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2007年10月31日

自然体の前田日明

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『Gスピリッツ』第3号発売まで1週間…ということで、一足早く、すでに明らかになっている巻頭の前田日明インタビューについて書いてみよう。

 前田に会ったのは昨年3月29日に『週刊ゴング』1120号でBMLとの決別についてインタビューしてから1年7ヵ月ぶりのこと。正直な話、再び取材で会うことはないと思っていた。前田はあの時点でBMLだけでなく、プロレスとも決別という雰囲気だったからだ。

 今の前田はHERO’Sのスーパーバイザーであり、リングス再興に動き始めている。また格闘技界全体がうねりを見せているデリケートな時期。だが“プロレスに生きた前田日明についてのインタビュー”をお願いしたところ、多忙なスケジュールの合間を縫って快く取材に応じてくれた。思えば、私は前田にインタビューする時にはいつも“プロレスラー前田日明”に話を聞いてきた。プロレスラーではなく、総合格闘家となったリングス時代もそうだった。

 前田が新日本プロレスに入門したのは1977年7月7日。今年でちょうど30年になる。この機会に、日本マット界に多大なる影響を与えた前田日明という人物、旧UWF、新生UWFについて検証させてもらった。新弟子時代、昔の新日本、イギリス時代、旧UWF、新日本との対抗戦時代、新生UWF、そして3派分裂…当初、取材予定時間は2時間だったのが、気付いてみたら2時間半! その間、前田は一度も時間を気にせずに喋り続けてくれた。カメラマンが古くからの知り合いの原悦生氏だったこともよかったのだと思う。本当に自然体に…違った表現を使えば、無防備にいろいろなことを話してくれた。

 今になって語られる前田の言葉には気負いがないから「あの時は、実はそんなことを考えながら、そんなことに悩みながらリングに上がっていたのか…」と気付かされることが多かった。ただ今の話題を追うのではなく、プロレスというものを掘り下げ、検証していくという『Gスピリッツ』のポリシーから考えれば、今、この時期に前田インタビューをやってよかったというのが私の素直な気持ちだ。

 自然体だから、無防備だから、本の作り手からしてみれば「ちょっと掲載するのは…」という発言も飛び出したが、こちらの都合で勝手にカットできないのが前田取材の大前提。やはり、前田日明という人を取材するには、それなりの覚悟が必要なのだ。

 あとは読んでのお楽しみということで、1週間後をお待ちください!

投稿者 maikai : 12:46 | コメント (0)

2007年10月29日

心の栄養×2

 振り返ると、子供の頃の私は父親の仕事のために引越しが多かった。小学校は3つ行ったし、中学校も2つ行っている。同じ場所に住んだのは長くても4年。そんな私が子供時代に一番長く過ごしたのが小学校を卒業したクラスだった。そのクラスの同窓会が27日に7年ぶりに行なわれた。

 このクラスは小学校4年生から卒業までずっと一緒。私は4年生の2学期から転校生としてこのクラスに入った。ちなみに卒業式は金曜日で、その夜の『ワールドプロレスリング』はアントニオ猪木VSストロング小林の世紀の一戦だった。まあ、それはいいとして、子供時代の3年間というのは凄く長いから、結束力が強い。卒業から33年以上が経っても、ほとんどの人間の連絡先がわかっている。だから卒業し、中学2年終了時に引越し、その後に1人暮らし、結婚…と転居を続けてきた私にも必ず連絡がくるのだ。

 先生は、あの頃と全然印象が変わっていなくて若い! 7年前の同窓会以来に会う奴、あるいは十何年ぶりに会う奴…いずれにしても空白期間が長いのだが、すぐに顔がわかるし、時間の空白を感じないのは“根っこ”が同じだからだと思う。お互いに“あの頃”を知っているから、今になってカッコつけても意味はない。本当に自然体で付き合える。あっという間に時間は午前4時を回っていた。

 このトシ(46歳)になれば、人はいろいろなことがある。でも、みんなが逞しく卒業後の人生を歩んでいるのが嬉しくもあり、励みにもなった。ありがとう!

 そして昨日29日はソウ君&リエコちゃんの結婚披露パーティー。ソウ君は私より一回り下、リエコちゃんは14歳下の友達だ。約4年半前から付き合い始め、いろいろあったけれども、今年の6月に入籍、7月にハワイで結婚式を挙げ(さすがにこれには行けなかった)、そして披露パーティー。町内会の人たちが集い、手作り感いっぱいのパーティーからは“幸せのオーラ”をたくさんもらった。おめでとう!

