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2008年07月04日

ヒロ斉藤

 Gスピリッツ第7号が発売されてから半月…書こう書こうと思っていながら、今日まで先送りになっていたのがインタビューしたヒロ斉藤のことだ。

 同い年のヒロちゃんは、私がこの業界に入って普通に口をきけるようになった初めてのレスラーだった。時は28年前の1980年春。大学入学と同時にゴングのスタッフに加えてもらった私は、その当時としては最年少のプロレス・マスコミだった。控室に行けばファンと間違われることもしばしばで、レスラーはもちろん、団体関係者、他の先輩マスコミに頭を下げて挨拶して回っていた時代である。

 そんな時、親しく話をしてくれたのが新日本の若手の斉藤弘幸ことヒロ斉藤だったのだ。私にとっては同い年、もしくは年下のレスラーはいなかったし、ヒロちゃんにしてもマスコミは年上ばかりだったから話しやすかったのかもしれない。それに実はファン時代からお互いに知っていた。私は高校時代に新日本プロレスのファンクラブをやっていたから、藤波さんに会報の取材をお願いしたい時にはヒロちゃんに呼んできてもらったりしていたのである。そして私がゴングで仕事を始めると、ヒロちゃんはすんなりと業界の人間として受け入れてくれた。

 翌81年、ヒロちゃんはメキシコへ。出発当日、私は用事があって新日本プロレスの事務所に行っていたので偶然会うことができた。そして再会は85年の夏。その前年に凱旋帰国していたのだが、ゴングが週刊化され、私は全日本プロレス担当記者になっていたから会うことがなかった。再会できたのは、スーパー・ストロング・マシン、高野俊二(拳磁)とカルガリー・ハリケーンズを結成し、全日本とジャパンに宣戦布告したことによってようやく私の取材対象になってからのことだ。

 約4年の空白でヒロ斉藤は大きく変わっていた。かつてはチョビと呼ばれていた小柄な若手レスラーが、金髪狼になり、WWFジュニア・ヘビー級王者にもなって、ジュニア・ヘビー級のトップレスラーとして私の前に現れたのである。だが、人間は少しも変わってなかった。「久しぶり。元気だった?」と、若手時代と何ら変わらない態度で私に接してくれたのである。それから23年経つ今も「最近、マスコミの人も若い人たちばっかりになっちゃって、よく知らないんだよね。知ってる顔を見ると安心するのよ」とヒロちゃんは変わらない。

 そして今回のGスピリッツのインタビュー。素顔はシャイでカッコイイことが言えないヒロちゃんは「記事になるような話なんてないよ」と言っていたが、その朴訥とした喋りは彼の飾らない人間性が出ていたと思うし、その一方ではプロの職人としての持論をキッチリと語ってくれたと思っている。これはぜひ読んでいただきたい。

投稿者 maikai : 2008年07月04日 10:23

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