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2009年10月26日

DDTのネバーランド

 昨日のDDT後楽園は実験の場。KO-D無差別級王者・飯伏幸太がヨシヒコ(人形)の挑戦を受けて「一流レスラーはホウキとでも試合が出来る」という例え話を実際にメインのリングでやってのけたのである。

 セコンドのディーノ&高梨&佐藤光留がどうヨシヒコを操るのかと思ったら…ほとんどがヨシヒコの自力(?)のファイト。まずはロックアップ→ヘッドロック投げ→ヘッドシザースで切り返すという基本的な攻防。その後、ヨシヒコはバックドロップ、ヘッドシザース・ホイップ、パイルドライバー、スーパースイングDDT、さらにはカナディアン・デストロイ8連発! 飯伏の運動神経の良さとプロレス頭が試合を成立させた。

人形相手のプロレスごっこと言ってしまったら、ミもフタもない。それを24分5秒もやって、1346人のお客さんを満足させたのだから、やはり飯伏はタダ者ではないのだ。

 私の感想は…単純に面白かった。ただ、手放しで「素晴らしい!」とは言えない自分もいる。プロレスのひとつとして表現したものではあるが「これもプロレス!」と言ってしまったら、やっぱり違うと思う。それをやったのが、ジュニア・ヘビー級の一流選手として認められている飯伏幸太であり、その舞台がDDTという団体だから成り立ったというのが忘れてはならないポイントだ。

 この日の興行のコンセプトは「ウェルカム・トゥ・ネバーランド」。そう、DDTが構築したネバーランドという独自の世界の中での出来事だからOKだったのである。今年8月、両国進出を成功させたDDTだが、そこに行き着くまでに12年以上もの過程があった。その中でDDTはアイデアを凝らし、徹底的に作り込んだ“文化系プロレス”を作り上げてきた。時間をかけて育まれたプロレスファンとDDTの信頼関係があって初めてこんな実験が出来たのだと思うし、飯伏幸太というレスラーがやったからこそファンは楽しめたのだと思う。これが他の団体、他のレスラーだったとしたら「プロレスを舐めるな!」と批判されて終わっている可能性大だ。

 昨日は他にも、ウルトラマンロビンと組んだ高木三四郎が三四郎ビンセブンに変身し、試合にはダダやゼットンなどの怪獣が乱入。さらに三四郎ビンセブンの救出にゾフィー兄さん(長井満也)が登場と、まさしく大人になれないピーターパンたちのネバーランドそのもののような大会だった。それが茶番にならず、すべてがプロレス愛に包まれていて、会場にいる人全員が心地好い気分になれるのがDDTの良さである。

投稿者 maikai : 13:19 | コメント (2)

2009年10月25日

川田に光明が…

「あることをきっかけにプロレスに迷いが出てきた部分があって。ただリングに上がると迷いのない自分に戻れるし、忘れられる。やっぱり普段から迷いはあってはいけないと思うんで、昔の気持ちに自分を戻らせるように頑張ってみます」

 昨日、ゼロワン後楽園で田中将斗を破って世界ヘビー級王者になった川田利明はちょっと前向きな姿勢を見せた。

 あることとは三沢さんの事故。以来、川田は葛藤を抱えながらリングに上がっている。昨日にしても、決して心身共にベストとは言い難かった。川田のモチベーションは体を見ればすぐにわかる。モチベーションが高まっている時はシェイプされているが、下がっている時は肉がついているのがこれまでの傾向。ここ最近の川田は明らかにウェイトオーバー気味だ。ただ、昨日の試合に限ってはウェイトがあったことが功を奏した。体や技のキレは今いちでも、技のひとつひとつが重くて、それが将斗に確実にダメージを与えたのだ。

 さらに将斗のひたむきなファイトが川田を燃えさせたことも大きい。川田が試合後に「タフなところにはビックリ。あんだけボコボコ入れているに返して起き上がってきた。凄いね、彼は!」と下を巻くほどの気迫のファイト。前後からのスライディングDは“遂に将斗が川田を攻略か!”と思ったほどの決まり具合だった。

 その将斗を攻略してベルトを手にした川田は「もうベルトには縁がないと思っていたんだけどね。たまたま今日は調子が良かったのかもしれないけど、“まだ、出来るじゃないか!”という気持ちが少しは沸きてきた」と白い歯をチラッと見せた。

