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2010年10月31日

KUSHIDAの成長を見た!

 昨日は台風14号が首都圏を直撃するのではないかという大雨の中でSMASHの新宿FACE大会へ。いきなり結論を書いてしまうとマイク・モンドvsKUSHIDAを観られただけで行った価値があった。

 この日のメインは王者モンドにKUSHIDAが挑戦したOVW選手権。OVWはかつてのWWEのファーム団体だが、今はWWEと契約はなく、ハッキリ言ってしまえばアメリカのインディー団体のひとつ。王者モンドは以前、WWEのRAWブランドで5人組のスピリット・スクワッドというユニットのマイキーとして活躍し、ケニーとのコンビで世界タッグ王者になっているが、小物感は否めないレスラーだった。前回のスターバックvsAKIRA同様に他の団体だったらメインには成り得ないカードである。こうしたカードがメインとして成立するのはSMASHが独自の世界観と価値観を確立しているということだ。

 前回のスターバックvsAKIRAも好試合だったが、今回のモンドvsKUSHIDAもプロレスの魅力がいっぱい詰まった試合になった。お互いに相手をドミネイトするために餌を撒く。初対決だからお互いに知らない部分が多いわけだが、相手の戦術に臨機応変に対応する。もちろん時代が違うから出てくる技は違うが、古き良き時代のアメリカン・プロレスのような味わいがあったのだ。それは試合のテンポにも理由があったかもしれない。今のようにハイスピードでもなければ、かといってスローでもなく、きっちりした攻防のスピードが心地よかったのかもしれない。

 そして次の展開が読めない虚々実々の駆け引きと攻防。「これで決まるだろう!」というシーンが何度もあり、そのたびに客席から歓声が上がった。KUSHIDAに飛び交う声援が、いかに観客が試合に惹き込まれているかを証明していた。最後はモンドが凄い角度のテキサス・クローバー・ホールドで防衛。客席から落胆の声が漏れたが、好試合に大きな拍手が送られ、モンドにも称賛の拍手が起こった。敗れたKUSHIDAは悔しさを露にする一方で「感動しました」とポツリ。それはモンドも一緒だったと思う。初来日でメインを取り、観客をこれだけ沸かせたのだからレスラー冥利に尽きるはず。ベルトを誇示するモンドの目が潤んでいるように見えた。

 11・22JCBホールを目前にしてKUSHIDAをメインのタイトルマッチに起用するというTAJIRIの選択は正解だった。負けたとはいえ、KUSHIDAは自信をつけただろうし、自分自身のためだけでなくSMASHという団体を考えるようになったからだ。

「興行のメインをシングルのタイトルマッチで自分が締めなければならないというのはプレッシャーでした」とは試合後のKUSHIDAの言葉。リング上での締めのマイクでも「俺が目指すのは…」と言った後に「いや、俺たちが目指すのは世界だ!」と言い直した。夢のベルトへの挑戦、タイトルマッチでメインを取る…この2つはKUSHIDAを大きく成長させたと思う。

 さあ、次はいよいよ11・22JCBホールだ!

投稿者 maikai : 11:55 | コメント (0)

2010年10月30日

モッキー&KUSHIDA&Mentallo

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 昨日はサムライTV『S-ARENA』の新キャスターとして話題のモッキーこと元井美貴さんと初共演。ゲストはSMASHのKUSHIDAとMentalloで、Mentallo相手には当然、英語を喋らなければならない。でも、元井さんが青学の英米文学科卒ということで通訳はナシ! ナマ番組で英語を駆使するというのはかなりプレッシャーのはずで、元井さんは事前に質問したいことを英語で準備していた。勉強熱心なお嬢さんなのだ。で、いざ本番になったら、元井さんのキレイな発音とKUSHIDA&私の実践英語(?)で多分、番組はスムーズに進行していた…と思う。