 同窓会と結婚披露パーティーは私にとって“心の栄養×2”だった。

投稿者 maikai : 14:42 | コメント (0)

2007年10月27日

Gスピリッツ第3号の表紙は前田日明だ!

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 腰痛によって10月上旬は仕事をセーブせざるを得なくなってしまい、そのツケが下旬になってドドッと回ってきた。18日の代々木における全日本のテレビ解説に始まって、Gスピリッツ用の前田日明、アブドーラ・ザ・ブッチャーのインタビュー&原稿書き、11月に某出版社から発売される天龍本のジャケット撮影&打ち合わせ、Gスピリッツの会議、その合間にはサムライTV『S-ARENA』出演や東スポの連載等の原稿書き…と、よくもまあ腰がもったものだと思う。でも、こうしたスケジュールを乗り切ったことで自信が付いた。整体師さんによると腰も70%回復しているというし、11月から2007年のラストスパートをかけられそうだ。

 で、久々のダイアリーということで、11月7日発売のGスピリッツ第3号の表紙を公開しよう。ジャーン、前田日明だ。今までの2号の表紙との大きな違いは、今まではモノクロだったのが、今回はカラーだということ。ひとつのカラー、イメージに固まらずに新しいプロレス専門誌を提供していきたいというのがGスピリッツの精神だ。ビジュアル面にしろ、内容にしろ「今月は何があるのか?」と読者の人たちにワクワク感を持ってもらえるようになるのが、我々の理想である。

 前田と会ったのは、BMLとの決別について週刊ゴング1120号でインタビューした昨年3月以来。まだ本の発売日まで時間があるので、取材のこぼれ話は後日、改めて書きたいと思う。

投稿者 maikai : 14:28 | コメント (0)

2007年10月19日

勝彦の覚悟と心意気

 昨日の全日本プロレス創立35周年記念代々木大会はテンコ盛りだった。私はGAORAのテレビ解説をしていたが、全試合が終了してパッと時計を見たら10時半過ぎ。だが、そんな長さを感じることのない大会だった。実況の鍵野アナウンサーも「もう、こんな時間になっていたんですか!?」と驚いていた。

 メインは佐々木健介に川田利明が挑んだ三冠戦。ここに至るまでの「オファーがあったから出場する」というニュアンスの川田発言に引っかかりを感じていたが、いざ試合になれば、この2人ならではのゴツゴツしたいい試合だったと思う。「目指せ1勝!」の横断幕が張られていた時代の川田、全日本で1勝もできず0勝150敗8引き分けの記録を作ったジャパン・プロレス時代の健介を知っている人間としては、記念大会でその2人がメインを張ったというのは感慨深いものがある。失礼ながら、その当時は、この2人がとてもトップに立てる人材とは思っていなかったからだ。努力すれば何でも叶うというものではないが、この2人は努力と積み重ねの大切さを身を持って教えてくれた。

 さて、テンコ盛りだった昨日の大会で個人的に一番印象に残っているのは世界ジュニア王者の中島勝彦だ。勝彦は8日の開幕戦で右手舟状骨骨折の重傷を負ってしまった。巡業は欠場したものの、このシルバー・キングとのタイトルマッチには強行出場となった。

 午後4時半過ぎ、勝彦は黙々とミット打ちをやっていた。手が使えないからキックだけで勝負せざるを得ないのだ。練習が一段落ついた後に話しかけてみると「いろいろご迷惑、ご心配をかけて申し訳ありませんでした」と勝彦。よくも、こんな言葉が出てくるものだと感心した。

 怪我の状態はハッキリ言って最悪だった。骨がくっつくまでに1ヵ月は要するという。医者からは「後遺症が残ることも覚悟しておいてください」と言われながらの出陣だったのだ。

 だが、試合後にはブーイングが飛び交う状況になってしまった。シルバー・キングの攻撃に耐えに耐え、一発逆転の十字架固め。シルバー・キングの足がロープにかかったにもかかわらずボンバー斉藤レフェリーは3カウントを数えてしまった。その瞬間のブーイング…これがミス・ジャッジをしたボンバーに浴びせられたものだったら当然だったとしても、戦った当事者に浴びせられたものだったらやりきれない。勝彦はレスラー生命を賭けて戦っていたし、試合内容も悪くなかったからだ。

