントニオ猪木酒場・新宿店
<会費>8000円(非売品Tシャツ付き)
<内容>天龍源一郎トークショー
      飲み放題&コース料理
      天龍&天龍プロジェクト・グッズ販売
      サイン&ツーショット撮影OK!
<申し込み>http://www.teamfullswing.com/まで

 目玉はイベント参加者全員にプレゼントされる非売品Revolution Tシャツ! また、8・21新宿FACE大会のカードも発表される。会場の都合上、先着150名限定となるそうなので、早めの予約を!

 では7月8日、アントニオ猪木酒場でお会いしましょう。

投稿者 maikai : 11:18 | コメント (1)

2011年06月16日

ビチーッ!

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 昨日はKENSO&モッキー(元井美貴さん)とサムライTV『S-ARENA』に出演。実はKENSOと同番組に出演するのは7年ぶりのこと。当時はKENSOではなく鈴木健想。WJプロレスで長州力に反旗を翻していた頃で「WJはインディーなのにメジャー面してるからダメなんですよ」「ストロング・スタイルなんて昭和が作った宗教はやめた方がいい」「健介は新聞とかで長州がムカつくとか言ってるけど、ウソ臭いんですよ。所詮は長州のイエスマンなんだから」等々、刺激的なことを言っていたものだ。

 7年ぶりのKENSOは“世界一空気が読めない男”に変貌。「私は、実は試合前も震えるぐらい緊張する男なんです!」と控室で意外な告白をしたが、リハーサルが始まるや「ビチーッ!」に始まり、「普通の日本人の平熱は36度ですが、私は41度! 情熱の塊であります!」と、いきなりのハイテンション。「私、このテンションで1時間スタミナがもつか不安であります!」と、リハーサルからヘロヘロ状態になってしまった…。

 とにかくKENSOは不思議な魅力を持った男。訳のわからないことを言う一方では、かつて付き人を務めた橋本真也の愛息・大地のファイトを見ると目をウルウル。控室でも愛犬の話になると目をウルウルさせていた。

 そうそう、番組の最後にメッセージで「以上!」の決めゼリフが入らず、収録後に「一気にテンションがガクーッと下がってしまいました…」と、落ち込んでいたが、ぜひ次の機会にリベンジを。


 今、全日本はいろいろな問題を抱えて苦境に立たされているが、会場でKENSOのテーマが流れ、あの摩訶不思議なパフォーマンスを見せつけられると、何だか心が落ち着いちゃったりする。それはファンも同じだと思う。“世界一空気が読めない男”はいつしか“全日本一番の癒し系”になったと言っていいかもしれない。

 では、皆さんご一緒に「ビチーッ!」

PS.平井選手の事件について、数多くのコメントをいただきました。きっちりと読みました。ありがとうございました。ただ、ファン同士の言い争いになるのは本意ではないので一切、掲載しないことにしました。ご了承ください。

投稿者 maikai : 11:34 | コメント (1)

2011年06月12日

平井選手の事件について

 5月30日からこのダイアリーを自粛してきた。これまでの間、様々な大会を取材してきたが、最初に書くべきことは平井選手の件だと決めていた。だが、憶測で書くのは嫌だったから更新出来ないままでいた。本日の後楽園ホールで全日本プロレスの新社長に就任した内田雅之氏から観客に対してお詫びと所信表明があったので、これを機に書こうと思う。

 まず個人的な感情から書かせていただく。平井選手とは90年夏にSWSの第1回練習生公募オーディションに合格してからのお付き合いだし、TARUにしても96年夏にWARに参戦してからの付き合いだけにやはり心中は複雑だ。素顔のTARUについては礼儀正しく、腰が低い人物という思いがあるし、この世界ではどんな理由があるにせよ、後輩が先輩に暴行を働くというのは有り得ないことだけに、今もなお「なぜ?」という気持ち、ぶつけようのない怒りと悲しみがある。

