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2011年02月21日

祝!3度目の成人式+1

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 一昨日19日は天龍さんの“3度目の成人式+1=61歳”の誕生日会。ごく内輪のプライベートな宴だったが、和田京平さんや井上京子もブログでチラチラっと書いていたので、私も書かせてもらおう。プライベートな書き方になってしまうので、そこはお許しいただきたい。

 場所はかつてWARの試合後によく打ち上げをやっていたお店。懐かしい方たちが集まった。そしてニューフェースも…。

 天龍さんの誕生日会ともなれば、当然、登場するのはアイスペールの天龍カクテル。現三冠ヘビー級チャンピオンが初体験ながら大スワマ・コールの中で豪快に飲み干したのはさすが! やはり全日本の選手ならば、これを経験しなくちゃいけない。全日本の歴史がつながった瞬間だ。

 同じく洗礼を受けた天龍プロジェクトの現IJ王者のヒジ(土方隆司)は「あと5~10年早くプロレスラーになって、この空気を味わいたかったっス」と一言。キョウコちゃん(井上京子)も酒豪ぶりを発揮した。若い頃から愛飲している(?)タクちゃん(嵐)とオリちゃん(折原昌夫)は余裕の飲み。もちろんミツオさん(百田光雄)、キョーヘイさん(和田京平)もグビグビっと。私も久しぶりにオイシク(?)いただいた。アイスペールはいつしか全席に回り、お酒が苦手な女将さん(まき代夫人)までも…。

 ふと見ると、天龍カクテルを2杯も飲んでしまったオリちゃんが大先輩のミツオさんに絡んでいる。そう、この男は昔から絡み酒が得意技なのだ。最初は笑顔で相手をしていたミツオさんの顔がピキピキしてきた。「これはヤバイ!」と思ったところで割って入ったのがタクちゃん。このあたりの阿吽の呼吸は素晴らしい。

 といった感じで誕生日会はアッという間に4時間をオーバーしていた。本当に楽しいひと時。天龍さんも嬉しそうでよかった。

 最後に、この会を切り盛りしていたアヤナちゃん(天龍プロジェクト紋奈代表)、お疲れさまでした!

 こんなことを書くと、またまた癒着だとか、なあなあだとか、ベッタリだとか…いろいろなことを言う人もいるのだろうが、それで結構。四半世紀以上もレスラーとマスコミとして、人間と人間として天龍源一郎、天龍=嶋田ファミリーとお付き合いが続いていることは、私の人生の宝だから。

PS.掲載している写真はオリちゃんが用意した特製バースデーケーキ。やっぱりオリちゃんは天龍さんのリアル息子だ!

投稿者 maikai : 10:37 | コメント (3)

2011年02月17日

先鋭的な黒KENTAがイイ!

 1月中旬から仕事が重なったり、私用で多忙な毎日が続いている。ダイアリーをなかなか更新できないことをご容赦願いたい。昨日も昼は取材、一度帰宅して今日の取材の資料整理、ノアの後楽園、途中で抜けてサムライTV『S-ARENA』という具合だった。

 ノアは鈴木鼓太郎vs平柳玄藩のGHCジュニア・ヘビー級戦の途中で会場をあとにしなければならなかったが、個人的な興味は『Disobey』入りしたKENTAの動向。2・13清水ではモハメドヨネ&玄藩と組んで杉浦貴&丸藤正道&青木篤志のGHCヘビー級&ジュニア・タッグ王者トリオと激突し、何と青木にイスをフルスイングして勝利に貢献し「俺がイス使ったら不満なのかよ!? イス使いてーから使ったんだよ」とトゲトゲしいコメント。今後のKENTAはマスコミにとっては絡みづらそうな感じだが、ノアの中でピリピリ感を醸し出すのは杉浦貴、かつての秋山準ぐらいだけに、これはこれでいいことだと思う。

 さて、昨日のKENTAだが、何とタイツをテーマカラーのブラウン&イエローからブラックに一新。ヨネと組んで佐々木健介&宮原健斗と対戦したが、健介がコーナーに上がってアピールするお約束の大見栄をクールに蹴り落とし、場外で宮原を痛ぶり、イスを使いと、まさに“黒KENTA”。それもヘンに熱くならずに不機嫌そうな冷めた感じで無表情にえげつないことをやるから、より刺激的だった。