 ゲストのKUSHIDAとMentaloはプロレスラーでありながら、未だに熱烈なプロレスファン。KUSHIDAは7歳の頃からお兄さん相手にムーンサルトプレスをやっていたプロレス少年で、私が編集長をしていた時代の週刊ゴングの愛読者だ。そしてMentalloは番組収録前には水道橋のプロレスショップに行ってグッズを購入していたという。『戦う天気予報』ではミキティコのマスクに「タイガーマスクとレイ・ミステリオをミックスしたような素晴らしいマスクだ!」と食いつき、番組終了後も持参したデジカメで私や元井さんと記念写真を撮って大はしゃぎ。収録前の打合せから収録後までドタバタだったが、楽しい時間だった。

 そしてモッキー、これからも頑張ってね!

投稿者 maikai : 12:42 | コメント (0)

2010年10月28日

日本プロレス60年史

 2000年4月、日本スポーツ出版社の編集企画室長だった私は、週刊ゴング編集兼発行人の竹内宏介社長とゴング創刊32周年&2000年記念出版として『日本プロレス50年史』という増刊号を作った。1961年~75年が竹内氏、76年~2000年が私の担当だった。これは完全なデータ本で、それまで日本で行われたタイトルマッチの全記録、団体別来日外国人全リストも収録し、今も原稿を書く時の重要な資料になっている。

 当時は「60年史、70年史…いつまで作れるのだろうか」などと考えていたが、状況はそうならなかった。04年8月に日本スポーツ出版社の経営陣が変わり、私は退社を決意してフリーの道へ。その後、竹内氏は病床に伏し、週刊ゴングは休刊となり、さらに今年になって日本スポーツ出版社は倒産。あの貴重な写真資料の権利関係、所在もわからないから、もはや『日本プロレス史』は作れなくなってしまったのだ。

 そして昨日27日、ベースボール・マガジン社から『発掘! 日本プロレス60年史 英雄編』が発売された。編集責任者は元週刊プロレス編集長の本多誠氏。本多氏は私が日本スポーツ出版社を退社した時に気にかけてくれたひとりだった。今回の『日本プロレス60年史』を出版するにあたって、私にも声をかけてくれた。竹内氏と私が作った『日本プロレス50年史』とはまったく切り口が違う本だが、こうして再び『日本プロレス史』の本に関われるのは嬉しいことだった。

 第1弾となる英雄編のコンセプトは日本プロレス史を紐解く上で大きな影響を及ぼしたスーパースターたちを貴重な写真&秘話でクローズアップするというもの。私はFMW旗揚げ時に“共犯者”として協力した大仁田厚、入門当日から取材した小橋建太、そして三沢光晴について原稿を書かせてもらった。送られてきた本のページをめくると、様々なライターが各々の角度からスーパースターたちを綴っている。ぜひ、ご一読を!

P.S. 博士さんから「船木は従来のプロレスラーにないスキルを持っている」という記述に対する反論がありました。私の見解は、船木は喧嘩芸骨法の掌打など、それまでのプロレスになかった技術を導入してきた選手であるということです。もちろん、プロレスラーにとって関節技やグラウンドは基本ですが、船木の場合、従来のプロレスの基本とは流れが違う技や、技のコンビネーション、戦略を持っていると私は感じています。以上です。

投稿者 maikai : 09:55 | コメント (1)

2010年10月25日

三冠&世界ジュニア

 昨日の横浜文化体育館における諏訪魔vs船木誠勝の三冠ヘビー級選手権、カズ・ハヤシvs武藤敬司の世界ジュニア・ヘビー級選手権は、いずれも濃密な試合だった。

 まず世界ジュニアだが、武藤が公約通りにウェートをジュニアの規定内の103キロまで落としたのは立派。ポジティブ・シンキングの武藤のことだから「こうやって減量をやっている俺ってカッコイイぜ!」と思っていただろうが(勝手な推測)、1ヵ月ちょっとで15キロ近く落としたのだから、やっぱりこの人はプロである。

