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2009年08月25日

明後日は…やってやるって!!

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 先週の土曜日の話になってしまうが、中野での若林さんのトーク・イベント終了後、若林さんと私は楽屋に戻らずにそのままタクシーで新橋のサムライTV『S-ARENA』に直行。放送は午後10時からで、何とか9時半過ぎにはスタジオに滑り込むことができた。

 私は月曜レギュラーだが、この日は8・27後楽園ホールでデビュー30周年興行を行う越中詩郎がゲストということで私に出演の依頼があったのだ。

 越中さんとの出会いはゴングが週刊化される以前の84年1月だから25年以上も前。全日本プロレスのグアム合宿に同行させてもらった時だった。その当時、私は全日本の選手とほとんど面識がなかった。親しく口をきけたのは81年のアメリカでお世話になった渕さん、別冊ゴングでインタビューしたことがある鶴田さん、『底抜け脱線ゲーム』収録の時にアイドルの石川秀美と写真を撮ってあげたターザン後藤ぐらいなもの。それだけに心細かったが、そんな私をアニキよろしく面倒見てくれたのが越中さんだった。

 越中さん、ジョー樋口さんと実弾を撃ちに行ったり、ドッグレースに行ったり、一番下っ端の若手だった川田を連れてココス島に行ったり…。このグアム合宿から3ヵ月後、ゴングが週刊化されて私は全日本担当記者を命じられたのだが、この合宿での経験があったからスムーズに全日本に溶け込めた。それも越中さんのお陰だ。特に越中さんと一緒にココス島で遊んだ川田は、私が全日本担当記者になったことを喜んでくれた。

 だが、私が全日本担当記者として越中さんを取材することはなかった。ゴング週刊化以前の3月に三沢とメキシコに旅立ち、そのまま全日本に戻ることなく新日本に移籍してしまったからだ。全日本担当記者になって1年ちょっと経った85年7月。越中さんが密かに帰国した。同月14日、巡業先の八戸に来て、馬場さんに新日本移籍のお願いをするという情報を私はキャッチしていた。取材はもちろん、久々に越中さんに会いたかった私は八戸のホテルを張っていたが、とうとう会うことは出来なかった。

 翌日、馬場さんに話を聞くと「越中? 昨日来たよ。俺とだと話しにくいだろうから、天龍が話をしていた。天龍は“今日、会場に来て長州の頭をイスで殴れば、すべてが丸く収まるから”と言っていたみたいだったけどなあ。新日本への移籍? いや、あいつはウチの選手や」とのことだった。

 だが、越中さんは、この馬場さんへの挨拶をけじめとして強行突破、新日本移籍の道を選んだ。

 越中さんが私の取材対象になったのは、それから7年後の92年。反選手会同盟として私が担当するWARに殴り込んできたのだ。

「天龍もWARもぶっ潰してやるって!」と殴り込んできた越中さんの迫力は凄かった。WARが旗揚げしたばかりなら、反選手会同盟も結成したばかりで、どちらも負けられなかったのである。

 WAR巡業中のある駅のホームで越中さんと話す機会があった。「俺はね、八戸のホテルで天龍さんが“お前もメキシコで苦労したんだろう?”って言ってくれたことを忘れていないよ。で、“これを…”ってポケットに金を突っ込んでくれて…。それも天龍さんの自腹だよ。あの時のことは一生忘れない。だから今、WARで俺は本気になって天龍さんを潰してやろうって向かって行ってるんだよ。それでファンが熱くなって、お客さんが入ってくれれば本望だしね」と越中さん。潰しにかかる=恩返し。越中さんは若手時代と変わらず熱い人だった。そんなことを思い出しながらの越中さんとのトークはあっという間に終了した。

 8・27後楽園では一昨年春に涙のIWGP戦を戦った永田裕志、ドラゴン・ボンバーズの盟友だったライガーとトリオを結成。対するは久々に合体する天龍&川田にTAJIRIを加えたトリオだ。セミではRGが平成維震軍選抜メンバーと激突するとのことで、ここはぜひともコワモテの人をお願いしたい。また、安生がアン・ジョー司令長官としてではなく、安生洋二としてハッスルのリングに初登場するのも楽しみ。WJで反・長州として結束した大森と安生のレイバーユニオンが復活するのである。

 ハッスルという舞台で繰り広げられるド演歌ファイターの30周年。一体、どんな色になるのか楽しみだ。

投稿者 maikai : 2009年08月25日 11:23

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