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2010年05月31日

スーパージュニア開幕!

『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』が昨日、後楽園ホールで開幕した。毎年、ファンの注目度が高いスーパージュニア。それは参加する選手たちのモチベーションの高さ、熱によるものだと思う。他団体から参加した選手は自分自身と団体の看板を背負って乗り込んでくるわけだし、新日本の選手は主催団体のプライドとして負けることは出来ない。得点争いだから参加選手は当然、勝ちにこだわるが、内容にも凄くこだわる。勝敗+試合内容のインパクト…この2つが揃って初めて勝利したことになるということを参加選手は理解しているからだ。

 昨日も熱い試合が続出した。大ベテランのAKIRAに粘り勝ちした吉橋に大コールが起こり、SMASHから参戦したKUSHIDAはライガーに敗れたものの、色メガネで見られることなく、こちらもコールが発生。新日本ファンはKUSHIDAという存在を認知した。

 タイガーマスクとラ・ソンブラの一戦は噛み合わない部分が多々見られたが、ソンブラが噂通りの空中殺法の片鱗を見せてくれた。ルチャと日本のプロレスはベースが違うだけに、ソンブラの課題はここをどう埋めて対応していくかだろう。田口に勝利したノアの石森太二は大ブーイングを浴びたが、現在の新日本vsノアのジュニア戦争を考えれば、これはレスラー冥利に尽きるはずだ。プリンス・デヴットvsデイビー・リチャーズは純粋に好勝負。ノアの常連だったリチャーズの新天地でのし上がろうというハングリー精神はAブロックにひと波乱起こしそうだ。

 メインは金本とフジタ“Jr”ハヤトのシバキ合い。若いハヤトの攻めを金本がすべて受け止めて勝った試合だった。そして印象的だったのは、試合後にハヤトが「ショッパイ試合をしてすみません」と言ったこと。ハヤトにしてみれば、勝つのはもちろんのこと、新日本のメインを任された以上は内容にも相当こだわっていたはず。そうした高い意識を持っているハヤトが、この熾烈な大会でどう成長するか楽しみだ。また、昨年優勝の金本、ライガー、AKIRA、外道のベテラン勢の踏ん張りにも個人的に注目している。

 やっぱりスーパージュニアは面白い!

投稿者 maikai : 17:35 | コメント (1)

2010年05月30日

キャラクター&インターナショナルな空間

 昨日は新宿FACEでSMASHの3回目の興行。ザックリと印象を一言で書けば「特別編が終わって、いよいよ本編に突入した」という感じだ。

 TAJIRIは「よく新しいスタイルって言うけど、プロレスに新しいスタイルはないと思うんですよ。SMASHは新しいスタイルを見せるのではなくて、選手それぞれのキャラクターを大事にして、プロレスというものを見せていきたい」というニュアンスの発言をしていたが、昨日の大会は、それを実践していたと思う。

 過去の2大会で様々なキャラクターを作り、紹介してきたことが昨日の大会に活きた。旗揚げ戦のトライアウトに合格したMentalloは、すっかりSMASHのレギュラーというイメージがあるし、第2回大会でメイン・デビューを飾ったリン・バイロンもニュースターとしてファンに認知されている。これまで総合格闘家からプロレスラーになろうと必死にもがいていた小路晃は黒のショートタイツと黒のシューズで登場。腕の取り合いや細かい攻防でのしっかりとしたプロレスラーとしての技術は、今後の小路の大化けを予感させるものだった。

 そして注目のフィンランドFCFのジェシカ・ラブ、ヴァレンタインは欧州スタイルのプロレスというよりも、WWE的な雰囲気が強かったが、共にしっかりとした基本とキャラクターを持っているから、難しい理屈を抜きに楽しめた。技的には“リカちゃん人形が空から降ってくる”というジェシカのスワントーン・ボム、ヴァレンタインのランディ・オートンを思わせるRKO、そしてエッジばりのアンプリティアーは一見の価値ありだ。次回の6・25大会にはジェシカに加えて化け物のヘイモ・ユーコンセルカ、原始人のスター・アルダがやって来るというから楽しみ。未知の得体の知れないガイジンが来襲するというのは、私が子供時代のプロレスと同じだ。