 このベルトは、かつてニック・ボックウインクル、ジャンボ鶴田、リック・マーテル、スタン・ハンセンが保持していたAWA世界ベルトのデザイン。ジャンボがAWA世界王者になった84年春、川田は一介の若手に過ぎず「鶴田さんの雑用をやっていて、ベルトを運んだことはあるけど、自分の腰に巻くのは初めて」と嬉しそうな顔も。

 まだまだ吹っ切れるところまではいっていないようだが、川田はキャリア的にも武藤らと並んで日本プロレス界を引っ張っていく位置に来ている。これからの若い選手のためにも、三沢さんに代わって業界全体を牽引していく覚悟を1日も早く持ってくれることを望む。

投稿者 maikai : 17:56 | コメント (0)

2009年10月20日

熱い!棚橋弘至

 昨日のサムライTV『S-ARENA』のゲストは右眼窩内側壁骨折から17日にカムバック、11・8両国で中邑真輔のIWGP王座に挑む棚橋弘至だった。

 真輔vs棚橋は単なるライバル対決ではなく、イデオロギー闘争。猪木をターゲットにして「今のストロングスタイルを見せる」と豪語する真輔に対して「ストロングスタイルは単なる言葉。今の新日本は新しい時代に入っている」と棚橋。まるで水と油なのだ。番組本番前の控室でも話をしたが、猪木引退後の99年3月に入門した棚橋には猪木への思い入れはないし、接点もほとんどないとのこと。「むしろ関わらなくてよかったと思ってますよ」とさえ言っていた。そして番組本番でも熱かった。

「中邑は“今のIWGPに輝きはない”って言うけど、ベルトを輝かせるのは、それを巻いている王者だろって。ということは、その言葉は本人にも返ってくるんですよ」「僕には“イノキーっ!!”って言ったあとの“助けてください”って言葉が聞こえましたよ。誰かの力を借りようとするなって。プロレスを盛り上げていくには、たとえ遠回りでもプロレスをやっていくしかないんですよ」「今の新日本を守るのは自分の使命」「自分と中邑のどちらが正しいのか? それは11・8両国で勝った方が正しいんです」

 メモを取っていたわけではないから正確ではないが、そんな内容の熱い言葉がポンポン飛び出した。そして、その後に棚橋らしさが出た。

「熱い? あっ、キャラが違うな。今までのはナシってことにできないですか?」

 あくまでもチャラ男のキャラを通すのが棚橋の流儀なのだ。何しろ来年の新日本のカレンダーの12月の棚橋は背中に羽が生えているデザインで、どう見ても韓流スター風。あの猪木カラーのストロングスタイルのイメージとはあくまでも真反対の路線を突っ走っているのである。

 全日本プロレスがジャイアント馬場の世界&王道から武藤敬司の世界に変わったように、新日本プロレスもアントニオ猪木&ストロングスタイルからスポーツ・エンターテインメント的に変化してきた。その新日本の変化の先頭を走ってきたのは棚橋である。もちろん本人にも自負はあるだろう。

 きっと棚橋が支持されてきたのはチャラ男にして、内面は心の強いプロレスラーだからだと思う。今回の怪我にしても、やってしまったのは最後のボマイェではなく、試合途中のハイキック。ドロッとした粘り気のある鼻血が出て、右目が見えない状態で最後まで戦い続けた。どんなアクシデントがあっても最後まで試合をするのがプロレスラーなのだ。チャラいだけじゃない、そういう棚橋の本質をファンもわかっているからこそ、そこに確かな信頼関係が生まれているのだと思う。

 11・8両国は今後の新日本の方向性を占う大勝負。考え方のまったく違う者同士のイデオロギー闘争ほど、見る側にとって面白いものはない。

投稿者 maikai : 12:56 | コメント (0)

2009年10月19日

剛竜馬さんの悲報に接して

 18日午前1時11分、剛竜馬さんがお亡くなりになった。53歳の若さだった。

 剛さんとは高校生のファンクラブ時代からのお付き合いだった。78年夏、国際プロレスからフリーになって藤波のWWFジュニア王座への挑戦が決まった時にファンクラブ誌のインタビュー取材を受けていただいたのが最初の出会いだ。

 あれから31年…最後にお会いしたのは今年5月24日、IWAジャパンの新宿FACE大会でのこと。レッスルエイド・プロジェクトで復帰してブッカーになった時以来だから、5年ぶりだった。鶴見五郎さんと一緒に来ていた剛さんは、鶴見さんと私が昔話をしているのを見て「2人とも、本当にプロレスが好きだねぇ」と笑い、そして「新しい本をやっているなら、いつでも協力するよ」と言って下さった。

