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2011年04月29日

IGFに感じた昔の新日本の匂い

 アントニオ猪木のオモチャ箱IGFにはいつも新鮮な発見がある。立ち上げ当初は、ファンの目的はあくまでも猪木のパフォーマンスで、試合はどうでもいいような感もあったが、大会を重ねるごとに独自のカラーが出来上がってきたように思う。レジェンドがいれば、ルチャ・ルブレやアメプロもあり、総合格闘技的な匂いの試合もある。そしてクセになってしまうのが「何が起こるかわからない」というハプニング性だろう。ある意味でお金を払って観に行くのは賭け。長州が言うところの今のプロレスのオープンキッチンではないのだ。

 さて、昨日は久々に面白い異種格闘技戦を観ることができた。猪木全盛の頃はプロレスファンは異種格闘技戦に熱狂したものだが、総合格闘技が生まれ、MMAが確立されてからは、プロレス的な異種格闘技戦は過去の遺物的なものになってしまった。その曖昧さが目の肥えたファンには受け入れられなくなってしまったのである。

 ところが昨日の鈴川真一とジェロム・レ・バンナの異種格闘技戦には、猪木時代の匂いがあった。「K-1番長の打撃か、鈴川のマーダービンタか!?」というわかりやすいテーマの中でバンナの容赦ない鉄拳に鼻血を出しながら何度も立ち上がる鈴川の闘志が観客を興奮させた。技術論を持ちだしたらおしまいだが、細かいことを抜きにしたプロレス的な異種格闘技戦を見せてくれたと思う。これまでマーク・コールマンとのデビュー戦に始まり、モンターニャ・シウバ、ボブ・サップ相手に連勝を重ねてきた鈴川にとってはいい経験になっただろうし、その上で「勉強になりました。何かを伝えられるファイターになりたいと思います」というコメントには勝敗だけではないプロ意識が感じられて好感を持った。

 さて、個人的に昨日のベストバウトは第1試合の鈴木秀樹&定アキラvsタカ・クノウ&澤宗紀のタッグマッチ。闘志剥き出しに気持ちと技術をぶつけ合う攻防は気持ちがよかった。決してキレイな試合ではないし、大技の攻防もロープワークもないが、それは私が子供の頃に観ていた新日本の前座試合を思わせるもの。プロレスが持つ闘いの迫力を感じさせて漏れるものだった。

 中でも宮戸が主宰するスネークピット出身のプロ第1号選手の鈴木秀樹は注目すべき選手だ。話題的には鈴川や澤田敦士に隠れているが、188センチの体は魅力だし、ファイティング・スピリット旺盛でテクニックも確か。経験を積んでいけば、化ける逸材だと思う。

 なお、橋本大地と藤原喜明の激突については、5月1日にアップされる週プロモバイル『サンデー・小佐ポン』で書いているので、そちらを読んでください。

投稿者 maikai : 18:30 | コメント (0)

2011年04月27日

22年4ヵ月の空白を経て…天龍vs輪島!

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 5月1日午後11時からサムライTVの対談番組『Versus』で天龍源一郎vs輪島大士という顔合わせが実現する。収録は4月13日の『チャンピオン・カーニバル』優勝戦当日の昼過ぎということで“陰の声”を担当する私にとってはハードなスケジュールになったのだが、実際には私が口を挟むことはほとんどなかった。

 2人が顔を合わせたのは88年暮れに輪島さんが引退して以来だから実に22年4ヵ月ぶり。輪島さんは天龍プロジェクトの代表を務める天龍さんの愛娘・紋奈さんが大人の女性になっているのにビックリ。当時は幼稚園生だった紋奈さんにとって輪島さんは「美味しいメロンを下さるおじさん」だったようだ。それだけ月日が流れているのに空白を感じさせずに天龍さんがリードする形で対談は進んだ。あの前田日明が「このままだとUWFが霞む!」と危機感を抱いたほどの天龍さんの輪島さんに対する厳しい攻め。それは「相撲の横綱はこんなもんじゃないんだよ!」という天龍さんなりのメッセージだったし、それを輪島さんも受け止めていた。そういう根っこのつながりがあるから、何もわだかまりがなく再会して昔話に花を咲かせることが出来たのだと思う。