 フィンランド=FCF、カナダ=Mentallo、香港=リン・バイロン、韓国=キム・ナンプン(かなり胡散臭かったが、それはそれでいい味を出していた)と国際色豊かなのもSMASHの特徴。TAJIRIがFCF王者になったことでヨーロッパからさらに選手が来るだろうし、7月24日の新宿FACEにおける昼夜2興行には元WWEスーパースターが3人参加するという。キャラクター&インターナショナルな空間こそがTAJIRIが理想とするところなのではないか。それは新しいようで、実は昔のプロレスが持っていた魅力なのだ。

 その他、女子では朱里と華名の抗争が勃発したし、メインのKUSHIDAvsプリンス・デヴィットは期待通りの試合に。見た目には接戦であるようでいて、実際にはいっぱいいっぱいのKUSHIDAに対してデヴィットには余力があり、2人の間には大きな差があると私は感じたが、KUSHIDAもそれを肌で感じ取って理解していたのも大事なこと。きっとKUSHIDAは今日から開幕する『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』で成長することだろう。

投稿者 maikai : 11:34 | コメント (1)

2010年05月25日

ラッシャー木村を貫いた木村さん

 ラッシャー木村さんが亡くなった。昨日、私はサムライTV『S-ARENA』出演前、私用で外出していたが、その時に電話で悲報を知らされた。第一報を入れてくれたのは新間寿恒氏。あの“過激な仕掛け人”新間寿氏の愛息で、かつてユニバーサル・レスリング連盟の代表だった人物だ。

 寿恒氏の父・寿氏は東京プロレスから木村さんと一緒。寿氏が新日本の取締役営業本部長時代には木村さんは寺西勇さん、アニマル浜口さんとの国際軍団で新日本に登場、また旧UWFを設立する時に寿氏が最初に誘ったのは木村さんだった。「もう一度、新間さんと夢を追いましょうとOKしてくれた時は嬉しかったね」と、寿氏はよく言っていたものだ。そんな関係だっただけに、相当ショックが大きいという。

 また、故郷・長崎で暮らしている木村さんの国際プロレス時代の後輩で、全日本でも一緒だった阿修羅・原さんからも電話を貰った。

 私が初めて木村さんを取材したのは27年前の83年2月。かつて国際プロレスが強化合宿を行っていた思い出の地・西伊豆の雲見で国際軍団が特訓を行うということで、その取材に行ったのだ。取材陣は東スポのカメラマンと私だけ。ほとんど独占取材だった。練習後にはおろしニンニクをたっぷりつけた刺身で酒盛りとなったが、まだ天龍さんに鍛えられる以前の私は不覚にも大広間で大の字になってしまった。懐かしい思い出である。

 その後、旧UWFではハワイで取材させてもらったし、全日本担当記者として全日本に移籍してきた木村さんを取材している。口数が少なくて温厚でお酒が好きで…リング上の構図とは関係なく、天龍さんと飲むこともあり、天龍さんが「木村さん、飲んでますか?」と声をかけると、グラスを持ったまま、イビキをかいていることもあったりして、まったりとした楽しいお酒だった。

 Gスピリッツで『実録・国際プロレス』を連載していることもあって、木村さんの近況は人づてに聞いていたが「今は誰にも会いたくないから」ということだったので、取材のオファーは出したことがなかった。木村さんにしてみれば、全盛期のラッシャー木村のイメージを大事にしたかったのだと思う。3月の圓楽師匠の襲名披露パーティーで、私はアニマル浜口さん、百田光雄さんと同じテーブルになった。浜口さんが光雄さんに「木村さんのお見舞いに行きたいんですけど、どうなんでしょう?」と聞いたら、やはり光雄さんの答えは「いやあ、木村さんは今、誰とも会わないと思うよ」というもの。浜口さんは残念そうだったが「でも、木村さんらしいですね」と言っていた。唯一、例外は昨年6月の三沢さんの葬儀への参列だろう。

 結局、公の場に姿を見せたのは、04年7月10日、ノアの東京ドーム大会でビジョンを使って「御機嫌よう、さようなら」とVTRで引退の挨拶をしたのが最後。ラッシャー木村を貫き通して逝ってしまった。そのこだわり、プロ根性は凄いとしか言いようがない。

