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2007年07月30日

石井智宏の目線

 昨日のロックアップ興行はメインの中西VS関本の肉体勝負、矢野が金村を破ってWEW王座奪取など、注目ポイントがいくつもあったが、私にとってはやはり長州VS石井の初の師弟一騎打ちだ。

 5年前…2002年の夏、週刊ゴング編集長だった金沢君から「今度、長州がサイパンに合宿に行くらしいんだけど、永島(勝司)さんから“いいトレーニング・パートナーはいないかな”って相談されたんだけど、インディーでいい選手はいるかな?」と相談された。当時の私は編集企画室長になっていて『プロレス名鑑』を手掛けていたから、結構インディーには詳しかった。そこで名鑑をペラペラめくって目に留まったのが石井だった。

 WAR活動休止後、石井は全日本やゼロワンへの入団を希望していたが叶わず、FECに属してフリーで暴れていた。その翌日、石井に電話をかけたら「その時期は試合のスケジュールがないし、是非、行きたいです!」とのこと。その後の諸々のことは金沢君に任せたが、このサイパン合宿がきっかけで今日の石井がある。

 試合直前、後楽園の控室の廊下で会った石井は全身から殺気を漂わせていた。凄い集中力。気迫がビリビリと伝わってきた。「ウォーッ」と雄叫びを上げてリングに向かった石井。試合ではこの5年のありったけを長州にぶつけた。18キロも体重差があるのにタックルで吹っ飛ばし、ラリアット3連発でダウンを奪い、垂直落下式ブレーンバスターも2発決めた。最後、長州のラリアット3連発に沈められたが、よけずに真っ向から食らったところに石井の意地を感じた。

 試合後、一通りのインタビューが終わった後に「今日は胸を借りる心境だった? それとも対等の意識?」と聞いたら、次のような答えが返ってきた。

「対等の立場で戦いましたよ。新日本に出だした時も“石井がどこまで新日本についていけるか?”って見方をされていたけど、俺は同じ目線で戦っていたから。それと同じですよ」

 WARの若手時代、IWAジャパンのエースだった山田圭介と戦ったことがあった。その時も石井は、相手が他団体のエースという上の立場だということに構わずガンガン向かっていって押しまくった。「これは気の強い若手が入ったもんだ」とヘンに感心したものだ。その時から石井智宏の対戦相手に向かう意識、目線は何ら変わっていない。

投稿者 maikai : 13:12 | コメント (0)

2007年07月29日

カール・ゴッチ死去

 7月28日(現地時間)午後9時45分、カール・ゴッチがフロリダ州タンパの自宅で亡くなったという知らせを聞いた。享年82歳…83歳の誕生日を目前にしていたという。

 残念ながら、私はゴッチの取材をしたことはない。唯一、話をしたのは83年3月に凱旋帰国直前の前田日明にインタビューしたくてゴッチの自宅に電話した時だ。あいにく前田は練習中でゴッチ自ら電話に出た。こちらがたどたどしい英語で取材の趣旨を説明すると、
「アキラの取材? 彼は修行中の身だから、私としてはチヤホヤされたくないが、ミスター・シンマ(当時の新日本プロレス取締役営業部長・新間寿氏)の許可をもらっているなら仕方がないな」(ちゃんと聞き取れたわけではないが、こんなニュアンスだった)
 と、渋々、前田を電話口に出してくれた。

 後年、ゴッチのプロレスラーの評価は様々だが、私の中ではファン時代に刷り込まれた“プロレスの神様”のまま。プロレスを芸術にまで高めたと言われるジャーマン・スープレックス・ホールド、強過ぎて各地のチャンピオンに逃げられて遂に世界王者になれなかった無冠の帝王、そしてアントニオ猪木の師匠などなど…子供の頃の私は櫻井康雄氏の記事に完全に洗脳されたのだろう。

 中学1年生の夏休みだった1974年8月8日、東京・日大講堂で行なわれたゴッチと猪木の『格闘技世界一決定戦』は、父親にせがんで1ヵ月早い誕生日プレゼントとしてリングサイド1列目(当時5000円)で観た。カール・ゴッチを思い出すと、私の気持ちはファン時代に戻ってしまう。

 神様は、本当に神様になってしまったのか…。

投稿者 maikai : 19:51 | コメント (2)

2007年07月27日

私の理想

 6月には週刊プロレス別冊夏季号『新日本プロレス35年激動史② 平成編』、つい先日発売されたばかりの『Kamipro113号』と、このところ新たな媒体での仕事が入っている。