 その後の馳PWF会長の対応はさすがだった。すかさずミス・ジャッジだったとして再試合を命じたのである。再試合は両者リング内でダウンする両者カウントアウト…またまたブーイングだ。そしてドサクサに紛れて近藤が乱入してベルトを持ち去ってしまった。

 こうした事態に馳PWF会長は「日を改めて再戦」を宣言したが、客席から「今、やれ!」というような声が飛び交った。これにもやるせない思いにさせられた。どう考えても、このまま再々試合をしたとしても、いいファイトになるわけがない。シルバー・キングは客を煽るだけで実際には試合に対する集中力をすでになくしていたし、勝彦も限界に達していた。チケットを買っている人間にとっては「ここでやれよ!」と思うのもわかるが、やはり選手の体を考えてほしい。

 若い時に怪我をしつつも無理をして、それが持病になって苦しんでいるレスラーを何人も見てきた。19歳の将来がある勝彦にそうなってはほしくないのだ。もし、あそこで再々戦になっても勝彦はそれを受け入れて一生懸命試合をしただろう。だが、それによって彼が潰れてしまったら…。

 私はいつも思う。レスラーが常に大きなリスクを覚悟の上でリングに上がっているということを理解してほしいと。最近ではHI69が胸椎骨折という大怪我を負っている。そういう危険な職業なのだ。昨日の勝彦の試合に関しては、確かに後味の悪い結末だったとは思うが、リングに上がった勝彦の心意気を買ってあげてほしいと思う。

投稿者 maikai : 10:41 | コメント (0)

2007年10月17日

大きく動き出したハッスル

 ハッスルが大きく動き出している。10月6日からテレビ東京系列で『どハッスル』(26時50分~27時20分)の放映がスタート。さらに11月4日には9&10月シリーズの総集編『ハッスル秋の大爆発SP!!』が16時~17時15分にテレビ東京系列・全国6ネット、同じ時間帯で11月17日に『ハッスル・マニア2007』直前情報番組が、さらに12月2日にはやはり同じ時間帯で『ハッスル・マニア2007』が放映されることが決定した。ハッスルの世界は新聞や雑誌ではなくライブで観るべきものだから、地上波進出は大きい。

 そして10月には10日と昨日の16日に後楽園ホールで『ハッスル・ハウス』が開催された。10日の『ハッスル・ハウス29』ではメインが天龍、坂田、崔VSボノ、大谷、バボだったことがミソ。そう、タレント抜きで純粋にレスラー同士によるメインだったのだ。

 昨日の『ハッスル・ハウス30』ではバラエティーショー的な要素と試合のバランスが良かった。第1試合の崔、KUSHIDA、チエVS鬼蜘蛛3匹の6人タッグは12分48秒のジックリとした試合。KUSHIDA、チエの充実振りがうかがえたし、イロモノに見える鬼蜘蛛3匹もなかなかの技術を持っている。普通のプロレスとして観客を満足させていた。第2試合の川田、大谷VSキンターマン、クロダーマンはメンバーがメンバーだけに、いい内容になって当たり前だ。

 第3試合のニシム・ラマ&TAJIRIとシン&アン・ジョー之助ではラマとシンの攻防にオールド・ファンを喜ばせるテイストがあった。シンが80年4月のメキシコにおけるUWA世界ヘビー級戦で猪木から1本を取ったコブラ・シザース(首4の字固め)、75年6月の蔵前におけるNWF世界ヘビー級戦でこれまた猪木から1本を取ったアルゼンチン・バックブリーカーを決めれば、ラマは74年6月の大阪における腕折り事件を再現するようなアームブリーカー攻撃。こうした通を喜ばす隠し味があるのもハッスルの魅力だ。ラマが今回をもってハッスルから一時撤退するのは残念な限り!

 セミの天龍&RGVSボノ&バボは11月25日の『ハッスル・マニア2007』での天龍&RGVSインリン様&ボノの完全な前煽り的内容になってしまったのはハッキリ言って残念だったが、メインのHG&坂田VSヘッドハンターズは及第点の内容。総じてこの日はプロレスの試合内容で勝負した大会だったように思う。

 最後はボブ・サップの登場。ドタキャン事件などでイメージが失墜したサップだが、このハッスルでは再生は十分可能。ハッスルとサップは正式に契約、そしてハッスルはK-1サイドに了承を得ていて、ハッスルとK-1間には問題はないという。

 地上波放映の開始、戦力の増強、そしてバランスが取れてきたバラエティー的要素と試合内容。11月25日、横浜アリーナの『ハッスル・マニア2007』で、どんな世界を提供してくれるか楽しみになってきた。