 今、表面に出ているのはTARUがVMの控室からジョー・ドーリングとレネ・デュプリの2外国人選手を控室の外に出し、KONO、稔、MAZADAの3人を残した中で“個人的、ビジネス的、プライベートの部分のいざこざ”から平井選手に暴行したこと。他の3選手は手を出さなかったこと。異変に気付いた和田京平レフェリーが止めに入ったこと。隣の控室で大声を聞いた内田氏がVMの控室に行ったところ、TARUが出てきて「お騒がせしました」と謝罪したことで暴行の事実を把握していなかったこと。だが、真相究明は困難を極めると思う。何より被害者の平井選手の意識が回復していないからだ。現時点では加害者側、その場を目撃したとされる人たちの断片的な記憶しか材料がないからだ。それを事実として公表したとして、平井選手のご家族にしてみたら納得がいかない部分が出てくるだろうし、平井選手の意識が回復して違う証言をしたら話が全然違ってきてしまう。真相究明は時間がかかる作業だということを認識していなければならない。

 当日、GAORAの中継があり、私と鍵野威史アナウンサーも現地に飛んだが、あいにくの台風で飛行機が遅れ、会場入りは収録の打合せギリギリ。よって試合前の雰囲気は把握していない。また、早い時間から会場入りしていた番組スタッフも、まったく気付かなかったという。気付かなかったのは選手も同じようで、事件が明るみになった後、私の方が「何があったんですか?」と聞かれたほどだった。

 さて、全日本の対応は、本人の告白を受ける形でTARUを無期限出場停止、その後、VMの解散、控室にいたとされるKONO、稔、MAZADAの3選手も無期限出場停止処分にした。TARUは当然としても、VM解散と3選手の処分は厳しいものだと私は受け止めている。VMの解散は、全日本マットの構図を根本から崩すものだし、3選手は止めに入ったかもしれないのにもかかわらず処分されたのである。真相がハッキリしない以上、灰色も処分する。これは武藤にとっても苦渋の決断だったと思う。

 そして武藤の社長辞任。武藤がなかなか会見しないことに非難が集中したし、ようやく会見をしたと思ったら、その場での社長辞任発言に「責任から逃げるのか!」という声も上がった。しかし、どんな会見をやったとしても、非難を浴びたのではないか。社長の時点での武藤の責任は、真相究明はもちろんのこと、会社の社長としてレスラー、社員、その家族の生活を守ること。当然だが、平井選手の事件が賠償問題に発展した時に「ウチの会社は何も出来ません」ではお話にならないのである。各方面への謝罪や、後任人事等の調整に奔走していたことで会見が遅れたことは想像に難くない。辞任を「責任逃れ」と批判するムキもあるが、社長を降りたからといって責任から逃れられるはずがない。これは社長であり、管理責任者でもあった武藤として、その時点で出来得る責任の取り方、けじめだったと解釈している。2002年10月に全日本の社長に就任し、これまでの9年間、もがきながら馬場・全日本を武藤・全日本に変えてきた。来年は全日本創立40年、武藤にとっては社長就任10年の節目の年だった。それを目前にしての辞任は正直、無念だったはず。そこには「グレーゾーンの3選手を自らの手で処分した以上は、自分自身も処分するべき」という気持ちがあったことだろう。

 こうした私の文章に武藤擁護に回っていると思う人もいるに違いない。でも私は、現時点で公になっている事実を前にこう感じているのだ。

 一番悲しいのは「全日本は潰れろ」とかいう声が出ることだ。確かに今回の事件は平井選手とそのご家族はもちろん、プロレス界全体に多大な迷惑をかけた。その責任は負わなければならないが、リングに上がっている選手は、様々な想いを抱えながら、その日の試合を精一杯戦っている。そんな彼らをなぜ応援してあげられないのか? 責任を負い、償うのは当然としても、全日本プロレスが無くなるべきと考えるプロレスファンがいたとしたら実に悲しい。もしそうなったらプロレス業界全体が、それこそ計り知れないダメージを受けるのである。

 いろいろと書き連ねたが…私の祈りは、平井選手が1日も早く回復すること、そして全日本プロレスが再生することです。

投稿者 maikai : 20:46 | コメント (0)