 試合はカズと武藤の技術と駆け引きの丁々発止の勝負。そんな中でもカズはスピードできっちりと武藤を翻弄してジュニア王者のプライドを誇示。武藤は武藤で、ジュニアになりながらも自分の従来の組み立てを押し通してカズに食い下がった。お互いに自分のスタンスを守って変に合わせないところがかえってスリリングな展開を生んだと思う。そして武藤が言うところの「餌の撒き合い」を制したのはカズ。2年前のチャンピオン・カーニバル公式戦でもそうだったが、シャイニング・ウィザードをギリギリのところでかわして丸め込む技術はさすが。それを返そうとした武藤をさらに巻投げ固めでガッチリ押さえたあたりはカズの研究勝ちだ。タイトルマッチが決まると、相手のことを研究して前哨戦であらゆる試みをし、タイトルマッチ本番に万全で臨むカズを切り崩すのは容易ではないだろう。

 メインの三冠戦は、まず船木の引き出しが開いた。船木はいわゆるプロレスラーが持っていないスキルを沢山持っている。グラウンドでの相手のコントロール、サブミッションの戦略、打撃…序盤、諏訪魔が手も足も出なかったのも当然だ。そして注目すべきは、プロレスに戻って来てから感情が内に向かっている感が強かった船木が、この三冠戦では外に発散させたこと。掌打のラッシュで諏訪魔をダウンさせた後のガッツポーズには嬉しい気持ちにさせられた。

 週刊ゴングではかつて船木に『2001年の超星』というキャッチフレーズを付けた。2001年…21世紀になっても32歳という若さに無限の可能性を感じていたからだ。21世紀の新日本プロレスのエースは間違いなく船木だという意味もあった。それが2010年、41歳になって新日本ではなく、全日本の三冠に挑戦するというのも、これはこれで感慨深いものがあった。王座奪取はならなかったが、これからもプロレスに専念し、その技術を若い選手に伝えていってほしいと思うし、また三冠に挑戦してほしいと思う。

 そして、その船木を振り切って防衛した諏訪魔。あらゆる技術を駆使した船木に対して、ベタにプロレスだけで向かっていったところに諏訪魔のこだわりと意地を感じた。だから決してスイングした試合ではなかったが、逆に緊張感の試合になったのではないか。敢えて船木に体をさらした結果、両膝の靱帯を痛め、掌打のラッシュで鼓膜を破り、首とアゴにもダメージを負ってしまったが、恐らく諏訪魔にしてみれば承知の上。プロレスラーのタフさを表現し、最後もナチュラルな力で船木をねじ伏せた。

 正直、今の諏訪魔は粗削りで、そのまんまの強さだけで試合をしている気がする。その部分がなくなってしまったら魅力は半減してしまうが、こうした苦しい戦いを続けることで、いろいろなものを纏って本物のトップのプロレスラーになるはず。逆風もあるが、3本のベルトと一緒にスケールの大きいプロレスラーになっていってくれることを願う。何よりも「こいつは強い!」と感じさせるのが諏訪魔の財産あり、そういう新時代のレスラーがいることが日本プロレス界の財産でもある。

投稿者 maikai : 17:39 | コメント (2)

2010年10月20日

天龍節炸裂!

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 今日は午後11時~午前1時の2時間、サムライTVで天龍プロジェクト9・29新宿FACE大会の中継。あの諏訪魔が参戦した大会だ。

 この番組の実況は新日本プロレスやIGFの実況でお馴染みのタレントの山口雅史氏。そして解説は私と…天龍源一郎!

 山口さんとは初めての仕事だったが、スムーズに喋らせてもらった。そして注目は何と言っても天龍さんの喋り。時にユーモアを交え、時に辛口に天龍節が炸裂します。お楽しみに!