 ファン時代には純粋に楽しませていただき、この業界に入ってからは若造の時代からいろいろとお世話になり、本当にありがとうございました。木村さんが活躍されている時代にこの仕事を出来たことを光栄に思っています。安らかにお休みください。

投稿者 maikai : 20:03 | コメント (1)

2010年05月24日

久々の小橋建太

 一昨日のマイティ井上さんの引退興行には小橋建太もスーツ姿で来場。試合前にはファンとの撮影会を行った。

 時々、秋山から近況は聞いていたものの、本人に直接会ったのは今年になってから初めて。まだ、はっきりとしたカムバックの見通しは立っていないようだが「まあ、焦らずジックリとね!」と笑顔。そこには微塵も暗さがなく、あくまでも明るい。改めて本当に心が強い男だと思った。

 こんな小橋を見ていたら「いやあ“頑張れ”って電話をくれるんですけど“お前が頑張れよ”って話ですよね」と冗談を言っている秋山も頑張らざるを得ないだろう。たとえリングに上がっていなくても、人に活力を与えるのが小橋建太という男なのだ。

 最近、更新が滞りがちな私のダイアリーもチェックしてくれているらしく「また書いてよ!」と熱血の一言を頂戴しました…。

投稿者 maikai : 09:43 | コメント (2)

2010年05月23日

マイティさんはカッコよかった

 昨日は後楽園ホールでマイティ井上レフェリーの引退記念興行。67年7月、国際プロレスの旗揚げ第2弾シリーズでデビューし、98年6月の現役引退まで31年間、その後、レフェリーに転向して12年…実に43年間のプロレス人生にピリオドを打った。

 レフェリーとして最後に裁いたのは秋山&高山&健介vs森嶋&潮﨑&雅央の6人タッグ。ここでマイティさんの引退試合を盛り上げてくれたのは雅央だった。

マイティさんと雅央の珍妙なやりとりもこれが最後。ファンもそれがわかっているから雅央コールだ。雅央は見事にそれに応えた。

 雅央はロープに詰められると、両手を広げて大きな声で「ロープ! ロープ! おい、レフェリー!」。雅央が場外にエスケープすれば「上がれよ!」「おい、下げろ、レフェリー!」「入れ!」というやりとりが続く。

 雅央の反則攻撃をマイティさんが注意すると、雅央はすかさず「うるさい! うるさいって言ってんだろ!」。怒ったマイティさんが雅央を背後から一撃してマイティ・コールが起こる場面も。反則をしようとする雅央が「レフェリー、あっち向け! レフェリー、あっち!」と叫べばマイティさんは「うるさいなあ」。マイティさんと雅央の攻防は阿吽の呼吸なのだ。

 最後はその雅央を高山がエベレスト・ジャーマン。ギブアップ技ではなくフォール技で決めたあたりは、最後にマイティさんにキッチリと3カウントを叩いてもらおうという高山の配慮だったと思う。

 マイティさんは厳格なレフェリーというよりも、前座試合をレスラーとのやり取りで面白く盛り上げるタイプのレフェリーだった。それはレスラー上がりということもあるし、現役時代から会場の空気を読める天才型のレスラーだったからこそというのもあるだろう。

 高校卒業から還暦過ぎ(現在61歳)まで、プロレス一筋で生きてきたマイティさん。ポツリと言った「今後? プロレスしかやったことがないからねぇ。じっくりと考えていくよ」という言葉はズッシリと重かった。


 そして引退セレモニーでの「43年間、このリングに立ってきました。本当に素晴らしい夢のような時間でした。私が生きたこの時代にプロレスという素晴らしいものがあったことに感謝します」という言葉は本当に素晴らしかった。81年には国際プロレスが崩壊するなど、様々なことがあったのに、こうスカッと言い切れるのはカッコイイではないか。

 マイティさん、お疲れさまでした。またどこかでお会いできることを楽しみにしています!