 そんなことがあっただけに、Gスピリッツで連載している『実録・国際プロレス』に機会を見て登場していただこうと思っていたのだが…。

 今はただ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

投稿者 maikai : 12:13 | コメント (0)

2009年10月16日

自由と信念のもとに

 三沢さんの追悼興行を終えて、ノアは昨日の後楽園が真の意味での新たなスタート。そこで選手たちが繰り広げたのは“自由と信念”に基づくファイトであり、自己主張だった。

 9年前、ノアは「各自が自由に考えて行動すること。ただし、自分のやったこと、言ったことには責任を持つように」という三沢さんの考えのもとで旗揚げした。だが、時間が経過する中で、いつしか固定観念が生まれたと思う。全日本の四天王時代からの伝統である不透明決着なしの試合、相手の技を引き出した長時間の試合というのがノアのセオリーのようになっていた。

 だが、昨日の試合は今までの流れに囚われず、各選手が“自由と信念”のもとに自己主張した大会だったと思う。健介&森嶋の新GHCタッグ王者は彰俊&伊藤相手に圧倒的な強さを発揮して4分17秒で完勝。続くジュニア・リーグ戦公式戦では平柳が金丸を場外無理心中に引っ張り込んだ。KENTAとマルビンのジュニア公式戦は、マルビンの奇襲でスタートし、その結果、わずか1分59秒でKENTAが勝利した。明らかに今までのノアの風景とは違ってきているのだ。

 ジュニア・ヘビー級がリーグ戦による個人闘争なら、ヘビー級は世代闘争。小橋&秋山&田上&多聞にDO軍の力皇&ヨネに杉浦と谷口が合体して挑んだ。新世代の奇襲から始まった試合は、谷口が小橋に、杉浦が秋山に食ってかかる展開に。10・24札幌で驀進十番勝負第6戦として小橋に挑む谷口はチョップにエルボーで対抗し、バックドロップで叩きつけ、完璧なジャーマンを決める気迫のファイト。杉浦は秋山に喧嘩腰で殴りかかった。こうなればベテラン勢も黙っていない。小橋も秋山も、大人気ないくらいムキになって対抗していったから試合はヒートアップ! 秋山と杉浦の絡みでは秋山コールが起こったが、それは杉浦がそこまで秋山を追い込んだ証拠。やはり無血政権交代はあり得ない。こうしたせめぎ合いがあってこそ、プロレスは面白い。

 この日、GHCヘビー級王者の潮﨑はおたふく風邪で欠場となったが、杉浦は試合後に「ジュニアはリーグ戦やってるけど、ヘビー級も負けねぇ!
潮﨑! チャンピオンが休んでんじゃねぇ、こら!」とアピール。

 今のノアは98年夏、三沢革命がスタートした頃のような活気がある。

投稿者 maikai : 12:40 | コメント (0)

2009年10月15日

CIMAがギラリ!

 リングに登場すると、両腕を突き上げて「ウーッ!」。何かをやるたびに「ウーッ!」。これはドラゴンゲートのWARRIORS-5のパフォーマンス。このユニットになってからのCIMAは“楽しいプロレス”に走っているようで、個人的にはずっと物足りなさを感じていた。

 ところが昨日の後楽園ホールでKAGETORAと組んで鷹木信悟&YAMATOと対峙したCIMAは違った。試合前、コーナーに座って険しい表情で鷹木&YAMATOを凝視して「ウーッ!」のパフォーマンスはなし。試合でも一切の遊びがなく、ムキになって新世代の2人に向かっていった。やっぱりCIMAはこうしてギラついている方が似合っている。試合はKAGETORAがYAMATOの腕十字に敗れたが、久々に“本当のCIMA”を見た気がした。

 だが、若い2人の言葉は厳しかった。
「何で今日の試合がツインゲートのタイトルマッチにならなかったか? 当たり前の勝利だよ。何もないよ、別に。たまに殺伐としてスイッチ入れようなんて、そんなんじゃ通用するわけない。一夜漬けのテストと同じ」(鷹木)
「ハッキリ言って、かつてのYAMATOじゃないから、アンタ相手に熱くなることもないし、アンタに勝ったところで俺にメリットはない。もしシングルを組まれたら、仕事としてこなすから。いつものお笑いファイトじゃお客さんに通じないのがわかっているから、切羽詰まってるんでしょ。だから俺らに合わせたんでしょ」(YAMATO)