投稿者 maikai : 15:27 | コメント (1)

2007年10月16日

KUSHIDAとチエ

 昨日の『S-ARENA』のゲストはハッスルのKUSHIDA&バンザイ・チエ。2人とも屈託のない明るい若者で、三田サンも私も、そしてスタッフも番組前の打ち合わせから清々しい気持ちに。心が和むというか、何かホッとさせられた。こうした初々しい人たちと話をすると、やっぱり私もオジサンになってしまうのだ。

 この日のチエは2日酔い。前日、品川で行なわれた髙田道場のイベントの打ち上げでマッコリをしこたま飲んだのだとか。
「別に無理矢理、飲まされたんじゃありませーん。楽しくて自分で飲んじゃいました。途中からおぼえてないんですけどお、朝起きたら総合に出る時のコスチュームを裏返しに着ていて、どうしたのかなあって」(チエ)
「チエは酔っ払うと泣く、笑う、わめくんですよ(苦笑)」(KUSHIDA)
 天然元気少女のチエと、ちょっとお兄さん風のKUSHIDAはいいコンビなのだ。

 2人ともレスラーとしても成長している。KUSHIDAは私がテレビ解説をしている全日本プロレスに参戦してハッスルのリング上とは違うグランド中心のファイトを心掛けて様々なことを吸収している。そして「今、来ているヘッドハンターズは小学生の時にW★INGで観ました」というほどのプロレス・ファンだっただけあって、飲み込みも早い。

 一方のチエは、ハッスルのリングでは常に男子レスラーと試合しているから耐久力がある。「ウーン、あんまり意識したことがありませんけど、いつも大きい男の人と戦っているんでぇ、誰と試合しても違和感はありません」と本人はあまり認識していないようだが…。

 2人に共通して言えることは、いい意味で従来のプロレスラーの匂いが感じられないこと。いずれは、こうした純粋なスポーツマン・タイプのレスラーが主流になっていくのだろう。この業界も新しい時代に突入しているんだなあ…。

投稿者 maikai : 14:38 | コメント (0)

2007年10月15日

天使から神への試練

 大日本プロレスの後楽園興行は月曜日が多い。そうなると月曜は『S-ARENA』出演が多いから、どうしても大日本を観る機会が少なくなってしまう。ところが昨日は日曜日開催。やったね!

 2000人(超満員札止め)で熱気ムンムンの中、好試合が続いた。セミ前のメンズ・テイオー、忍、ウルフ小澤と大石真翔、清水基嗣、飯伏幸太の『ニューメンズクラブ』を巡る6人タッグは、お笑いテイストでありつつも、それぞれの選手が高い技術を持っているから観客を飽きさせない。特に忍と飯伏の攻防はお笑い抜きでジックリと見てみたいものだ。

 セミの金村&小幡、佐々木&宮本、関本&井上の3WAYタッグの主役は小幡。他チームにさんざんかわいがりを受けながらも、最後は井上をフェニックス・スプラッシュでとらえた。ちょっと前までは線の細い若者といった感じの小幡だが、肉もついてきたし、真摯に取り組んでいる姿勢がいい。これまで黒田、宮本、池田大輔らとのシングルマッチを見てきたが、いつも気持ちのいいファイトを見せてくれ、私の中にもいつしか“小幡優作”はインプットされていた。もちろんアパッチや大日本をいつも観ているファンの間での支持率は高い。小さな団体にいても、ちゃんとファンが見ていてくれるというのはレスラー冥利に尽きるだろう。半年後、どれだけブレイクしているか楽しみな逸材だ。

 そしてメインはデスマッチ王者・沼澤にアブドーラ・小林が挑んだ蛍光灯444本デスマッチ。蛍光灯の数は通常の2~3倍。キャンバス上はもちろん、ロープにはビッシリと蛍光灯が並んで、恐らくリングサイドのお客さんには試合がまったく見えないであろうという珍現象が生まれた。

 ザクザクの蛍光灯の上で足4の字の攻防が生まれ、足を封じられた両雄が蛍光灯で頭を殴り合うという、まさに非日常空間。そこで狂い、弾けたのはアブコバだった。蛍光灯の上に雪崩式山嵐、雪崩式フランケンシュタイナー、コバドライバー、お笑いネタとした思えなかったフラミンゴ・デビルハンド・チョップ(王貞治の一本足打法からヒントを得たという一本足チョップ)も妙に説得力があった。そして勝負コスチュームのフンドシ姿になってのダイビング・バカチンガーエルボー! 最後は沼澤が神威で試合を制したものの、キャラを全開にして主役になったのは明らかにアブコバだ。これがキャリアの差というものか…。