 ベースボール・マガジン社の原稿を書いたのはもちろん初めて。私が週刊ゴングの編集長だった時代、ターザン山本!氏に代わって週刊プロレスの編集長になったのが浜部良典氏。その浜部さんが増刊号の責任者になっていて、私にごく自然に声をかけてくれたのだ。かつてのライバル誌の版元で原稿を書くのは感慨深いものがあったし、気持ちよく仕事ができた。浜部さんには本当に感謝している。

 そして『Kamipro』。これまた週刊ゴング編集長だった時代の95年と96年に、ワニマガジン社で発行していた旧『紙のプロレス』にインタビューされて以来、約10年ぶりの登場となった。「天龍がHGに負けたことについて、天龍番としての意見を聞かせてください」「ハードゲイ姿になった天龍について書いてください」と、なかなかニクイところを突いてきたKamipro編集部。天龍問題については未だに様々な意見があるようだが、私は思った通りに素直に喋り、書いただけ。どう受け取るかは読者に委ねます。

 その他、5月には、フリーになって以来、信頼している編集者から話があって芸文社のムック本『格闘家アウトロー伝説2』で“ゴングの光と影”としてプロレス界の時代の推移とそれに伴うゴングの歴史を書かせてもらった。

 プロレス関係の媒体が少ないのが現状とはいえ、自由なスタンスで、様々な舞台で活動していくのが私の理想。以前にも書いたが「そこに書く媒体があって、読んでくれる人がいれば、どこであっても故郷」という気持ちで今後も活動を続けていくつもリだ。

PS.マサ札幌さんからIWAジャパンの高杉正彦30周年試合で小林邦昭が特別レフェリーを務めたことで、両者の関係について質問があったことにお答えします。高杉が81年8月の国際プロレス崩壊後にメキシコのEMLLに単身で乗り込んだ当時、小林邦昭は同じメキシコのUWAでファイトしていました。面識がなく、活動する団体も違う2人でしたが、心細い異国での生活の中で一緒に食事をしたり、励まし合ったりしていたそうです。メキシコでは革命戦士以前の長州力と、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者として凱旋する直前の大仁田厚が一緒に食事をしたり、金本浩二とハヤブサ(江崎英治)も活動は別でもメキシコで親友の間柄になっています。以前、金本と話をした時に「メキシコ行って、メキシコ人の中やから、やっぱ日本人がいてて嬉しかったわ。別に団体がどうあれ、みんな頑張ってんのは一緒やから。住んでる所は別やったけど、しょっちゅう江崎が住んでいたペンション・アミーゴに行っとった」と言っていました。“海外で同じ釜の飯を食った仲”というのはレスラーにとって特別なようです。

投稿者 maikai : 14:12 | コメント (1)

2007年07月26日

注目は諸橋とヌル・ブラ!

 今年に入ってからDDTの後楽園は欠かさず見ていたが、それも5月4日大会でストップ。以後は仕事のスケジュールや何やらで、会場に足を運ぶ機会がなかった。DDTは流れが速い団体。KO-D無差別級王者はHARASHIMAからKooに交代してしまったし、ドリアン澤田JULIEも正義の改造蛇人間ジャカイダーになってしまった。ちょっと目を離すとついていけなくなってしまうのだ。

 ということで昨日は新木場大会へ。KO-D無差別級選手権次期挑戦者決定リーグ戦の最終日だ。まず男色ディーノと矢郷良明の殺人WARスペシャルVS殺人コブラツイストは、ディーノが裏WARスペシャル…というよりも矢郷を抱きすくめて舐め回して勝利。ウーン…ある意味、DDTテイスト!

 メインに据えられた前王者HARASHIMAと諸橋晴也の公式戦は、HARASHIMAの左足攻めと諸橋の腰攻めというシビアな展開の。20分フルタイムの好勝負だった。結果、リーグ戦はディーノ、HARASHIMA、諸橋が同率首位。普通なら、ここで優勝決定戦が行なわれるところだが、8・5後楽園でのタイトルマッチは王者Kooと3人の4WAYマッチに。

 これはこれで面白いと思う。私の注目は諸橋だ。諸橋はこれまでKO-Dタッグ、アイアンマンのベルトは手にしているものの、KO-D無差別級には挑戦すらしていない。あの折原が主宰していたメビウスの出身で、純粋にテクニックで勝負するタイプ。実力はあってもDDTのカラーやファンのニーズを考えると、団体としてもトップとして押しにくい選手だろう。だが、今回はリーグ戦の結果であり、堂々とメインに起用することができる。