投稿者 maikai : 10:16 | コメント (0)

2010年10月19日

伊東と石川を支えたもの

 今日は一昨日の大日本プロレスの後楽園大会について。登坂統括部長は「今年初めての札止めです」と顔をほころばせていたが、本当にお客さんがよく入った。2階のバルコニーにも人が溢れんばかりで、増席した上でのまさしく超満員札止め。こういう光景を見ると幸せな気分になる。

 一体、何がファンを惹きつけるのか。客席からビンビン感じるのは期待感と「楽しんでやろう!」という気持ちだ。お笑い系あり、ストロング系あり、そしてデスマッチ…楽しめる要素がたくさんある。この日のメインは伊東竜二に石川修司が挑戦したデスマッチ・ヘビー級選手権。蛍光灯、ガラスボード、画鋲のデスマッチ3大アイテムを使った豪華版である。画鋲3万個をファンから募集したところ、何と49205個集まったという。「正直、今のウチは画鋲を揃えるのに金銭的に四苦八苦という状況ではありませんけど、ファン参加型の団体でありたい」とは登坂氏の言葉だ。

 集まった満員のお客さんは凄惨なシーンを観に来ているのではない。少しはそれもあるかもしれないが、極限状態の中で戦う選手の心意気、そして戦いを乗り越えた先にあるドラマに惹かれているのだと思う。果たして、伊東も石川もデスマッチ3大アイテムに埋没しない心技体をリング上で表現してくれた。アイテムがなくても圧倒的な強さを見せつけた石川と、それをハネのけて勝利した伊東。どちらも素晴らしかった。

「今までプロレスをやってきた中で一番しんどかった。でも、こんなにもファンの人たちに支えられているんだなと改めて思いました。つくづくプロレスはひとりではできないと思いました。相手がいて、お客さんがいて、それで試合は成り立っているんですよ」という伊東の言葉、「お客さんの声援がなければ戦えなかったかも」という石川の言葉はどちらも本音。大日本のハードなデスマッチを支えているのはお客さんである。だから伊東は言う。「これからも血を流し続けます」と。

投稿者 maikai : 10:56 | コメント (1)

2010年10月18日

方舟は荒波の中で…

 9・26日本武道館でGHC王者・杉浦が「三沢さんのいない武道館は物足りないですか!? 小橋さん、秋山さんが欠場でいない武道館は物足りないですか!? 俺はこういうものとも戦っています」とマイクで心の叫びを口にして以来、ノアの周辺は騒がしい。現在発売中の週刊プロレスにも杉浦の本音のインタビューが載っている。

 昨年の地上波放映打ち切り、象徴である三沢光晴の急逝を乗り越えて今年の夏に創立10周年を迎えたノア。だが、新しい時代を呼び込むには、まだまだ課題は山積みだし、危機感は消えていないというのが現状だ。

 そんな中で10月15日に『第4回日テレ杯争奪ジュニア・ヘビー級タッグリーグ戦』が開幕した。参加10チームの内、6チームが外部からの参戦。これは新鮮でいいことだと思う。また、DDTのヤスウラノや大阪プロレスの小峠&原田の桃の青春タッグ、みちのくの剣舞などが多くのファンに見てもらえるのも私としては嬉しい限り。

 しかし純粋にリング上を見ると、ノア所属チームが1勝もしていないというのはノア・ファンにとっては危機感をさらに募らせるものだろう。開幕戦では小川&鼓太郎がDDTのディック東郷&ウラノに、昨日のディファでは金丸&平柳が大阪プロレスの桃の青春タッグに、KENTA&青木がROHのストロング&エドワーズに敗れてしまった。辛うじて石森&マルビンが開幕戦で健介オフィスの中嶋&梶原と引き分けているというのが現実である。丸藤はIWGPジュニア王者だった今年上半期に「ノア・ジュニアが最強です」と胸を張っていたが、そうも言っていられない状況になってしまったのだ。丸藤不在の今、残りのジュニア戦士がこれからどう盛り返していくか…このタッグリーグ戦は本当に重要だ。