投稿者 maikai : 12:28 | コメント (3)

2010年05月17日

小島の最終シリーズがスタート

 昨日、後楽園ホールで全日本の『RISE UP TOUR2010』が開幕した。主軸になるのは超党派軍vs新世代軍の世代闘争だが、もうひとつ、小島聡の全日本所属としての最終シリーズというのも大きな柱だ。私が聞いている話では、小島の退団は金銭面等のドロドロしたものは一切なく、あくまでも小島自身が今後の自分のプロレスラー人生を考えた上でのもの。だから今シリーズは、小島にとっても全日本にとってもプラスの双方にとって理想の形になった。小島は今の全日本の図式と関係なく、様々な人間とタッグを組んだり対戦することになったし、全日本的には“小島ラスト・シリーズ”がひとつの売りにもなるわけだ。

 02年2月26日に武藤、ケンドー・カシン、カズ・ハヤシと共に全日本に入団した小島は、武藤・全日本が完成していく過程で大きな役割を果たした。当初、新しい血が入ってくることに抵抗のあった全日本ファンもいたはずだが、小島の明るいキャラクターは多くのファンに受け入れられて、新&旧のファンの潤滑油になった。特にジュニアの人気者のカズ・ハヤシとのコンビ、コジカズはファン層を広げたはずだ。そして最初の三冠王者時代には、小島が実直に防衛戦を行っていたからこそ、安心して“遊び”のトッピングをすることができ、パッケージ・プロレス構築につながったと思う。

 さて昨日の開幕戦では03年最強タッグ優勝、04年にはマスクマン・コンビのグレート・コスケ&獅龍としてアジア・タッグ、素顔で世界タッグを奪取したコジカズの最後の結成となった。

「僕とカズは武藤・全日本の初期のタッグ戦線を引っ張ってきたと自分でも思いますね。今日は久々に組むんですけど、感慨に浸るというよりも、一緒に全日本に来て、8年間でお互いに進化したところを出せればと思ってます。カズは後輩で、弟みたいな存在…でも、ことプロレスになればウェイト・トレーニングの方法を教えてもらったりとか、リスペクトしています。カズが世界ジュニア王者として充実しているのに対して、今の僕はボロボロの状態ですけど、そんな姿も含めて今シリーズは全日本の小島聡を応援して下さった人たちに今現在の在りのままの姿を見せたいと思っています。今日はカズの足を引っ張らないように…。諏訪魔はいろいろ言ってますけど、彼は今の全日本の強さの象徴だと思う。そういう存在がいてくれて頼もしいし、嬉しさもありますよ」と試合前の小島はセンチメンタルな感じでもなく、穏やかだった。

 試合は、小島が近藤をラリアットで沈めて快勝。試合後、近藤は小島の握手に応じたが、諏訪魔は首を横に振って拒否した。しかし、その諏訪魔の表情は複雑。ちょっと涙が浮かんでいたようにも見えたが、それでも「やっぱし、俺の中では小島聡は絶対に認めない。握手なんかしてる場合じゃない。辞めたことを後悔させてやる。“戻ってきたい”って言わせてやる」と最後まで突っぱねた。

 その意気やよし! これぐらいの強い気持ちがなければ超党派軍との世代闘争を戦い抜けないし、全日本を背負っていくことはできない。いずれ小島がフリーとして全日本に上がる日も来るだろう。その時に新たな諏訪魔vs小島のストーリーが始まる。昨日のタッグ対決は、その序章だ。

 このラスト・シリーズは小島にとって、全日本所属としての総決算であると同時に未来の戦いへの種まきでもある。

投稿者 maikai : 12:55 | コメント (4)

2010年05月09日

ジュニアでもアラフォー世代が踏ん張った!

 一昨日は私用があったために後楽園ホールの『BAPESTA!』に行くことができなかったが、昨日はJCBホールの『スーパーJタッグ』へ。これは『スーパーJカップ』のタッグ版で「誰がヒーローになるか!?」が注目されていた。そして、そのヒーローの座を掴んだのは2008年1月末日で新日本との契約が満了となり、以後はフリーとして活動していた44歳のエル・サムライだった。まさかJCBホールがサムライ・コールで包まれるとは…。

 サムライのパートナーの金本浩二にしても10月には44歳になるし、怪我から復帰したばかり。新日本ジュニアを支えてきた重鎮2人が、若い人間が主役になるべき大会で強引にその座を奪ってしまったのだ。