「本当の一番をみんなにわからせたいですね。結果を残すだけです。小さい体だけど“こいつは強い!”というレスラーになりたいです。その意味では、大型のKooは絶好の獲物です」
 と、諸橋。様々なお楽しみがある中で、この諸橋、そして最近では「鍛えているからだー!」のハイテンションな決めゼリフがすっかり定着したHARASHIMAの存在は貴重だと思う。

 そして真逆なタイプとして私が注目しているのは中澤マイケル&松永智充のヌルヌル・ブラザーズ。大晦日の秋山成勲のヌルヌル事件をヒントに、体中にローションを塗りたくって「ヌルヌルこそ最強だ!」と売り出して4月のKO-Dタッグ王者になって未だにベルトを堅持。コンビ結成当初は、その変態的なパフォーマンスに観客もドン引きだったが、ヌルヌルを利用したあの手この手の狡猾なファイトで、今や人気上昇中(?)。ヌルヌルだけじゃなくて、着実に実力を上げてきていることにも好感が持てる。昨日は高木三四郎&NOSAWA論外相手に防衛、8・5後楽園では高木&矢郷とのハードコア・ロッカールーム棺桶マッチでの防衛戦があるが、何とか8・11新木場のユニオン興行までベルトを守ってほしい。

 なぜかって? もしベルトを持ち続けていたら、8・11では吉田万里子&チェリーの挑戦を受けるのだ。ヌル・ブラと実力者・吉田のセンスが問われる大一番だぞ!

投稿者 maikai : 09:36 | コメント (0)

2007年07月24日

IWAジャパン

 22日の日曜日は後楽園ホールでのウルティモ・ドラゴン20周年興行の後、夜は新宿FACEのIWAジャパンへ。こちらは高杉正彦の30周年記念試合だ。

 IWAジャパンの会場は本当に久しぶり。「あら、久しぶりじゃない。元気!?」と、浅野社長は相変わらずバイタリティに溢れていて元気一杯。「ウチも苦しくて苦しくて…」と言い続けて、13年もやっているのだから立派だ。新宿2丁目の浅野社長の店でビクター・キニョネスや「Xデ~ス!」の高野拳磁を交えて飲んだっけ…。

 Ⅰジャというと浅野社長の濃いキャラクターと、新宿2丁目劇場と呼ばれる話題づくりで胡散臭いイメージもあるが、今のリング上は若手が充実してきて、基本的には正攻法。元バレーボール日本代表で今はタレントの益子直美(20歳の頃、女子プロから誘いがあったそうだ)がダンプ松本と結託するというトッピングはあっても、それはあくまでも味付けのひとつ。第1試合の西山VS小部のイキのいいファイトは他団体に何ら見劣りしないし、メインのチーム03とⅠジャ初登場の宮本和志の激突も肉体の真っ向勝負で見応えがあった。

 チーム03を結成してからの松田慶三の濃くて暑苦しいキャラは、サムライTVスタッフの間でも話題になっているが、ここに熱さムンムンの宮本が絡むのだから、リング上は炎上寸前。キングスロード崩壊後、様々な団体に出ている宮本だが、Ⅰジャのリングは合っている。若手相手に体を自慢していた松田を圧倒し、元力士の維新力も圧倒するパワーは本当に熱い。

「俺と松田は暑苦しい? 俺はこのIWAジャパンの全盛期の熱を取り戻すために来たんだ。熱くて当然。松田は熱の熱さじゃなくてむさ苦しいだけだよ。言葉のプロレスをするなって。肉と肉、骨と骨がぶつかり合うような試合をしようぜって。維新力もそう。WAR時代は天龍さんに胸がミミズ腫れになるくらいやられても立ち向かっていたんだろうが。もっと向かってこいよ!」
 と、宮本はやり甲斐を感じた様子。このところチーム03の天下だったⅠジャ・マットだが、宮本の出現で勢力図が変わって、さらに面白くなっていきそうだ。

 最後に30周年を迎えた高杉さん。高杉さんで思い出すのは82年6月6日、大宮スケートセンターにウルトラセブンの後見人として現れ、当時のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者・大仁田厚にセブンと共に挑戦を申し入れたこと。この時のセブンは替え玉で、実際に全日本のリングに上がったセブンは高杉さん本人だった。その前年81年夏に国際プロレス崩壊後に単身メキシコに渡った高杉さんは習得したルチャ・リブレを、マスクマンのウルトラセブンに変身して全日本のリングで発揮することに懸けていたのだ。ただ、メキシコ遠征が1年にも満たなかったため、正体がバレるのではと心配して替え玉を使ったというわけ。私と高杉さんの付き合いはその頃に生まれた。それにしても、あの大宮スケートセンターは暑かった。

「一番の思い出は…全日本に上がった時かな。大宮は暑かったよねえ」と高杉さんも笑っていた。52歳になった高杉さんだが「メキシコでは60過ぎても現役の人も沢山いるし、俺も元気なうちは頑張るよ。昔、吉原社長(国際プロレス)に“お前は体が小さいから、練習を人の倍やらなきゃ駄目だ”って言われて、それを守って練習したのが財産だね」と高杉さん。息子さんは17歳だというから、親子タッグも夢ではないかも。高杉さん、頑張って下さい!