「俺は、お客さんが大日本プロレスを観たくて見たくて仕方がない幸せな世界を作り上げる神になる!」
 と宣言している沼澤だが、そう簡単に神になれるものではない。
「俺はまだ未熟だ。自分でもわかっている。狂神とか言ってた割には、チャンピオンになって、大日本の看板だということでかしこまっていた部分があるかもしれない。でも、今日、小林さんとやって楽しかったし、俺は狂っていることがわかった。俺は誰もが認める大日本のエースになってやる。もっともっと成長してやる。次は伊東と凄いデスマッチをやってやる!」
 と、沼澤。黒天使から大日本の神へ…そこには、まだまだ試練がたくさんあるだろう。沼澤はどこまで狂えるか!?

投稿者 maikai : 13:44 | コメント (0)

2007年10月14日

回り始めたノアの歯車

 昨日はディファ有明でノア10月シリーズの初取材。まず注目したのはマッチメークだった。ノアは選手数が多いため、どうしてもタッグマッチ、6人タッグが主体になってしまう。ところが昨日は第1試合から第4試合までがシングルマッチ。先ツアーのGHC次期挑戦権を賭けたヘビー級のリーグ戦が好評だった影響だろうか。これはいいことだ。

 オープニングは石森VS青木のジュニアの好カード。青木は今後のノア・ジュニアを考えると期待のホープである。青木の師匠・秋山譲りのエゲツない試合の組み立ては他の若手にはない要素。対する石森もジュニア・タッグ・リーグ制覇、GHCジュニア・タッグ挑戦を経て一皮剥け、ルチャ殺法に磨きがかかっているから、両者の対照的な個性が共に光る面白い試合になった。最後は石森がメキシカン・ロールで勝利したが、改めて今後の青木が楽しみだ。

 KENTAとリッキー・マルビンの一騎打ちはジュニア・タッグ・リーグ戦、GHCジュニア・タッグ戦の流れを汲むもの。左膝に爆弾を抱えるKENTAがマルビンにあと一歩まで追い込まれたが、痛む左膝で意気地のgo2sleep! 大舞台のそれなりのポジションでやってもいい一戦だった。

 私が個人的に最も面白かったのは丸藤とダグ・ウイリアムスの一戦。前半は丸藤が執拗なヘッドロック、中盤からはウイリアムスが技術を駆使した腕攻めに出て、最後は返し技の応酬でアッという間の20分時間切れ。ロープワークを使った攻防、大技がなくてもきっちりと魅せてくれた。ウイリアムスのキャッチに対応する丸藤には新たな魅力があった。

 前半でこうした試合を観られるのは贅沢。セミの三沢&ムシキング・テリーVS秋山&金丸では、試合前の秋山の奇襲で三沢が落とされ、試合そのものは怒りの三沢のエルボーのアシストを受けたテリーが“鼓太郎の必殺技”のブルーディスティニーで金丸をKO。10・27日本武道館におけるGHCジュニア初防衛戦の前哨戦で勝利したテリーは、
「最後の技は金丸へのメッセージ。金丸なら、それが伝わったはず。大人の事情で試合数は少ないけど、試合の間隔が空いているようで、実際には空いてないから…」
 と、まるでカミングアウトのような意味深発言。10・27を境にノアのジュニア戦線は大きく動き出しそうだ。

 そしてメインのGHCタッグ王座決定トーナメント公式戦の森嶋&ヨネVS田上&潮﨑では、敗れはしたものの潮﨑がヨネにムーンサルト・プレスを決め、森嶋の145キロの巨体を完璧なジャーマン、ゴーフラッシャーで叩きつけるなど存在感を見せつけた。先のGHC次期挑戦者決定リーグ戦といい、ここ最近の潮﨑は本当に逞しくなった。結果が追いついてくるのは時間の問題だと思う。

 思えば、この1年のノアは世代の移り変わりの狭間で必死にもがいていた感じだったが、ようやく歯車が噛み合ってうまく回り始めたのではないか。新時代への準備完了まで、あと少し!