 全日本の『チャンピオン・カーニバル』では鈴木みのると船木誠勝が優勝を争い、ノアの『グローバル・リーグ戦』では高山善廣と秋山準が優勝を争った。そして今回の『スーパーJカップ』。このところ、ジジイ扱いされるアラフォー世代がやたらと存在感を発揮している。以前にも書いたが、これをもって「やはりプロレス界は新陳代謝がない」とか「若い世代が不甲斐ない」などと野暮なことは言いたくない。もはや残りの現役生活が限られているアラフォー世代の「これを逃したら先がない」という危機感と踏ん張りを評価したいと思う。それはひょっとしたら“最後の輝き”かもしれない。経験とファンの長年の記憶に裏打ちされた輝きは大きい。若い世代がそれを食うだけの物凄い頑張りを見せた時に時代はゴロッと変わるのだと思う。そこには本当に大きなエネルギーが必要だ。

 さて、昨日の大会で日本初登場となった外国人選手だが、オースティン・クリードは勘のいい選手だったし、あのキング・ハク(ミング)の息子のタマ・トンガはまだまだ荒削りだが足腰の強さといい、身体能力の高さは父親譲りで、私的にはイチオシの選手。タイガー服部さんに紹介されてSWS、WAR時代によく飲んだトンガさんの息子と会えたのは個人的に嬉しいことだった。期待されたドラダとバリエンテのCMLLコンビは、確かに空中殺法は素晴らしかったが、スタイル的に新日本に合うかというとちょっと疑問だった。期待されていたドラダよりもバリエンテの方が骨太のファイトで日本に合うのではないか。初来日ではないが、新日本初登場のデイビー・リチャーズの押し出しの強いファイトは今後も光るだろう。

 SMASHから参戦して外道と組んだKUSHIDAはやや気負い気味だったものの、ハッスル的イメージを払拭することに成功したと思う。6月の『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』への出場も決定したから、ここで本領を発揮してほしい。

投稿者 maikai : 15:41 | コメント (3)

2010年05月06日

広がるFUNAKIの夢

 4月22日にWWEをリリースされたFUNAKIが昨日の後楽園ホールにおけるゼロワン興行で凱旋試合を行った。凱旋ともなれば自分を思いっきりアピールしたいのが普通だが、FUNAKIはパートナーの日高郁人のサポート役に徹した。出した技はヒップトス、アームドラッグ、ドロップキックの基本技にダイビング・ボディアタック、フェース・クラッシャーぐらいで、あとは試合のリズムを作るのに専念。職人気質のFUNAKIらしい凱旋試合だった。

 それにして一度も離脱することなく、WWEに13年間も在籍していたというのは凄いこと。これはアンダーテイカー、HHHに継ぐ在籍期間で、マクマホン・ファミリーの一員でもなければあり得ないことなのだ。それだけFUNAKIの技量、人間性が買われていたわけだ。

 今回のゼロワン参戦はまさにタイミング。昨年の天下一ジュニアで優勝した日高は、ひとつだけ叶えられる夢として師匠FUNAKIとのタッグ結成を熱望していたが、それがWWEからのリリースによって本当に実現したのである。

「日高とは浜口道場でも少しだけ一緒だったし、プロになって一から全部教えた最初の選手なんですよ。大谷選手も浜口道場で一緒に練習していた仲です。それに中村祥之さんにしても19歳の頃から知っていて…中村さんはリキ・プロダクションにいましたけど、僕はそこでバイトをしていたんです。だからゼロワンとは縁があるなと。だからゼロワンをヘルプしたい気持ちが大きいですね。まず日高とタッグ・チャンピオンを目指すし、大谷選手を真の意味でプロレス界の男にしたいと思います」とFUNAKI。

 だからといって、ゼロワン入りするわけではない。拠点はサンアントニオのままで、来日という形でのゼロワン参戦となる。実際、WWE離脱後にROHやチカラ・プロからオファーが来ているという。契約上、アメリカでは90日間は他団体に上がれないことになっており、その期間が過ぎれば日本とアメリカを股にかけての活躍になるだろう。

 私は02年にハワイでFUNAKIファミリーと食事をする機会があったが、その時点ですでにしっかりとアメリカに根を降ろしていた。早百合夫人は2人のお子さんをアメリカで産み、食事した時には、下の男の子はまだベビーカーに乗っていた。当時、FUNAKIは「僕はずっとアメリカにいたいですね。WWEでエージェントになれればって前から言ってますけど、あとは日本人向けのレスリング・スクール…浜口道場のUSA版をやろうかなと。育てた選手を日本に輸出してもいいし、WWEと契約する選手を輩出しても面白いじゃないですか」という夢を語っていた。