投稿者 maikai : 11:16 | コメント (1)

2007年07月23日

祝20年!諦めなかったからこそ今と未来が

 昨日のウルティモ・ドラゴン20周年興行は、87年5月から91年10月までの浅井嘉浩、そこから今日までのウルティモ・ドラゴンの年輪を感じさせるものだった。

 私が浅井と会ったのは、彼がユニバーサル・レスリング連盟に参加するようになった90年春から。まだ23歳の浅井は根っからのプロレス少年で、よく週刊ゴングの編集部に遊びに来ては、いろいろな資料を勝手に見て喜んでいた。91年3月、「SWSに行きたいので、天龍さんと会わせてください」と言われて、ロサンゼルスで引き合わせてから、SWS担当だった私の取材対象になり、そこからでも16年以上の月日が経っている。もう40歳…今年の12月で41歳になるというから驚きだ。当時29歳だった私も9月には46歳になってしまうのだから、人のことは言えないが。

 そういう意味では、昨日の興行は、浅井が言うように(船木誠勝の表現と浅井は言っていた)「タイムマシンに乗ってきたかのよう」だった。

 新日本の新弟子時代に世話になった船木が駆けつけ、レフェリーは指導してくれた山本小鉄が務め、同じコーナーにはデビュー戦のパートナーになってくれた佐野巧真、引退した畑浩和がいる。相手はデビュー戦の相手だったネグロ・ナバーロ、そしてエル・テハノの息子。

 この日の浅井のコスチュームは浅井嘉浩とウルティモ・ドラゴンのコラボだった。浅井時代のモチーフは忍者。マスクには龍ではなく忍の文字、タイツは胸に日の丸、上半身を隠す浅井時代と同形のものだ。そして浅井も佐野も、駆けつけた畑も背中に龍の刺繍が入った和風のガウンを身に付けていた。ラ・テルシア・オリエンタル(東洋の3人組)の復活だ。ちなみに浅井のデビュー戦の写真は残っていない。試合を見た日本人もいない。佐野と畑だけが生き証人。だから浅井は「このメンバーじゃないと意味がなかった」と言ったのだ。

 トンボを切ったり、久々にルチャ殺法を披露してくれた佐野。相手のナバーロも51歳になりながら一生懸命にファイトしてくれた。そして浅井は、浅井嘉浩の名前を日本で広めたラ・ケブラーダ、WWE時代からフィニッシュに使うようになったアサイDDTで快勝した。

「今までのプロデュースはお客第一でしたけど、今日は自分のためにやりました。今は団体間の政治的な問題で難しいこともあるけど、みんな出場をOKしてくれて、集まってくれたということだけで…」
 と、白い歯を見せた浅井。“自分のため”とはいっても、観客不在ではなかった。闘龍門カナダ提供試合(ジョー・ポッター&オリシスVSダン・パイザン&テリック・ワイルド)などは、浅井が作ってきた人脈によるもの。ハリー・ポッターそのままに、ホウキに乗ってコーナーから場外にダイブするジョー・ポッターは大いに客席を沸かせてくれた。

 今後、日本よりも海外での活動を多くしてメキシコ、イタリア、カナダなど世界各国に進出していくという浅井は「味のあるレスラーになります」と20周年を区切りに今後への意欲も満々である。

 左肘の手術失敗で98年7月から4年以上も長期欠場を余儀なくされたが、それを乗り越えたから今と未来がある。04年7月に今のドラゴンゲートと決別したが、それでも活動を続けてきたから今と未来がある。

 浅井嘉浩=ウルティモ・ドラゴンは、若き日は子供たちに夢を与え、今は夢を与えるだけでなく、物事を継続することの大切さを体現している。

投稿者 maikai : 10:06 | コメント (0)