 私にとっておふたりとの思い出は、輪島さんがデビューした直後の86年11月にジャンボ鶴田さんも含めて1週間ほどノースカロライナ州シャーロッテのモーテルで1週間ほど一緒に過ごしたこと。モーテルの1階にある『東京レストラン』で皆さんと呑んだり、輪島さんお手製のオニギリを御馳走になったり、輪島さんが発進させた車が電柱に激突しそうになって、天龍さんが笑い転げたことなどが思い出される。

 2人の対談はかなりマニアックな相撲時代の思い出話からプロレス、馬場さんのことなど多岐にわたった。収録は放送時間よりオーバーしてしまったので、おそらく相撲時代の話は編集されていると思うが、あの天龍革命が吹き荒れた激しい全日本プロレスに夢中になっていた人には特に観ていただきたいと思う。

投稿者 maikai : 10:52 | コメント (1)

2011年04月26日

充電完了!

 3週間のご無沙汰です。この間、ダイアリーが更新されないということで、いろいろな人から心配されてしまったり、このHPの管理人さんからも怒られてしましました。

 GスピリッツVol.19の原稿をすべて書き終わって、ようやくひと段落というところで震災が発生。それによってスケジュールが大きく狂い、あれよあれよという間に4月に突入してチャンピオン・カーニバル全戦解説と他のテレビの仕事、原稿書きが「これでもか!」と重なって、ダイアリーで何かを発信するまでのエネルギーが残っていなかったというのが正直なところです。フリー稼業というのは基本的に年中無休なので、どこかで自分で強制終了をしないと体が持ちません。ということで、先週、89年9月の『ジャイアント・シリーズ』の取材以来、実に21年7ヵ月ぶりに沖縄に行ってきました。

 沖縄と言えば沖縄プロレス。24日にはDDTも興行を開催しました。でも今回は強制終了ということでデルフィンには申し訳なかったけれど、那覇を通過して読谷村の残波に5日間滞在してプロレスから完全に離れ、DDT興行が行われた24日に帰京しました。

 充電完了ということで昨日から早速原稿書き、夜はサムライTV『S-ARENA』出演と、すぐさま社会復帰。S-ARENAには明日27日に新木場で3度目の自主興行を行う大阪プロレスの政宗と一緒に出演しました。この政宗興行では政宗&空牙&ヲロチのJOKERとフジタ“Jr”ハヤト&日向寺塁&ラッセの九龍の大阪プロvsみちのくのルード・ユニット対決、GENTARO&ヤス・ウラノvs澤宗紀&矢野啓太のマニアックなタッグ対決、松山勘十郎vsアントーニオ本多の面白対決など、政宗が頭の中で描いた「自分が組みたかったカード」がズラリ。震災チャリティーということで、収益及び募金を元手に大会終了後には車で仙台に炊き出しに行くとのこと。政宗自身、被災した青森県八戸の出身。プロレスラーたちが震災に際してそれぞれにコツコツと活動していることを嬉しく思います。

投稿者 maikai : 12:14 | コメント (0)

2011年04月05日

超満員の新日本に感じたこと

 一昨日の新日本プロレス後楽園ホール大会はよくお客さんが入った。当日の立ち見券を増やした上での完売だ。地震が起きたら、停電になったら、電車が動かなくなったら…等々、先が見えないために前売りチケットが売れず、当日券頼りというのが現状で、どの団体も苦戦している中、超満員になったのだから、プロレスに関わっている人間としては嬉しい限り。「NJC後の後楽園は面白い」というのが定着した証拠だろう。そういうファンの信頼の積み重ねが本当に大事なのだ。

 実際、お客さんのノリもよかった。坂口(征二)さんは「お客さんの気質が変わったよなあ」と言っていたが、確かに手に汗握って観戦するというよりも、楽しんでいる感じ。今の新日本はメジャー、インディーの区別も、スタイルの違いも関係なく様々なプロレスのエッセンスを取り込んでひとつのショーを提供するプロレスの総合デパートと言っていい。それが支持されているのだから、これも時代の流れなのだ。しかし、メインでは永田裕志が伝統のストロング・スタイルをアピールする。そのバランスがいいのだろう。

 様々なプロレスを堪能した後のメインの棚橋弘至vs永田のIWGP戦がキッチリと締めた。テーマは王者・棚橋の“俺のスタイル”と永田の“ストロング・スタイル”の激突。スタートは前に出る永田に対して、チャラくいなすような棚橋。これによって試合のテーマがさらに明確になった。打撃、サブミッションを軸にあくまでもシビアに攻める永田と、試合が転がり始めればそれを真っ向から受け止める棚橋。35分の長丁場の試合になったが、両者ともにコンディションがよく、ダレることのない緊張感あるいい試合だった。