 タッグリーグ戦以外の動きとしては、昨日のディファでDISOBEYに袋叩きにされる小川&鼓太郎を潮﨑が救出するという場面があった。潮﨑と小川&鼓太郎はプライベートでも仲がいい3人。潮﨑は「体が勝手に動いただけ」として、今後については言及を避けたものの、本格的に合体すれば構図が変わってくる。

 10周年の区切りをつけてなお、方舟は荒波を航海中。選手とフロントが一体となり、ファンの後押しを得ていくというのは大前提として…その舵を取るのは誰なのか? まずは12月5日、日本武道館までの航路を注視したい。

投稿者 maikai : 11:55 | コメント (1)

2010年10月13日

今後の新日本の注目点は…

 今日は一昨日の新日本について。改めて書くことではないかもしれないが、今の新日本はバラエティに富んでいて面白い。タイプの違うカード編成、スムーズな進行、シリーズを通して前哨戦をやっているから試合内容も濃い。ひとつのイベントとして完成されているから、初めてプロレスを観る人にも安心して薦められる。かつての新日本と言えば、猪木の「一寸先はハプニング」ではないが、面白い時は異常に面白く、ひどい時には暴動が起こるほどひどかった。それがドキドキする魅力でもあったが、今の時代は“わけのわからない商品”を提供するわけにはいかないだろう。

 長州流に言うなら「昔は暖簾の下から腕だけで料理を出して、暖簾の向こう側が誰なのか、どんな料理なのかわかんない。“ちょっとこれ、食べられるの?”っていう半信半疑の緊張感みたいなものが四方のお客さんにあったと思うよ。今は自分の好きなシェフがリングの中にある素材を使って、好みの料理を提供してくれる。だから四方にいるお客さんは安心してリングを観られるよね」となる。どちらがいいのかは、お金を出してチケットを買うお客さんが決めること。その意味では今の新日本は正解だと思う。

 ただ、昔は良くも悪くも「新日本はこうなんだ!」というものがあった。他団体をリングに上げるのも「新日本こそナンバー1!」というのを見せつけるためのものであって、排他的な姿勢は変わることがなかった。だが、今の新日本は自由港。どんなスタイルでも受け入れ、それが結果的にバラエティさにつながっている。

 問題はここからで、自由港になれば他団体の文化、価値観が入り込んでくる。例えば、IWGPジュニア・タッグ王者になったDDTの飯伏幸太は「川で防衛戦をやりたい」と言った。これはキャンプ場プロレスの発想である。IWGPヘビー級王座を奪取した小島聡は後藤洋央紀に負けた中邑真輔との初防衛戦を強硬に主張しているのだ。

 気がつけば、今の新日本のベルトはすべて外部の人間が持っている。IWGPジュニア・タッグがインディーの雄と言われるDDTに流出したのは昔だったら大事件だっただろう。IWGPヘビー級王者になった小島は新日本の出身だが、真壁からベルトを奪った試合では場外でのラフ攻撃にしろ、左右使い分けたラリアットにしろ、全日本の8年間で培ったものを出したと見るのが正解だと思う。IWGPジュニア王者のプリンス・デヴィットにしても厳密に言えば新日本の生え抜きではなく、イギリスでキャリアを積んでから新日本に来た選手だ。

 山本小鉄という精神的支柱を失った今、これから新日本が他団体の文化、価値観を受け入れて「すべてをひっくるめてプロレスを楽しめるのが新日本なんだ」という形で進んでいくのか、それとも「ここは新日本なんだ!」というものを強く打ち出していくのか。まずはこれから来年1・4東京ドームまでの流れが非常に興味深い。

投稿者 maikai : 14:58 | コメント (1)

2010年10月12日

リビング・レジェンドの底力

 昨日は新木場のミル・マスカラス誕生45周年記念試合→新日本の両国→サムライTV『S-ARENA』と、なかなか充実した1日だった。今日はマスカラスについて、両国については明日書こう。