2007年07月21日

FMWの魂を継承する男たち

 昨日の後楽園ホールでのアパッチ興行は、主催者発表で観客動員数が800人。これは、ほぼ実数だと思う。ちょっと寂しい入りだったが、お客さんの反応は上々で、会場のムードも良く、本当にアパッチが好きな人たちが集まったんだなあと実感させられた。

 今年に入ってからの軸だったGBHとの抗争ではなく、純血に近い大会だったが、マッチメークは緻密。いきなりデスマッチ(葛西、沼澤、MAZADA VS 宮本、小幡、今井)で盛り上げ、次はお笑いテイストの試合(新宿鮫、佐野直 VS NOSAWA論外、ウインガー=フィラデルフィア認定ロッキー・ミニマム級選手権)、ここから一転してバチバチ・ファイト(HI69 VS 池田大輔)、アパッチVSドラゴンゲート(黒田 VS フジイ)、そして休憩。休憩明けのセミは佐々木貴とGENTAROのイデオロギー闘争、メインはWEW戦の前哨戦でもある金村&田中将斗とマンモス佐々木&佐藤耕平のタッグマッチ。1試合ごとにカラーが違い、プロレスの様々な要素が散りばめられているニクいマッチメークなのだ。そうした心配りが、私がアパッチを支持する理由でもある。

 話題はいろいろあったが、やはり注目はメイン。「マンモスに自分と田中がこれまでFMWからやってきたことを伝授したい」と言っていた金村と田中の存在感は圧倒的だった。最後はマンモスが29歳で金村を仕留めてWEW王座に王手をかけたものの、マンモス本人は改めてそれを実感したようだ。

「キャラや存在感ではおっついていないですね。でも力だけは超えていると思ってます。だから力でネジ伏せて、ワンツースリーを取って、ベルトを奪う。金村さんは調子が悪そうだし、そこから安心して休んでもらいたいです。俺は王者になった上で、これまで2回負けている真壁とやりたいです」
 と、マンモス。まずはベルトを手にして、そこから足りないものを積み上げていこうというのだ。

 存在感で金村、田中を超えるのは容易ではない。だが、私はこのマンモス、そしてゼロワンMAXの佐々木義人にFMWの魂を継承していってほしいと思う。彼ら2人は新しいプロレスを構築しようと頑張っていた金村、田中、ハヤブサ、黒田らの頑張りを間近で見ていた男たち。崩壊から5年以上の月日が経ったが、マンモスと義人のW佐々木が頑張ることによって、FMWがいつまでもプロレス・ファンの記憶に残ってほしいと思うのだ。

投稿者 maikai : 14:35 | コメント (0)

2007年07月20日

MVPはSHINGO

 世界最先端のプロレスを見せるというドラゴンゲートの『WRESTLE JAM』は、本当に面白い逸材を紹介してくれる。昨年に続いて2度目の開催となったが、今年の目玉はCIMAがイギリス遠征で「こいつをヨーロッパに埋もれさせるのはもったいない。ドラゲーの制空権を塗り替える逸材!」と惚れこんだPAC、今年5月20日にカリフォルニア州バーバンクでCIMAの挑戦を退けてPWG世界王座を防衛しているエル・ジェネリコの2人だ。

 確かにPACの空中殺法は凄かった。トルニージョ式(きりもみ式)のケブラーダに、フィニッシュはこれまたきりもみ式の360シューティングスター・プレス。それもいっぱいいっぱいではなくて自分の体をコントロールできているから、安定感がある。まだ20歳…キャリア不足は否めないが、経験を積めばドラゲーの制空権を手に入れることができる男だ。

 ジェネリコはヒョロッとした長身に、モッチーが「まるで50年前のマスクマンですね」と笑う冴えないマスクを被った男だが、そんなトホホなルックスとは裏腹に身体能力の高さを証明。トップロープに飛び乗ってのケブラーダは鮮やかだった。

 そんな中で昨日の後楽園ホール大会のMVPは鷹木信悟ことSHINGO。元ROH世界王者オースチン・エイリースに勝ったのである。昨年5月から約1年間、ROHで修行したSHINGOだが、エイリースとはタッグで2~3度当たっただけ。ハッキリ言って格が違った。そうした中での勝利。しかもパワーで押しまくるのではなく、緩急をつけた攻守で約18分間、観客の目を釘付けにした。そこにいたのは、まさしくROHのSHINGOだった。

「今日の勝ちはメチャクチャ大きいです。相手は元ROHのチャンピオンでしたけど、ROHに行って進化して帰ってきた以上は負けられなかったです。“JAMでやるんだったら、トップの人とやらせてほしい”って会社に直訴していたんで。今、ニュー・ハザードは僕とサイバー・コングだけなので、負けたらニュー・ハザードの存在感が落ちるというプレッシャーもありましたけど、追い込まれた状態でどこまで力を出せるかが勝負だと思っていたし、これからも追い込まれながら成長したいと思います」
 と、SHINGO。