 今年の目標を「アンチエイジング!」とする42歳の永田のコンディションのよさは特筆もの。敗れはしたが「時代が変わりつつある新日本の中で存在感を示した」と胸を張った。今の新日本ではベテラン選手の居場所が狭くなりつつあるが、新日本が様変わりしたからこそ、昔の匂いを持つ永田や中西の存在感は逆に重要だ。これからも若い力に抗って存在感を示してほしいし、今のコンディションならば全日本の『チャンピオン・カーニバル』での活躍も楽しみになってきた。

 一方の棚橋は、今や信頼を置ける新日本のエースになった。永田を受け止めたレスラーとしての器もそうだし、何より自覚である。試合後、キャラに似合わずに涙していたが、今の状況でのタイトルマッチにはプレッシャーもあっただろうし、いろいろな想いがあっただろう。特に2月20日に小島聡相手に初防衛戦をやった仙台の話になった時には感極まっていた。あの大会は久々の地方都市でのIWGP戦。新日本にとっては新たなマーケット開拓という意味で重要な大会だった。それが超満員になり、観客の熱狂度も凄かった。棚橋にとって思い入れが深くて当然。この永田戦は「応援してくれた仙台のファンに元気を届けたい!」という気持ちも強かったはずだ。

「ストロング・スタイルは、もう誰かがあるいてきた道だから、俺は自分の道を歩きます」と語った棚橋は、理想のチャンピオン像を「みんなが楽しんで、明るくなれば」と言った。かつてのキャッチフレーズの“太陽の天才児”が今の棚橋にピッタリくるような気がする。プロレス界を明るく照らしていってほしい。

投稿者 maikai : 11:20 | コメント (1)

2011年04月04日

天龍源一郎の存在価値

 昨日は2月4日の安田忠夫引退試合以来、天龍源一郎の2011年2試合目。ユニオンプロレス新宿FACE大会にTKG48会員番号17(おニャン子クラブで言えば城之内早苗!)として出場した。カードは天龍&高木三四郎&入江茂弘vs石川修司&菊地毅&妻木洋夫だ。

 まず感慨深かったのは天龍と菊地の激突。天龍革命で鶴龍対決全盛だった頃、菊地はジャンボ鶴田の付き人だった。いつだったかの鶴龍対決で、天龍がジャンボに逆片エビ固めを仕掛けた時、菊地が「鶴田さん、ロープ!」と、何とかジャンボがロープエスケープ出来るように必死にサードロープを押していたこともいい思い出だ。そして昨日が天龍と菊地の初対決だった。天龍のチョップ、グーパンチに怯まず前に出る菊地。フリーになってからの菊地の必死さには胸が打たれるものがある。

 若い妻木がムキになって天龍に突っかかっていったのもよかった。妻木は1986年7月生まれ。天龍革命の1年前、天龍がジャパン・プロレスとして全日本に参戦していた長州と抗争を繰り広げていた頃に生まれた若者である。普通なら戦うことなど考えられなかっただけに、これはレスラーとして大きな財産である。

 天龍と石川の絡みは鶴龍対決をイメージさせるものだった。石川は普段はあまり使わないジャンピング・ニーを決めて「オーッ!」。実は石川はおばあちゃんの影響で子供の頃は天龍派ではなくジャンボ派だったとのこと。鶴龍対決時代はプロレスから離れていて観ていなかったため、今回の対戦にあたってYouTubeやニコニコ動画で研究したという。

「天龍さんは怖さという今のプロレスで失われているところを持っていると思いました。僕も、楽しいこともするけど、怖いと思われるレスラーでいたいと思います」と石川。そう、みんなが先人から吸収出来るものはドンドン吸収すればいいのだ。

 天龍自身はまだ万全とは言い難いが、体調は明らかに上向いている。何より気力が充実している。これからも“プロレス”を若い世代に植え付けていってほしい。誰もが天龍に触れて何かを感じ、何かを学ぶ。そこにミスター・プロレスの計り知れない存在価値がある。

 夜の新日本プロレス後楽園大会については明日、書きます!

投稿者 maikai : 11:59 | コメント (0)

2011年04月02日

祝!折原昌夫生還!!