 さて、マスカラスが初来日したのは1971年2月の日本プロレス『ダイナミック・ビッグ・シリーズ』。当時、小学校3年生だった私は、父親と一緒にテレビに映るマスカラスのドロップキック、フライング・クロスアタック、ダイビング・ボディアタックに釘付けになった。昨日の新木場には親子でマスクを被っているお客さんがいたが、もし私に子供がいたら、親子3代で観ていたかもしれない。それを考えると、まさにレジェンドだ。

 記念試合のカードはマスカラス&天龍源一郎&エル・パンテーラvs藤原喜明&NOSAWA論外&アルカンヘル・デ・ラ・ムエルテの6人タッグ。入場してきたマスカラスがガウンを脱ぐと「おおっ!」というどよめきが。68歳(実際は70歳を越えているという説もある)だけに皺も目立つが、あの大胸筋、ヘコんだお腹を維持しているのはさすが。その肉体を「どうだい?」と見せつけられた天龍が「いやいや、恐れ入りました」という感じで苦笑していたのがおかしかった。

 実はマスカラスの体調は決してよくなかった。来日前の試合で膝を痛め、8日の後楽園でのNOSAWA論外15周年興行で張り切り過ぎて、さらに悪化させてしまったという。それでもマスカラスはマスカラスであり続けた。ダイビング・ボディアタックは出来なかったものの、ヘッドシザース・ホイップ、アトミックドロップ、そしてこれも無理だと思われたフライング・クロスアタックを2発も披露した。

 もうひとり、意地を見せたのが天龍である。天龍が左膝を負傷していて思うように動けないのは周知のところだが、徐々に回復に向かっていて、この日は藤原とチョップvs頭突き合戦で魅せてくれた。何も知らないお客だったら天龍の負傷に気付かなかっただろう。動き回らないで試合をする術を身に付けているところがキャリアである。

 どんな状況になっても自分のイメージを貫き通す土壇場での底力…マスカラス、天龍の2人がなぜリビング・レジェンド(生きた伝説)なのかを改めて知った一戦だった。

投稿者 maikai : 11:36 | コメント (1)

2010年10月11日

プロレスラー、立野記代…完結!

 昨日は解説の仕事がなかったので、全日本・後楽園ではなく、新宿FACEの立野記代の引退試合に行った。これも浮世の義理というか…古くからの友人の引退試合は見届けたかったのだ。私は女子プロレスの担当記者になったことがないから、全女時代の記代とは接点がない。“飲み友だち”になったのはLLPW参加後の93年春頃。それでも17年の付き合いがあるわけだ。そう、記代は私にとって取材対象ではなく、あくまでも友だちだった。Gスピリッツ第17号のインタビューは、これまで雑談として聞いていた話を改めて仕事としてきちんと聞いたもの。偉大なる女子プロレスラー、立野記代をちゃんとした形で最後に記事にしておきたかったのである。

 さて、新宿FACEは同窓会のようだった。マスコミ関係でもJBエンジェルスが誕生する前から取材し、フジテレビの放送席に座っていた重鎮のデイリースポーツ・宮本久夫氏が昔と変わらずに取材。そして懐かしい選手たちがわんさかいる。基本的に女子レスラーはLLPWの人たちしか知らなかった私だが、いつの間にか多くのレスラーと知り合いになっていたんだなあと実感した場でもあった。

 大会はまず入場式。ここで記代は早くも号泣。客席から「これからだぞーっ!」という励ましの声が飛ぶ。昔から記代はよく泣いた。他の選手の引退試合でも、引退する当事者よりも先に泣く人だった。果たして、これで大丈夫なのか…。

