« 久々の小橋建太 | メイン | キャラクター&インターナショナルな空間 »

2010年05月25日

ラッシャー木村を貫いた木村さん

 ラッシャー木村さんが亡くなった。昨日、私はサムライTV『S-ARENA』出演前、私用で外出していたが、その時に電話で悲報を知らされた。第一報を入れてくれたのは新間寿恒氏。あの“過激な仕掛け人”新間寿氏の愛息で、かつてユニバーサル・レスリング連盟の代表だった人物だ。

 寿恒氏の父・寿氏は東京プロレスから木村さんと一緒。寿氏が新日本の取締役営業本部長時代には木村さんは寺西勇さん、アニマル浜口さんとの国際軍団で新日本に登場、また旧UWFを設立する時に寿氏が最初に誘ったのは木村さんだった。「もう一度、新間さんと夢を追いましょうとOKしてくれた時は嬉しかったね」と、寿氏はよく言っていたものだ。そんな関係だっただけに、相当ショックが大きいという。

 また、故郷・長崎で暮らしている木村さんの国際プロレス時代の後輩で、全日本でも一緒だった阿修羅・原さんからも電話を貰った。

 私が初めて木村さんを取材したのは27年前の83年2月。かつて国際プロレスが強化合宿を行っていた思い出の地・西伊豆の雲見で国際軍団が特訓を行うということで、その取材に行ったのだ。取材陣は東スポのカメラマンと私だけ。ほとんど独占取材だった。練習後にはおろしニンニクをたっぷりつけた刺身で酒盛りとなったが、まだ天龍さんに鍛えられる以前の私は不覚にも大広間で大の字になってしまった。懐かしい思い出である。

 その後、旧UWFではハワイで取材させてもらったし、全日本担当記者として全日本に移籍してきた木村さんを取材している。口数が少なくて温厚でお酒が好きで…リング上の構図とは関係なく、天龍さんと飲むこともあり、天龍さんが「木村さん、飲んでますか?」と声をかけると、グラスを持ったまま、イビキをかいていることもあったりして、まったりとした楽しいお酒だった。

 Gスピリッツで『実録・国際プロレス』を連載していることもあって、木村さんの近況は人づてに聞いていたが「今は誰にも会いたくないから」ということだったので、取材のオファーは出したことがなかった。木村さんにしてみれば、全盛期のラッシャー木村のイメージを大事にしたかったのだと思う。3月の圓楽師匠の襲名披露パーティーで、私はアニマル浜口さん、百田光雄さんと同じテーブルになった。浜口さんが光雄さんに「木村さんのお見舞いに行きたいんですけど、どうなんでしょう?」と聞いたら、やはり光雄さんの答えは「いやあ、木村さんは今、誰とも会わないと思うよ」というもの。浜口さんは残念そうだったが「でも、木村さんらしいですね」と言っていた。唯一、例外は昨年6月の三沢さんの葬儀への参列だろう。

 結局、公の場に姿を見せたのは、04年7月10日、ノアの東京ドーム大会でビジョンを使って「御機嫌よう、さようなら」とVTRで引退の挨拶をしたのが最後。ラッシャー木村を貫き通して逝ってしまった。そのこだわり、プロ根性は凄いとしか言いようがない。

 ファン時代には純粋に楽しませていただき、この業界に入ってからは若造の時代からいろいろとお世話になり、本当にありがとうございました。木村さんが活躍されている時代にこの仕事を出来たことを光栄に思っています。安らかにお休みください。

投稿者 maikai : 2010年05月25日 20:03

コメント

残念の一言です...マイクだけ聞きたくて会場に行った事もあります...
心よりご冥福をお祈り致します..

投稿者 岐阜人 : 2010年05月26日 18:22

コメントしてください




保存しますか?