 ある意味、かなり痛いところを衝いたコメントでもある。ノーコメントだったCIMAは、これに対してリング上でどう返答していくのか? CIMAの新たなストーリーが始まるような気がする。

投稿者 maikai : 15:41 | コメント (0)

2009年10月13日

共に光った真輔vs大谷

 昨日の両国の蝶野正洋25周年記念興行は蝶野のこれまでのプロレス人生の集大成であり、プロレスの一大フェスティバルだった。大会全体については後日、プロレスコラムで書くとして、今日書きたいのはダブル・メインの第1試合で行われた中邑真輔vs大谷晋二郎のIWGPヘビー級戦だ。他の試合がお祭り的要素が強かったのに対し、この試合は闘いだった。大勝負だった。

 大谷のIWGP挑戦は、ゼロワンに参加する直前の01年2・28両国以来、実に8年8ヵ月ぶり。大谷はゼロワンと橋本真也を背負って出陣してきた。ゼロワン全選手がセコンドに着き、「大谷」と書かれた大旗を橋本の愛息・橋本大地が振る。熱いシチュエーションが出来上がっていた。

 多くのものを背負った熱い男・大谷と、「今のストロングスタイルを見せる」とクールな王者・真輔。対照的に見える2人だからこそ独特の緊張感が生まれ、そして共に光を放ったのがこの一戦だ。

 アウェイにもかかわらず大・大谷コールが発生したのは真輔がシビアに攻め立てたからこそ。真輔の非情さがあって、大谷のコテコテでベタベタなプロレスがひときわ光った。そして大谷が大谷を貫いたからこそ、ちょっと理解しづらい真輔流のストロングスタイルも光っていたと思う。水と油が化学反応を起こしたような試合だった。

 真輔が中邑真輔であることを際立たせるには、総合的な匂いを持つ相手よりもコテコテのプロレスをやる相手の方がいいというのはひとつの発見。

 さて、試合後に新展開が生まれた。欠場していた棚橋が正式に真輔に宣戦布告したのだ。棚橋は「ストロングスタイルは単なる言葉に過ぎない」と言う。価値観が違う者同士が対峙するから面白いのである。

 そして真輔は「何がアントニオ猪木じゃ!」と改めて猪木に対して宣戦布告。

 これから来年1・4東京ドームに向けて、ストロングスタイルとは何なのかが新日本プロレスの大きなテーマになっていきそうだ。

投稿者 maikai : 09:45 | コメント (1)

2009年10月12日

新展開

 10日~12日はプロレス三昧。10日=ハッスル・ジハード、11日=全日本・後楽園、12日=蝶野正洋25周年記念大会だ。中日の全日本開幕戦の注目は船木&諏訪魔vs高山&鈴木。船木と鈴木が9・26横浜文体の一騎打ちから初めての激突、そして船木と高山の初対決である。

 これまで8・30両国、9・26横浜で船木とぶつかった鈴木は、いつもの鈴木ではなかった。どんなに毒舌を吐いても、先輩・船木に対する特別な想いが見え隠れしているような気がした。ところが昨日の鈴木はいつもの“世界一性格の悪い男”鈴木みのるだった。

 入場時、放送席にいた私と鍵野アナに拍手を強要する余裕を見せ、試合になっても高山とのGURENTAIとして船木イジメに徹した。何か鈴木の中で吹っ切れるものがあったのだろう。考えてみれば、今シリーズは船木vs鈴木のタッグ対決(6人タッグを含む)が5回も組まれている。これは武藤が船木と鈴木に課したものだと思う。このマッチメークが鈴木のプロレスラー魂に何かをもたらしたのかも。

 試合は鈴木のゴッチ式パイルドライバー→高山のエベレスト・ジャーマンで船木がプロレス復帰以来、初フォール負けを喫した。GURENTAIがGURENTAIとしての試合を貫いたのが印象的だった。

 さて、船木にとってはこの復帰2シリーズ目が正念場。吹っ切れた鈴木は「今シリーズのいいオモチャを見つけた」と船木との今後のタッグ対決に前向きになっているし、船木と初タッグを結成した諏訪魔は「非常にやりづらい。目障り! もうやめてくれよ“船木! 船木!”ってよ。俺のやりたいプロレスができない。新陳代謝が一番遅れているのが全日本じゃねぇの? 今は安泰かもしれないけど、このままじゃ10年後はないだろ。俺らの世代が引っ張っていかないと」と牙を剥いた。