 ドラゲー新世代ユニットとして始動したニュー・ハザードだが、YAMATO、B×Bハルクが怪我で相次いで戦線離脱したため、この日のメインの1万ドル争奪なにわ式イリミネーション8人タッグ3WAYマッチにもSHINGOはエイリース戦に続いて連続出陣した。そうした気迫がファンの心を掴んでいく。

 昨年の秋だったか、某トップ選手が「ウチもハルクや信悟が上にきてくれないとヤバくなりますよ」と言っていたが、鷹木信悟はキャリア3年弱にして真のトップグループに食い込んできている。

投稿者 maikai : 10:08 | コメント (0)

2007年07月18日

踏ん張りどころのノア

 日にちが前後してしまうが、15日のノア日本武道館大会について書かないわけにはいかないだろう。この日のノアの空気はいつもと違っていた。何とブーイングが起こったのである。

 第6試合のKENTA&石森VS丸藤&飯伏のジュニア・タッグ・リーグ公式戦までは雰囲気が良かった。試合はKENTA&石森が勝利し、得点7。その時点のトップに躍り出た。丸藤とKENTAの良さはもちろん、DDTの飯伏の潜在能力、昨年春からフリー参戦している石森の培ってきた力も発揮された。若い力が認識されただけでも、今回のリーグ戦開催の価値はあったと思う。

 問題のブーイングは続く鼓太郎&マルビンVSブリスコ兄弟の公式戦で起こってしまった。両チームともに勝てば7点でKENTA&石森と並び、そうなると優勝決定戦になるというシチュエーション。試合内容は悪くなかった。丸藤組とKENTA組の試合に比べれば落ちていたかもしれないが、それでも4選手がノンストップで動きまくるノア・ジュニア&ROHならではの展開だった。問題のシーンは30分時間切れ間際。マーク・ブリスコのキックが福田レフェリーを誤爆、福田レフェリーがダウンしている間に鼓太郎がブルー・ディスティニーからフォールに入ったものの、サブの山本レフェリーが入ってくるのが遅れ、さらにカウント2のところで時間切れのゴングが鳴り、自動的にKENTA&石森の優勝が決まったのである。

 この瞬間に物凄いブーイング。レフェリーの不手際への抗議か、KENTA組と鼓太郎組の優勝決定戦が見られないことへの不満か…。ブーイングは表彰式でより一層大きくなってしまった。これはちょっと悲しい出来事だった。客席から不満が出るのは仕方のないことだが、このタッグ・リーグ戦に出場した選手たちには罪はない。彼らは各地で目一杯のファイトをやってきたのだ。優勝したKENTA&石森もブーイングを浴びせられることは何もしていないのである。何か、このリーグ戦のすべてを否定するようなブーイングは聞いていて辛かった。

 この空気を変えたのはKENTA。「チャンピオン(鼓太郎&マルビン)、しょっぱい試合するから、こんな雰囲気になっちゃっただろ! せっかくだからタイトルマッチをやるのかやらないのか、ハッキリしろ!」とマイクを手にしてアピール。鼓太郎が「いつでもやってやる」と返すと、KENTAは「ここまで説得力のない“いつでもやる”は初めて聞いたよ。次のシリーズ、そのベルトは俺たちが巻くから。いい試合をします。ありがとうございました」と締めた。KENTAは鼓太郎&マルビンをしょっぱいとは思っていないはず。ブーイングに怒りもあったと思う。だが、こういう形で異常な場を治めたのはKENTAのセンスだと思う。

 セミの志賀&川畑のパンパーズが秋山&力皇に挑んだGHCタッグ戦も異常なムードだった。観客がパンパーズに辛辣なのだ。パンチパーマというキャラでここまで来たパンパーズを認めていないファンもいるということだ。だからこそ秋山&力皇の攻めは厳しくなった。秋山は志賀をエグく攻め立て、力皇の川畑に対する当たりは、まるで相撲の稽古のよう。ヘロヘロになりながらもパンパーズが食い下がったことで試合は成立したが、「たとえ試合が成立しなくなっても仕方がない!」という秋山と力皇の覚悟が見えるような試合だった。秋山のパンパーズに対するメッセージは「一からやり直せ!」。