 以前は『Disobey』と潮﨑軍の軍団抗争を「ぬるい!」と一刀両断、『Disobey』については「反体制とか言って、全然反体制じゃない」と辛口のコメントを出していたが、いざ自分がその輪に入ったら、あっという間にノア・マットの中心に立ってしまった。そこには「俺が突っ走らなきゃ成り立たないだろ!」という強い気持ちが感じられる。

 試合後には「このツアー、俺らから目を離さないでほしい」と素っ気なくコメントして控室に戻ったKENTA。今のレスラーは何でも事細かに説明するし、マスコミも何でも聞きたがる風潮がある中、こうして含みを残すのもKENTAならではのセンスだと感じる。今後の黒KENTAはさらに注目だし、この先鋭的なKENTAにノアの他の選手がついていけるのかにも注目だ。

投稿者 maikai : 13:24 | コメント (0)

2011年02月07日

昨日の全日本のベストマッチ!

 昨日の全日本プロレス2月シリーズ開幕戦は、休憩前に行われた第3試合の真田聖也&征矢学vs関本大介&岡林裕二のタッグマッチが素晴らしかった。

 私は、まずグラウンドで探り合い、緻密に試合を組み立て、そこには心理的な駆け引きもあるという戦いが好きだが、昨日の若い4人の気力、体力、技と力を真正面からひたすらぶつけ合うという試合も好き。それはベテランには到底できない戦いだからだ。「やはり若さは素晴らしい!」というのが実感だし、爽快感があった。

「無意識に動く若手レスラーの試合の中にプロレス最高のテクニックがある」とはザ・デストロイヤーの名言。まさにその通りだと思う。若いレスラーにも、経験を積んだベテラン・レスラーにも、それぞれの良さがある。それぞれを楽しめれば、プロレスは本当に楽しいものだ。

投稿者 maikai : 14:01 | コメント (1)

2011年02月05日

安田劇場最終章

 愛娘AYAMIさんを肩車して大歓声に応える安田忠夫。それは2001年の大晦日、ジェロム・レ・バンナから奇跡の勝利を収めた時の感動的なシーンを彷彿とさせた。あの時、安田は借金苦から立ち直った世界一の親父と称賛された。その親子愛は涙を誘った。だが、それは表面的なもので…当時、中学3年生だったAYAMIさんは安田を「ママを苦しめる人」という目で見つめ、肩車にしても「正直、最悪な気持ちでした。恥ずかしいし、素直に喜べなかった」という。しかし、昨日は違う。様々な浮き沈みの中、ボロボロになるまで戦った父親を心から愛し、誇りに思う娘の顔があった。

 いかにも安田らしい引退興行だった。平成の借金王、ナマクラと呼ばれた安田はそのキャラクターを貫く姿勢を見せつつも、素顔を垣間見せたののである。

第1試合では同じ高砂一門で大相撲の後輩・曙とシングルマッチ。安田の方が9年先輩で、曙の初土俵の時、安田は西前頭9枚目。曙が十両の時に安田は小結だったのだ。そんな“大相撲の孝乃富士”を知っている曙は「先輩、かわいがってやるから来い!」とムキになって安田に襲いかかった。強烈な張り手もお見舞いした。それは去りゆく先輩への心を込めての餞別。ボディプレスで圧殺した後には「ありがとうございました」と安田に深々と頭を下げた。

 曙戦では“いつものキャラ”を貫いた安田だったが、続く大谷晋二郎と組んでの高山善廣&鈴木みのる戦では素顔を見せた。あのレ・バンナ戦で感じるものがあったという鈴木は容赦ない攻め。試合前には「今が旬の2人のどっちかに勝って辞めたい。晋二郎がいれば、この2人のうちのどっちかに勝てるでしょう」と言っていた安田だったが、試合途中から大谷のアシストを拒否。その覚悟を感じた鈴木も大谷に「入ってくるなよ!」とクギを刺して潰しにかかった。鈴木は試合後に「辞めていく奴にかける言葉は無い」と言っていたものの、鈴木も高山も情けをかけずに徹底的に叩きのめすことで、敬意を示していたのだと思う。

 そしてボロボロになった状況でラストマッチの相手は天龍源一郎。天龍はまだ体調が戻っておらず、天龍プロジェクト興行の次回日程も未定のままだが、大相撲からプロレスに転向した後輩の引退試合の相手を買って出た。思うように体が動かないからチョップ、グーパンチの連打になってしまったが、最後にプロレスの痛みを安田に刻み込んでいるように見えた。