 こうした現象は船木が“ゲスト”から全日本マットの渦中に真の意味で放り込まれたことを意味する。先シリーズは予告編。ここからの船木の生きざまが本当の見ものなのだ。

投稿者 maikai : 09:40 | コメント (0)

2009年10月11日

新生ハッスル、多難のスタート

 ハッスルの仕切り直しとして注目された昨日の両国国技館における『ハッスル・ジハード2009』は厳しい客入りだった。参戦したレスラーを見ればグレート・ムタ、高山善廣、長州力、天龍源一郎、川田利明、マグナムTOKYO、越中詩郎、TAJIRI、ウルティモ・ドラゴン…とビッグネームがズラリ。それでも客入りが悪いということは、今は豪華なメンバーや豪華なカードを並べただけではファンは振り向かないということ。これまでファイティング・オペラの名前通りにストーリーでファンを開拓してきたハッスルだが、今回の展開はかなり急造でファンには届かなかった。やはりプロレスはそこに至るまでのドラマ、プロセスが重要なのだ。

 メインとなったのはハッスル連合軍vsRIKI軍団の勝ち抜き戦。その中で全日本時代以来となる川田vs高山や長州vsマグナムが実現したことを考えると、今回の客入りは実に残念。いっそのこと勝ち抜き戦ではなく、シングル5vs5として先にカードを決めて発表し、それに向かってのドラマを作ってほしかった。

 純粋に試合として私の印象に残っているのは、まず第1試合のウルティモ・ドラゴン&KGvs大原はじめ&スペル・クレイジー。KGと大原は、ハッスルが苦しくなってから頑張りが目立っている選手。昨日も男女を超えたハードヒットな攻防でオープニングをしっかりと暖めた。この2人のひたむきなプロレスへの取り組みは好感が持てる。そしてウルティモの会場を盛り上げるテクニックには改めて感心させられた。ちなみにウルティモとマグナムが同じ大会に出場したのは、過去の経緯を考えると、ちょっとした事件である。

 そして長州vsマグナム。わずか2分4秒でレフェリー・ストップになってしまったが、ハッスルという舞台、RIKI軍という設定の中でも長州は普段と同じ集中力、テンションで長州力を貫いた。短い試合に不満を持った人がいるかもしれないが、結果的にこれで大会がピリッと締まったと感じている。

 さて、ハッスルはあくまでも攻めの姿勢で12月25日に両国で『ハッスル・マニア2009』を開催することを発表。昨日の流れではムタ、キングRIKI、マグナムの3WAYマッチが濃厚だが、昨日の時点では新たなハッスルの世界観を打ち出すまでには至らなかったのが現実。新生ハッスルの本当の勝負は12・25までの2ヵ月間で何を発信できるかだ。

投稿者 maikai : 18:30 | コメント (1)

2009年10月10日

長州力35周年

 昨日は東京ドームホテルで『長州力選手プロレス人生三十五周年を祝う会』が催された。発起人は山本小鉄、藤波辰爾、佐山聡、蝶野正洋ら、長州のプロレス人生に大きく関わった人たち。

 長州は挨拶で「山本さんがいなければ、今、自分はこの壇上にいなかった」「ジェラシーを燃やした自分に藤波さんが胸を貸してくれたことで長州力が世に出ることができた」「あの時代、佐山がタイガーマスクとして支えてくれた」「蝶野を始めとする闘魂三銃士の突き上げがあったことで頑張れた」とそれぞれに感謝の言葉を述べていた。

 それにしても35年とは長い月日。私が初めて長州と言葉を交わしたのはファンクラブをやっていた高校3年生の夏、大宮スケートセンターだった。もう30年も前のことになる。その後、この業界に入ってマスコミ嫌いが頂点だった維新軍、ジャパン・プロレス時代に担当記者をしていた私にとっては、歓談中にわざわざ挨拶に来てもらうというのは何とも表現しがたい気分だった。

「新日本に入った時、すでに自分ではゴールを決めていたんだけど、そのゴールは思ったより遠くて…今はゴールを目の前にして、その最後の一歩を踏み出すところで試行錯誤している状態」という長州。先日のドラディションでは「集大成に付き合って下さい」と藤波に一騎打ちを呼び掛け、今日は『ハッスル・ジハード』にリーゼン党として参加する。プロレス意外に芸能活動も始める。常に何かに走っていなければ我慢できない男のゴールは目前のようでいて、まだまだ遠いのかも。