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 昨日の夜、嬉しいことがあった。折原昌夫からメールが来たのだ。

 折原は昨年11月7日のリアルジャパン・プロレス相模原大会で首を負傷、3週間後の11月28日のDDT後楽園ホール大会の試合後に下半身が麻痺して緊急入院した。首の負傷は突発的なものではなく、長年のダメージの蓄積によるもの。もし、昨年11月の時点で入院していなかったら、本当の怪我に気付かず、大変なことになっていたかもしれない。

 一度退院した折原は今年3月に手術することになった。なぜ4ヵ月も期間が空いたかというと、それだけ難しい手術のために医師と相談した上でのことだった。

「今は生きていること自体が喜びなんですよぉ」と言っていた折原が手術したのは3月28日。それからわずか4日後にメールを送ってくれたのである。

「手、足、首の痺れはいまだに再発していません。まるで新しい手と足をつけたような気がします」とのこと。

 きっと負けん気いっぱいの折原のことだから、実際にはキツイのに元気いっぱいなメールを送ってくれたのだと思うが、とりあえず一安心。手術が成功して本当に良かった。

 見た目は怪しくてもピュアな心は21年前の入門当時から何ら変わらない折原。そのピュアさゆえにあっちにぶつかり、こっちにぶつかりして生きてきたが、退院後は心と体を少し休めて、焦らずにリハビリに励んでほしいと思う。オリちゃん、まずは手術成功、おめでとう!

PS.写真はオリちゃんのメールに添付されていた手術後の写真です。

投稿者 maikai : 14:39 | コメント (0)

2011年04月01日

昨日からスタートした人生勝負

 本来ならば3月18日に行われる予定だったSMASHの1周年記念大会が昨日、後楽園ホールで開催された。27日のDDT後楽園ではビジョンを使わなかったが、昨日のSMASHでは照明等の電力を出来る限り抑えた上でビジョンを使用。SAMSHの世界観ではビジョンは不可欠であり、本当に苦肉の策だった。

 さて、1周年記念大会を3月中に開催したのには大きな意味がある。メインイベントがKUSHIDAvs大原はじめだったからだ。KUSHIDAは4月1日付で新日本プロレス所属になるため、この大原戦がSMASH卒業試合。もし大会が4月以降に延期されていたら、試合の意味合いがまるで変わってしまっていたのだ。

 SMASH旗揚げからKUSHIDAと大原はエースの座を巡るライバルだと認識されていた。だが、実際には2人の心が通じることはなかった。ハッスルを飛び出し、自分の可能性を伸ばすために単身海外に飛び出したKUSHIDAがSMASHに参加したのは師匠TAJIRIのオファーによるもの。大原は「自分が生きるための団体」、そして「自分がエースにならなければならない」とSMASHに参加したから、出発点からして違う。そして皮肉にもSMASHのエースになったのは「自分を高めるステップ」としてSMASHに参加したKUSHIDAだった。

 当初、WWE入りを目指していたKUSHIDAにとって、SMASHのエースの座は結果として自然に転がり込んできたもの。そこに大原に対するライバル心はなくても当然だ。いつだったかKUSHIDAに大原について聞くと「僕の人生の中に必要ないですね」とキッパリ言っていた。

 一方、大原には忸怩たる思いがあっただろう。一大決心でSMASH設立に参加したものの、結果が出せない。気付いたらKUSHIDAがエースの座にいた。苦しんだ揚げ句にFCFに身を投じ、やっと一筋の光明を見出したのである。

 昨日の試合はKUSHIDAにとっては一区切りの卒業式。いわば通過点だ。片や大原にとっては1年間苦しみ抜いて、ようやく掴んだ自分の団体のメインイベント。意識は全然違ったはずだ。

 大原が勝利したが、最後の最後まで2人の心が通うことはなかったように感じた。

 だが、2人の本当のライバル・ストーリーは袂を分かった昨日から始まったような気がする。大原は「このSMASHで叶えたい夢がいっぱいある」と言った。KUSHIDAはIWGPジュニア王座奪取に向けて突っ走る。道は違っても、ここからが人生勝負だ。

 大原が真にSMASHのエースになった時、KUSHIDAがIWGPジュニア王者になった時、2人は否応なしに相まみえることになるような気がする。その日が来るように、2人には、それぞれの道を邁進してもらいたいと思う。

投稿者 maikai : 12:04 | コメント (0)