 それから8年。今の夢をFUNAKIはこう語った。
「僕のレスリング・キャリアはあと3~4年だと思うんですよ。WWEにいたままだったらレスリング・キャリアの最後を日本で迎えられなかったと思うんです。だから、今回のことも運命かなと。あと数年、自分のやりたいようにレスリングしながら、いろいろなことを吸収して、その後は再びWWEに戻ってプロデューサーをやるのが僕の夢ですね。いろいろな選手を見たり対戦して、いい人材がいればWWEに送り込むことも出来るだろうし、最終的にはWWEのプロデューサーとして選手を育ててみたい。社長(ビンス)とステファニーには“いずれプロデューサーとして戻ってきたい”という手紙も出しましたから」

 日本ではゼロワンをベースにし、あとは海外で様々な団体に上がってレスラーとしての最後の戦いを満喫すると同時に将来のために様々な選手を見て、最後はWWEのプロデューサーとして手腕を振るう。FUNAKIの夢は広がるばかりだ。

投稿者 maikai : 15:34 | コメント (1)

2010年05月05日

濃密な1日

 昨日はまずDDTの後楽園大会へ。久々のDDTだったが、前半は作り込みプロレスでお客を楽しませ、後半のディック東郷DDT入団初試合、髙木&澤vsMIKAMI&タノムサクのKO-Dタッグ選手権、関本vs飯伏のKO-D無差別級選手権では試合内容でガッチリ見せるというバランスは絶妙。パッケージ・プロレスとして完成されていることを改めて実感させられた。

 DDT終了後は大急ぎで横浜文体の大日本プロレスへ。何とか第2試合の途中には到着した。15周年記念大会ということで様々なことがあったが、ここで書きたいのは第5試合で行われたシャドウWX&ジ・ウインガー&藤田ミノルvs山川竜司&TAJIRI&谷口裕一の6人タッグだ。このメンバーでずっと大日本にいるのはシャドウWXと山川だけ。それだけ人の出入りの激しい団体だったわけだが、それでも記念大会にこうしてかつてのメンバーが集ったのは、昔から知る人にとっては嬉しい限り。そして特別レフェリーとして中牧昭二もこの試合に加わった。

 中牧が大日本の会場に足を踏み入れるのは過去の経緯から考えると“事件”と言ってもいい。98年11月、当時、大日本所属選手であり取締役でもあった中牧は大仁田のFMW最終試合の対戦相手に名乗りを挙げた。そして同月19日、中牧は池袋の某ホテルで記者会見を行うとしたが、それを知ったグレート小鹿社長は激怒して、会見場を張り込み、池袋の路上で中牧を殴りつけたのだ。その場にはシャドウWX、山川もいた。

 あれから11年半。小鹿社長と中牧はリング上で握手した。「僕はもう引退したんですけど、あの池袋の一件が常にモヤモヤしていました。それで今回、志賀クン(シャドウWX)から電話をもらった時に嬉しくて。だから今回、どんなことがあっても駆けつけようと思っていました。握手した時に小鹿社長が握り返してくれたことでモヤモヤが消えました」と中牧。そこには恩讐を越えたドラマがあった。

 さて、大日本終了後はまたまた駆け足でサムライTVのスタジオに行き、2夜続けての『S-ARENA』出演。昨日のゲストはノアの『グローバル・リーグ戦』に優勝した高山善廣だった。高山は優勝翌日には剣劇女優の浅香光代と対戦、7日には後楽園におけるBAPESTA!でサスケと組んで小島聡&APEGONと対戦し、9日には大阪のIGFではジョシュ・バーネットと一騎打ちを行う。実に振り幅の大きい活動をしているのだ。高山はプロレス自由人である。

投稿者 maikai : 11:05 | コメント (1)

2010年05月04日

10年以上前、秋山は高山を…

 昨日は秋山について書いたので、今日は『グローバル・リーグ戦』に優勝した高山について書こう。

「日本武道館はUインター、全日本、ノアでやってきて、メインで勝つのは初めてだし、インタビューも初めてだから、ちょっと嬉しいなってカンジ。こういうインタビュー、慣れてないから辛いね。あっちこっち痒くなってくる。居心地悪いっス!」