投稿者 maikai : 12:15 | コメント (0)

2007年10月13日

明日からは

 昨日はドラゴンゲート後楽園ホール大会に行くつもりだったが、大事をとって断念。

 腰の状態はわかったものの、痛いものは痛い! このまま安静にしてろと言われても、私生活上も仕事上も支障をきたす。精神的にもよくない。ということで、知り合いの紹介である東洋整体師さんのところへ。もちろん1回で治るわけではないが、自分の感覚的にはいい感じだ。

 考えてみれば、レスラーでも腰に持病を持つ人は多い。それでも試合をしているんだから凄いなあ。藤波さんも腰痛で本格復帰まで1年4ヵ月を要したことがあった。原因がよくわからずに、いろいろな医者に会い、いろいろな治療法を試みたと聞いたことがある。

 とりあえずは歩けるし、休み休みなら座っていることもできる。今日はディファ有明のノアに行こう。こんな調子だとダイアリーが闘病記みたいになってしまうので、明日からはプロレスの話題に戻ります!

 最後に、アドバイスをくれたマサ札幌さん、ありがとうございます。

 

投稿者 maikai : 12:43 | コメント (1)

2007年10月11日

ようやく始動…

 今月に入ってダイアリーをずっと更新していなかったが、別にハワイに行っていたというわけではない。体に異常事態発生! 遂に腰がバクハツしてしまったのだ。トホホ…。

 思えば、初めてギックリ腰をやったのは90年の夏。以来、疲れが溜まると決まって腰が痛くなっていた。今回は仕事がちょっとハードだった9月から痛み始め、整骨院には通っていたものの、10月1日の月曜日に歩くのもツライ状態に。それでもテーピングをしてもらって『S-ARENA』に出演したが、翌2日からは完全にダウン。何しろ、ラクな姿勢がない。立っているのはもちろん、座っているのも1時間が限度。あとは寝てるしかないのだ。といっても、寝ていても痛いのだから堪らない。

 1時間原稿を書いたら1時間横になるという感じで締め切りのある原稿は書き上げ、8日の全日本・後楽園のTV解説はコルセットを着け、痛み止めの座薬を入れて、タクシーで行き帰りして何とかやることができた。同日夜の『S-ARENA』にも穴をあけずに済んだ。でもこの間にあった2つの打ち合わせ、Gスピリッツ編集部の打ち上げはキャンセルせざるを得なかった。自分もツライし、人にも迷惑をかけるし、やっぱり健康が一番大事だね。

 MRI検査の結果、軽度の椎間板ヘルニアという診断が。早急に手術したりする必要はないとのことだ。

 とりあえず安静にしているしかないらしいが、ずっと寝ていても脚の筋力が落ちてしまうし、ようやく痛みが軽くなってきた昨日は電車で後楽園ホールのハッスルハウス29へ。様子を見ながら徐々にやっていくしかないな、これは。

 皆さんも体と腰を大切に!

投稿者 maikai : 13:18 | コメント (1)

2007年10月01日

高橋冬樹の引退

 昨日のゼロワンMAX後楽園で高橋冬樹が引退した。実は高橋はプロレス入り前に大相撲の東関部屋でマンモス佐々木と同じ釜の飯を食べた仲だった。2人とも相撲時代からプロレスが大好きで、よく2人でプロレスの話をして盛り上がっていたとマンモスから聞いたことがある。

 その後、共にプロレスを廃業してマンモスはFMW、高橋はIWAジャパンへ。私にとっては今の高橋よりも新岩大樹を名乗っていたIWAジャパン時代の印象の方が強い。当時の高橋はプロレスだけでは生活できずにカブキさんの店でアルバイトをしていた。口数は少ないが真面目に黙々と働く若者だった。

 IWAジャパンを辞めてノアに練習生として入門したが、結局はデビューできずにゼロワンで再デビュー。だが、高橋はいい意味でも悪い意味でもプロレスに染まれなかったと思う。それが浮上できなかった要因だった思う。お笑いテイストの車冬二郎も名乗ったが、そのくらい素顔と違うキャラの方が別人になりきれてよかったのかもしれない。

「いろいろな人に支えられ、助けられ、ここまでやってこられました。プロレスをやって、いろいろなことを学び、人間として一回りも二回りも成長できたと思います。本当にプロレスに感謝しております。これからの人生、精一杯、頑張りたいと思います」
 と、最後まで生真面目だった高橋冬樹。まだ32歳…新たなステージでの成功を心から願っている。ひとまず、お疲れさまでした。

投稿者 maikai : 10:29 | コメント (0)