 思えば、私は中学1年の時に長州のデビュー戦(74年8月8日、日大講堂=vsエル・グレコ)もリングサイドで観ている。こうなったら、そのゴールまで長州力を見続けていくつもりだ。

投稿者 maikai : 12:30 | コメント (0)

2009年10月05日

この4ヵ月

三沢追悼.jpg

 10月3日、三沢光晴追悼興行第2弾が大阪府立体育会館で行われた。これで三沢さんに関する行事が終了した。

 思えば、この4ヵ月間は私の仕事も三沢さんをメインに回っていた。Gスピリッツ第12号では突然の訃報にページを潰してもらって追悼文を書き、週プロの増刊号で天龍&川田との関わりを書かせてもらい、週プロ本誌ではリレー・インタビューの第1弾として越中さんにインタビューした。AERAの取材も受けた。そして三沢追悼興行のノアのパンフレットをOffice Maikaiとして編集させてもらい、9月25日発売のNunber増刊号、9月30日発売のGスピリッツ第13号…。

 古くから三沢さんを知る数少ないマスコミ関係者のひとりとして、より多くの場所でプロレスラー・三沢光晴、人間・三沢光晴を伝える義務があると勝手に思い込んで依頼された仕事はすべてやったし、また、取材を通して新たな三沢光晴を知ることもできた。三沢光晴を通して、改めてプロレスというものを深く考えることもできた。三沢光晴と目いっぱい向き合った4ヵ月間だった。

 私にとって三沢光晴は、古くは「タイガー」であり、その後は「みっちゃん」だったが、凄いプロレスラー、人間だったんだなと改めて感じている。今年に入ってから、あまり接する機会がなかったのが本当に心残り。3月のGスピリッツ第12号の取材の後に、飲みに行く時間があればよかったのにとつくづく思う。結局、仕事抜きで飲んだのは05年9月の御徒町が最後になってしまった。

 これからも折に触れて三沢光晴というプロレスラー、人間を伝えていくことが義務なのは変わりないが、これで一区切り。ノアを旗揚げしてからは、立場を考慮して人前では「三沢さん」「三沢社長」と呼んで敬語で接していたけど、また昔のように「みっちゃん」「小佐野クン」の関係に戻させて下さい。そして、みっちゃん、ゆっくりとお休みください。みんなが前を向いているからプロレスは大丈夫だよ!

(写真は9・27日本武道館 撮影=神谷繁美カメラマン)

投稿者 maikai : 12:35 | コメント (0)

2009年10月01日

Gスピリッツ第13号情報PART3

 昨日発売になったGスピリッツ第13号はおかげさまで評判も上々のよう。今日は、まだ購入されていない方のために情報PART3をお届けしたい。

 今回の特集は、これまでに様々な場面で語られてきた人間・三沢光晴よりもプロレスラー・三沢光晴に力点を置いたものだが、それでもやはり人間性というのは重要な要素。プロレスの最終的な魅力は、そのレスラーの人間性&人生になるからだ。そこで三沢さんに縁のある人物として渡部優一氏、ターザン後藤、阿修羅・原に回想してもらっている。

 現在、掣圏真陰流総本部・興義館館長の渡部氏は足利工業大学附属高校レスリング部で三沢さんと同期。渡部氏がキャプテン、三沢さんが副キャプテンだった。三沢さんがアマチュア時代にどんなレスラーで、どんな青年だったかを、渡部氏秘蔵の写真とともに語ってもらっている。

 ターザン後藤は三沢さんにとって1歳年下の1年先輩レスラー。三沢さんが全日本道場に入門してきた時を知っている数少ない選手だ。練習生時代の三沢さんとの思い出、三沢さんの素質、当時の全日本の前座戦線など、リング上の“鬼神”ではなく、素の実直な後藤政二として語ってくれているのがミソだ。

 そして阿修羅・原は天龍同盟として三沢さんが2代目タイガーマスクだった時代に試合で鍛え抜いた人。天龍同盟との戦いはのちの四天王プロレスの原点ともなっているが、阿修羅は当時から三沢さんに同じ志を感じていたという。

 渡部氏=高校レスリング部時代、後藤=若手時代、阿修羅=タイガーマスク時代。それぞれの時代ごとの三沢さんの資質&人間性が浮き彫りになっているはずだ。

投稿者 maikai : 12:42 | コメント (2)