 試合は、井上京子&貴子のW井上と豊田真奈美&下田美馬のスイートハーツのタッグ対決でスタート。全女の雰囲気だ。第2試合は華名&大畠美咲&佐藤綾子vs春日萌花&チェリー&下田佐和子の今のコたちの6人タッグ。第3試合の時間差バトルロイヤルは全女、JWP&LLPW(というよりもジャパン女子)がズラリ勢揃い。ここでやってくれたのが広田さくら。記代に扮して登場し、フライング・ネックブリーカーを連発。最後はダンプ松本のラリアットを記代オリジナルの“逆上がり式回転受け身”(Gスピリッツ参照)で食らって散るという通ぶりを発揮してくれた。

 バトルの最後に残ったのはダイナマイト関西、尾崎魔弓、ハーレー斉藤、GAMI、コマンド・ボリショイ、遠藤美月。全女勢からは「ジャパン女子ばっかじゃん!」の声が飛ぶ中、関西&尾崎&ハーレーの一期生vs後輩の図式に。最後に勝利したのはハーレーだった。

 いよいよメインの記代引退試合。記代&GAMIvsハーレー&栗原あゆみのカードは当初、30周年記念試合用のものだった。それをそのまま引退試合にしたのである。ロープを開け、記代をリングに招き入れたのは、91年3月17日の最初の引退(25年定年制)の対戦相手を務めた貴子だった。

 先発を買って出た記代は、いきなり栗原にフライング・ネックブリーカー2連発。実は引退後、入院して手術をすることが決まっている記代は、この技が一番自分の体にこたえて「最後まで試合が出来るのか…」と思ったという。しかし、これがラスト。技を出し惜しみしている場合ではなかったのだ。その後もロメロ・スペシャル、STF、ラリアット、ダブルアーム・スープレックス、ダイビング・ボディプレス、ジャーマン・スープレックス、デスバレーボム…と持てる力を存分に発揮した。

 引退試合では恒例のセコンド勢が参加してのコーナー攻撃では後輩の下田、豊田、京子、アジャ、関西が記代に突進するものの、直前で攻撃出来なかったのが微笑ましかった。そして「オリャー!」と襲いかかったダンプがそのまま記代を抱き締めた場面は、過去を知る者にとってはジーンとくるものだったはずだ。

 試合は栗原がリストクラッチ式の裏投げで記代をフォール。トミーが3カウントを叩いた後、記代が下から栗原の頭を「よしよし!」と撫でたのが印象的だった。記代はインタイビューの中で気になる選手として栗原の名前を挙げていたが、その後輩にバトンを渡した場面でもあった。

 引退セレモニーは試合前に泣いた分、湿っぽさはなし。LLPWのOGとして半田美希、穂積詩子、レオ北村、紅夜叉、全女のOGとしてライオネス飛鳥、ブル中野、コンドル斉藤、ドリル仲前が駆けつけ、長与千種とニューヨーク在住の山崎五紀からはビデオレターが届いた。

 10カウントゴング、最後の選手コール後にハプニング発生。記代はサッサとリングを降りて花道を下がってしまったのである。慌てて風間ルミが呼び戻しに行き、戻ってきた記代にハーレーが「落ちつけ!」と一言。この素の天然ぶりも記代の魅力である。そして改めて記念撮影。記代の女子プロ生活は幕を閉じた。

「プロレスは人生そのものでした。辞めても一生レスラーですからね、気持ちは。やっぱりアメリカでプロレスの楽しさに巡り合えたのが大きかったな。何万人も入るような会場で毎日試合して。言葉がわからなくても出来る商売はいいなって思った。そして全女、LLPW…素晴らしい仲間に囲まれていたんだなと思いました。ムーラを越えることができなかったのが悔いかな。でも、体が辞める勇気をくれたのかなとも思います」

 ジャンピング・ボム・エンジェルスとしてアメリカでも今なおリスペクトされる偉大なる女子プロレスラー、立野記代、ここに完結。

ノリヨ、お疲れさまでした!

投稿者 maikai : 10:23 | コメント (2)