 1日3試合。「勝って辞めたいのが人間ですから、勝つ可能性が増えるように試合数を増やしました」とうそぶいていたものの、完全燃焼したかったというのが安田の本音のはずだ。試合後には「1試合でよかったかなと。相手の方に失礼でした」と本音を漏らしている。

 安田は思い出として合宿所生活を挙げていたが、93年6月に大相撲の元小結という肩書で新日本に入団し、妻子持ちの身でありながらも一新弟子として合宿所に入って若い人間と一緒に洗濯や掃除もしていた。94年2月にデビューした時には寝食を共にしていた永田裕志、中西学、石澤常光(ケンドー・カシン)、大谷晋二郎、高岩竜一らは思わず涙した。その後、借金やら自殺騒動やら、いろいろあったものの、レスラー仲間はそんな真摯な安田忠夫という男の素顔を知っているから最後まで力になったのだろう。

 いい加減に見えた安田の生き方は、傍目からは波乱万丈で面白おかしかったと思う。安田自身が自分の人生そのものをキャラクターにしてしまったのは凄いことだ。そして昨日はその安田劇場の最終章。新たな人生はブラジルでの相撲の指導ということだが、果たしてどうなるか? もしかしたら劇場新章の始まりかも…? 何はともあれ、安田さん、お疲れさまでした。新たな道での成功をお祈りしています。

投稿者 maikai : 13:25 | コメント (2)

2011年02月01日

12年経った今も馬場さんは…

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 昨日はジャイアント馬場さんの13回忌。馬場さんが自宅のリビングルームのようにくつろいでいたキャピトル東急ホテルにおいて、縁ある人たちが集って『馬場さんを偲ぶ会』が催された。

 馬場さんが亡くなって12年。あっという間のようだが、その後、ミスター林さん、ジャンボ鶴田さん、百田義浩さん、サンダー杉山さん、冬木弘道さん、ミツ・ヒライさん、サムソン・クツワダさん、旗揚げから一緒だった元取締役渉外部長の米沢良蔵さん、パンフ売りの名物おじさんだった田中印刷の田中護さん、三沢光晴さん、ラッシャー木村さん、ジョー樋口さん…多くの全日本プロレス関係の方々が天国に旅立った。外国人選手でもゴリラ・モンスーン、テリー・ゴディ、ミスター・アトミック、ネルソン・ロイヤル、ワフー・マクダニエル、ルー・テーズ、マイク・パドーシス、ムース・ショーラック、ミスター・レスリング、ザ・シーク、フレッド・ブラッシー、ホーク・ウォリアー、クラッシャー・リソワスキー、ブル・ラモス、ジョン・テンタ、ジン・キニスキー、スティーブ・ウイリアムス、キング・イヤウケアなどの馬場さんの戦友・後輩が天に召された。それを思うと、本当に長い年月である。考えてみれば当時30代だった私も五十路間近だし、天龍さんも明日2月2日で馬場さんと同じ61歳になるのだ。

 だが、馬場元子夫人と時間を共にしていると、そんなにも長い年月、馬場さんと離れている気がしない。それは元子さんがこの12年、常に馬場さんと寄り添って生きてきたから。元子さんの隣には確かに馬場さんがいる。その元子さんと同じ空間にいる時、誰もがすぐそばに馬場さんを感じるはずだ。

 昨年12月、元子さんは脳出血で倒れた。私はまったく知らなかった。昨日、お会いした時も言葉も足取りも確かで、そんな大病を患っていたとは露ほども思わなかった。「13回忌をやり遂げなくちゃ。そのためには早く元気になって退院しなければ…」の一念で懸命にリハビリに取り組んだそうだ。きっと馬場さんが二人三脚で元子さんを支えてくれたのだと思う。やはり馬場さんはすぐそこにいるのだ。そして、それを実感した時、プロレス界に生きる人間として、この世界を盛り上げていかなければいけないと気持ちが新たになる。

 掲載している写真は馬場さんの遺影と2008年にプロレス殿堂入り(Professional Wrestling Hall of Fame)した時の記念の盾。日本プロレス時代に馬場さんからインターナショナル・ヘビー級王座を奪ったボボ・ブラジル、ジン・キニスキーも同年、馬場さんと一緒に殿堂入りを果たしている。そしてかけてあるフラワー・レイは私の妻の手作り。毎年、祥月命日にフラワー・レイを供えさせていただいていて、それを今年も元子さんが自らの手で美しく飾ってくださったものだ。元子さん、ありがとうございました。

投稿者 maikai : 15:33 | コメント (3)