 高山は優勝の喜びを“らしく”口にした。本当に嬉しさが伝わってきた。

 Uインターに始まってキングダム、全日本、ノア、フリー…とプロレス活動を続けてきた高山にとって、今回の優勝はまた格別なもの。タイトルマッチは1発勝負だが、リーグ戦は一戦一戦の積み重ね。またかつての所属団体とはいえ、ノア初のヘビー級リーグ戦を外様の立場で制したのである。

 高山は日本プロレス界においてフリー・レスラーのステータスを作った男だ。フリーというと、団体のいいように使われて最後はポイ捨てされるイメージが強かったのが、高山はPRIDE出場によって独自のポジションを確立し、様々な団体でトップを張ってきた。そこにはプロレスラーとしての資質はもちろん、鋭い感性があった。

 キングダム崩壊後、新日本に行くという選択もあったが、選んだのは全日本だった。その選択については「多分、あそこで新日本に行ってたら、nWoの下っ端になっていたでしょ。天山になってましたよ(苦笑)。蝶野さんの子分になるだけだから、つまらんと。でも全日本に行けば神宮球場(Uインターの96年9月11日)での一騎打ちの流れで川田利明の対抗馬になれるから、そっちの方がいいと思いましたね」と言っていたし、01年3月にノアからフリーになったことについても「ベイダーがいなくなったじゃないですか。だから俺が外敵になってベイダー、ハンセンみたいになった方が同化しなくて面白いんじゃないかなって」と言っていた。

 そうして多くのレスラーと一騎打ちをやってきた高山にとって、意外にも戦っていなかったのが身近にいたはずの秋山準。優勝はもちろんのこと、最後に秋山と戦えたというのも、高山にとっては大きな喜びだったはずだ。

「10年経ってやっとだよ。お互いに、いい時はとうの昔に過ぎている。でも40過ぎたおっさん同士が死ぬ思いで勝ち上がったんだから。これを逃したら悪役商会vsファミリー軍団になっていたよ」と高山は笑った。

 まだ高山が全日本に上がったばかりでプロレスに順応出来ずにバタバタしたファイトをやっていた頃、秋山に「将来のライバルは?」と聞いたことがある。私としては「大森隆男」という答えを予想していたのだが、秋山は「僕的には高山選手ですね!」と答えた。もう10年以上も前のことである。秋山は、プロレスラーとしてはショッパかった時代の高山にすでに何かを感じていたのだろう。秋山ならではの感性である。これまで2人にはライバル・ストーリーは生まれなかったが、四十路を越えて日本武道館のメインで激突したというのも実に伏線の長いドラマと言っていいのではないか。

 今回のノアのリーグ戦は若い世代が優勝決定戦に辿り着く前に消えた。最後は同じ92年にデビューし、43歳になった高山と40歳の秋山のアラフォー対決で覇権が争われた。この事実について若い世代の不甲斐なさを口にする人もいるだろうし、時計の針が止まったと批判する人もいることだろう。でも、日本武道館に集まった観客はアラフォーの2人の死に物狂いの戦いに感じるものがあったと思う。プロレスが最後に提供するのは技術ではなく、戦う者の心、魂なのだから。

投稿者 maikai : 10:05 | コメント (1)

2010年05月03日

素顔をさらけ出した策士

 まずは1ヵ月以上もダイアリーを更新出来なかったことをお詫びします。その大きな理由としては目の前の仕事、その他、日々の諸々のことでエネルギーを使い果たしていたことにあります。

 このサイトは仕事ではありません。だからといって単なる趣味でやっているものでもありません。今、決まった媒体を持っていない私にとっては、何かを発信する重要な場所。エネルギーを使い果たした後に何かを書くのにはためらいがありました。皆さんに対しても失礼になると思ったからです。

 多くのコメントをいただいたり、知り合いから心配されたり、あるいはカメラマンの友人からは「死亡説が出てるよ!」と言われたりしましたが、あえて自粛させてもらっていました。正直、いつから再開するべきか、タイミングを見ていたことも事実ですが、今日からリスタートします。またストップする時期が来るかもしれませんが、その時はご容赦を。

 ということで、久々に書くのは昨日のノア日本武道館の『グローバル・リーグ戦』について。今回の「ノア最強は誰かを決める」が謳い文句だったリーグ戦の主役は紛れもなく秋山準だった。