 秋山はすべてを吹っ切ってパンチ男に変身した志賀のプロ根性を認めているし、地味ながら実力とタフさを兼ね備えている川畑も認めている。だから「努力してここまできたけど、ここから先は通用しない。一から努力してきたんだから、駄目だと思ったら、また一からやり直せるだろう」というメッセージだ。

 そしてメインは三沢に田上が挑んだGHCヘビー級戦。45歳(三沢)と46歳(田上)の91歳対決などとも呼ばれたが、その中で三沢はシビアな攻めで田上を振り切った。フィニッシュの垂直落下式のエメラルド・フロウジョンは、角度が急な上に、普通なら相手の首をホールドして、受け身のレベルに合わせて落とし方を調節する右手を使わずにそのまま落とすという荒技。田上は脳天からモロにキャンバスに突っ込んでしまった。いつもとは雰囲気が違った武道館大会は、三沢にここまでやらせたのである。

 05年あたりから新日本に代わって業界の盟主と呼ばれるようになったノア。ここ最近はファンのノアを見る目が厳しくなってきていると思うし、要求も高くなってきているように感じられる。だからブーイングや辛辣な野次も飛ぶのだろう。優しい目から厳しい目へ…これは自然の成り行きでもあり、ここがノアの踏ん張りどころになる。

投稿者 maikai : 14:37 | コメント (1)

2007年07月17日

ROHで光ったのは…

 アメリカのROHが日本初上陸。昨日のディファ有明で第1戦を行なった。ROHの選手は、体こそ大きくないが身体能力に優れたレスラーばかり。技のひとつひとつに凝るし、「ああ、子供の頃、日本のプロレスのビデオを見ていたんだろうなあ」といった感じだ。とにかくプロレスが大好きな集団ということがわかる。

 ただし、誰も彼もノンストップで動きまくり、飛びまくると見ていて疲れてしまうのも正直なところ。どんなに凄いことをやっても、見慣れてしまうから、凄く感じなくなってしまう。遅い動きがあるから、パパッと動いた時に「おおっ!」と速く見えるし、地味な技があるから、派手な技が映えるというもの。どう効果的に見せるかはセンスの問題だ。

 その点でやはり素晴らしいと思ったのはブライアン・ダニエルソン。試合にメリハリがあるし、対戦相手の潮﨑豪の持ち味も十分に引っ張り出していた。技をきめ細かくピシッと決めるから説得力もある。05年9月17日にジェームス・ギブソンからROH世界王座を奪取し、06年12月23日にホミサイドに敗れるまで38回防衛記録を作ったというのも頷ける。決してオーラがある風貌とは言い難いが、やはりちゃんと仕事ができる人間がトップを取るというのは日本もアメリカも変わらないということだ。

 メインの森嶋VSマッギネスのROH世界戦も良かった。集まった観客はROHファンだから、声援はマッギネスに集中。これもまた雰囲気を盛り上げた。大型の外人に日本人がテクニックと頭脳で立ち向かうというのが常だが、その逆だったのも面白い。様々な仕掛けで攻勢に出るマッギネスに対して、パワーで瞬時に流れを変える森嶋は痛快だった。

 追い込まれ、追い込まれ…それでも最後にはきっちりと逆転するという森嶋のファイトは世界王者にふさわしいもの。チャレンジャーを引き出した上で勝つというセオリーをちゃんと体得しているのには感心した。半年以上もベルトを持っていることで森嶋は着実に幅を広げて成長している。あの体で試合の流れを作るプロレス頭を持っているのだから、これからが楽しみだ。やはりノアの未来は森嶋と丸藤、KENTAが中心になっていくだろう。その近未来に向かって、さらに森嶋には驀進してほしい。

投稿者 maikai : 14:16 | コメント (0)

2007年07月16日

台風の中で全日本開幕

 昨日は台風4号襲来の中、まずは午後12時から後楽園ホールにおける全日本プロレス『サマー・アクション・シリーズ』開幕戦のGAORA中継解説。この日の目玉は武藤&健介VS小島&諏訪魔だ。先シリーズでブードゥー・マーダーズ(VM)入りした小島が諏訪魔とVM最強コンビを結成して、いきなり全日本正規軍の最強コンビと激突したのだ。

 ハッキリ言って、小島はまだ自己改革の途中。この日、ヒールの小島、VMの小島を強烈にアピールするべきだったが、まだまだ中途半端。従来通りの受けのファイトだし、反則攻撃もしっくりこない。キャラとしてのヒールをイメージ付けたいようだが、それがしっくりとこないのである。私個人の見方としては、希望通りに武藤&健介と対立するポジションになったわけだから、無理にワルぶる必要はないと思う。同じVMでも近藤修司は真っ向勝負の男。VM入りしても凶器に走る必要はないと思うのだが…。もし小島が自分を変えるために凶器や反則攻撃に走るというなら、肚を据えて徹底的にやるしかない。自分は何がやりたいのか? 小島はもっともっと自分を見つめなければなならない。

