« ありがとうございました! | メイン | 明後日は…やってやるって!! »

2009年08月24日

DDT両国に拍手!

 私のDDTの記憶は渋谷のclub ATOMというクラブ。2000年秋、日本スポーツ出版社の編集企画室長になっていた私は『プロレス名鑑』を作るため、取材と写真撮影のためにDDTの興行を訪れた。週刊ゴング編集長時代、私はDDTに顔を出したことがなかった。97年の旗揚げ前には旧知の木村浩一郎が高木三四郎、野沢一茂(NOSAWA論外)を連れて「ちゃんと基礎を持ったレスラーを育てる団体を創ります」と挨拶に来てくれたが、正直な話、DDTに顔を出す時間は編集長当時の私にはなかったのだ。

club ATOMで目の当たりにしたDDTにはカルチャー・ショックを感じた。まず客層が全日本や新日本とまったく違う。場所柄、プロレスファン層とは明らかに違う若者、コギャルたちが集っていた。そして、そこには独自の世界が構築されていた。観客はポイズン澤田のパフォーマンスにマラカスを振り、高木三四郎に陶酔する。当時のWWEのRTC(風紀委員会)をパクった佐々木貴をリーダーとする生徒会(マドンナはNEOの仲村由佳)もあったし、従来のプロレスとは一線を画すファンタジー・プロレスが繰り広げられていた。お客さんは馬場、猪木も闘魂三銃士も四天王も知らないが、DDTの凝ったストーリーラインにはやたらと詳しいのだ。そこにはプロレス界のアングラ、サブカルチャーがあった。

 あれから9年…昨日、DDTは遂に両国国技館進出を果たした。彼らはアングラの世界だけでは収まらなかったのだ。招待券を一切出さずに超満員札止めの8865人という観客数は立派だ。大会場の興行になると招待券を撒き過ぎて、客入りは格好がついたものの、観客のノリが悪いということよくがある。ところが、昨日の両国のお客さんはDDTの選手、流れをよく把握していて実に反応がよかった。選手それぞれの営業努力もあったと思うが、9000人近くものお客さんを呼び込めたのは、旗揚げから12年間の積み重ねの結果である。

 ダークマッチに出場する予定だった高木の師匠・鶴見五郎が試合時間に会場に到着しないというハプニング(鶴見は25日と勘違いしていたそうだ)もあったが、それもひとつのネタとして観客が笑いにしてしまのがDDTのいいところ。ダークマッチ2試合を含む全10試合は結果的に5時間に及ぶ興行になってしまったが、最後までダレることなく(途中のグダグダ感のあった試合は、それはそれで味わいのひとつ)ビッグショーとして完成されていたと思う。

 メインの王者HARASHIMAと飯伏幸太のKO-D無差別級選手権はシリアスな勝負。25分を超える激闘を制したのは飯伏のパワーボムの体勢から後方にブリッジして叩きつける新技フェニックス・プレックス・ホールド。

 飯伏が言うには「14年前にプロレスごっこで初めて出した技です」とのこと。飯伏は戦前に「プロレスごっこの集大成を見せる」と言っていたが、まさにこの技にその言葉が集約されていたのである。

「個人的には今まで通りにいろんなところに出て、GHCジュニア、IWGPジュニアも獲って、山とかキャンプ場でタイトルマッチをやるのが最終目標です」と飯伏。そう、飯伏は自由人のままでいいのだ。

 エンディングも素晴らしかった。全試合終了後、試合に出場した全選手の控室でのバカ騒ぎする姿をスクリーンに映し出すイキな演出。場内にはDDTコールが発生し、さらに“2010年7月25日、両国国技館第2弾決定”の文字が浮かぶや、大歓声が起こった。

「両国はデカかったし、辛かった。年に何回もやる大きい団体は本当に凄いと思いましたね。厄介な扉を開けてしまったけど、新たな第一歩。DDTの未来が見えました!」と高木。今日は早くも反省のミーティングを行っているはずだ。

 観客論に基づいた徹底的な作り込みと時代の一歩先を行く斬新なセンスという文化系の発想力でここまで来たDDT。いや、お見事でした! これからも期待しています!

投稿者 maikai : 2009年08月24日 14:11

コメント

僕も行って来ました。
途中から激しい頭痛に襲われ、セミはトイレに籠もりっきりで見れませんでしたが、素晴らしい興行だったと思います。

来年は、3時間半くらいに納まる様に頑張って欲しいです(笑)。

投稿者 拷問コブラ : 2009年08月24日 21:38

コメントしてください




保存しますか?