 私が人間・秋山準に初めて接したのはすでに四天王に食い込む位置まで来ていた96年。92年の入門当時、私はSWS騒動から全日本に背を向けていて(全日本からすれば出入り禁止)、94年夏に週刊ゴングの編集長になってからは、再び全日本に出入りするようになっていたものの、すでに担当取材記者ではなかったので若い選手と話をする機会はほとんどなく、秋山と会話をすることもなかったのだ。

 96年11月、久々に全日本の札幌大会に出張に出た私は試合後に全日本担当の鈴木淳雄記者に誘われて秋山、泉田純至と飲みに行った。プライベートで初めて会った当時の秋山はちょっと斜に構えている感じで愛想もいいタイプではなかったが、元々クセがあるタイプの人間が好きな私は逆に好感を持った。そして親しく話すようになっていくうちに彼のプロレス観にも惹かれるようになった。

 三沢光晴、小橋建太という太陽を見てきた秋山は、若い頃から「自分はベルトを取ってトップになれても、主役になれる人間ではない」と自分を冷静に分析していた。だから試合になると相手をコントロールしつつ、相手の力を引き出しながら、最終的には勝っても負けても自分の価値を下げない戦い方を身に付けていたし、自分の関わる試合については常に何か話題を作っていた。「それは自分自身に自信がないからやるんですよ。三沢さんや小橋さんだと試合だけで魅せられるというのがあると思うんですけど、僕はその自信がないからプラスアルファを付けるんですよ」と笑っていたことがある。

 そうした職人肌的なところが、いつしか“策士”と呼ばれるようになり、昔からの秋山ファンにとってはたまらない魅力なのだろう。逆にそんな面が大ブレークしなかった理由だとも思う。

 そして今、40歳になった秋山は若い世代からおっさん呼ばわりされて世代交代を迫られ、ファンからは「頑張ってくれ!」と祈りにも似たコールを送られる立場になった。

 そんな状況での今回のリーグ戦。私は日本武道館のパンフレット用のインタビューのために開幕前に秋山に会った。秋山は今回のリーグ戦を「相手云々ではなく自分自身との戦いですよ」と言った。

「とにかく“いい試合をやりたい!”っていうのが一番で、その時、その時を一生懸命やることしか出来ないですね、今は。昔、小橋さんがことあるごとに“一生懸命に…”って言ってて、僕は“ナニが一生懸命だよ”って思いましたけど(苦笑)、でも、そうです。今はそれです。今になって上の先輩に言われたことがひとつずつわかってきましたね、やっと」
「多分、今から僕がリング上で出す感情は素のままだと思うんです。だから過去も未来も関係なくて、今の僕を見てくれて応援してくれる人に何か少しでも返せたらと思いますね」

 気負っているわけでもなく、悲壮になっているわけでもなく、自然体で語ってくれた秋山は、それを今回のリーグ戦で体現してくれたと思う。昨日の杉浦との公式戦、高山との優勝決定戦もそうだった。自分自身を奮い立たせるように咆哮し、思うように動かない自分の体に悔しそうな表情を浮かべ、そして最後は高山のエベレスト・ジャーマンに散った。気迫、覚悟、弱さ、悔しさ…すべてをさらけ出した秋山の姿がそこにあった。

試合後のコメントで「体調が悪くて、思うように体が動かなかった、そういう中でファンの声援が凄い力になったし…」と言った時の秋山の目に涙が滲んだ。こんな秋山を見るのは初めてだった。

「ここで一花咲かせて、もういいかなって言う気持ちもありましたけど、杉浦に散らされることもなかったし、一花咲かすこともできなかったし、まだ蕾のままかなと。それはそれでよかったかな。まだ行けるっていう自信も付いたんで」

 これから秋山がどんな生きざまをリングで見せつけてくれるか!?  かつて相手をコントロールし、客を掌に乗せ、言葉でも完全武装して“策士”と呼ばれた男は、年輪を重ねて40歳になり、弱さも何もかもさらけ出せるようになった。策士時代の秋山も魅力的だが、そんな素の秋山も魅力的だ。そこには若い人間にはない“味”がある。

投稿者 maikai : 14:47 | コメント (6)