 この日のベストバウトはミゲル・ハヤシJrと櫛田雄二郎のシングルマッチ。櫛田とは、ハッスルのKUSHIDA。本名で全日本に出稽古に来たという形だ。ハッスルの生え抜きである櫛田はなかなかの経歴の持ち主。元々は髙田道場で、ZSTのジェネシスライト級トーナメント優勝経験もある。05年夏から自費でメキシコに飛んでルチャを学び、ライセンスを取得してCMLLでYUJIROの名前で20~30試合を経験して昨年2月のハッスル・オーディションのために帰国。TAJIRIのコーチを受けて昨年9月にデビューしたばかりの新人である。専修大学出身で、長州力にも練習をみてもらったことがあるという。TAJIRIは「バランスが良く、体の中心線がしっかりしていて左右にブレない」と、その素質を高く買っている。ちなみに客席にはTAJIRIの姿があった。ハッスルのリング上では敵対関係になったとはいえ、やはり気になったのだろう。

 ハッスルでのパンタロンではなく、ショート・タイツでミゲルに挑んだ櫛田は髙田道場仕込みのサブミッションとルチャ殺法を駆使した。佐野巧真が髙田道場を退団してノアに移籍した時に使った“ゆりかもめ”を披露したことに気づいた人はいただろうか!? 両腕と首を極める“ゆりかもめ”は桜庭和志が佐野に餞別代りにプレゼントした髙田道場オリジナルの技である。

 懐の深いミゲルによって持ち味を大いに発揮した櫛田。その真っ直ぐなファイトは爽快だった。純プロレスから多くのものをハッスルに持ち帰ってほしい。
 

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2007年07月13日

カスイチはオモチャ箱

 リング・ソウルが月イチで新宿FACEにおいて開催している『カスイチ』は“お好きな人のためのプロレス・ライヴショー”といった趣だ。昨日の『カスイチvol.5』にしてもメキシコ・アミーゴスと菊タロー&アントーニオ本多のネタ合戦、アジャ、浜田文子にやりこめられて、全日本でのVMとはまるで違う一面を見せるTARU&ヤッシー、試合前にはアントニオ小猪木登場…と、お楽しみが散りばめられていた。

 メインの3WAYタッグ戦はエルドラドの軍団抗争をそのまま移行。SUKIYAKIの近藤&谷嵜、猛獣惑星の大鷲&KAGETORA、そしてエルデモンズの菅原卓也が藤田ミノルを助っ人に戦うというもので…このあたりになると、ちょっとマニアックか!?

 ここで勝利した大鷲が次回8月14日の『カスイチvol.6』のプロデュース権を得て、ちゃんこランブルを開催する。カスイチ常連レスラーが、普段出ている団体の選手を招待するという趣向らしいから、意外に豪華メンバーになりそう。ちなみに、すでに邪道&外道の同大会への参加は決定している。

 また、9月13日の『カスイチvol.7』から料金が変わり、これまでのS席=8000円、A席=7000円、B席=5000円から最前列&テーブル席=8000円、その他は5000円均一にするという。それでも高い気がするが、超満員でも400人の会場で大物ゲストを投入することを考えれば、主催者側としてはギリギリの料金設定なのだろう。

 VMの意外な素顔、意外な大物選手、そして気の利いたマッチメークが見られるカスイチは、プロレス好きのオモチャ箱。1回、覗いてみては?

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2007年07月12日

『ハッスル』の主役は

『ハッスル・エイド2007』を受けての昨日の『ハッスル・ハウス26』は見ものだった。とにかく最近感じるのは、作り込みに隙がなくなっていることだ。今回は橋本真也三回忌追善の意味も込めた『ハッスル・キング・フォーエバー』ということで、第1試合に登場した恐・イタコに破壊王が降臨。それもおふざけにならず、見事な水面蹴り、橋本そっくりのフォームのDDTを披露したのだからニクイ! ちゃんとやってくれれば、ファンは大喜びである。

 第2試合ではジャイアント・バボとアントキの猪木がタッグで“幻のBI対決”を再現。この手のパロディはハッキリ言って私は好きではない。先人たちへのリスペクトが感じられないからだ。やっぱりパロッていいものと悪いものがある。だが、リングアナとしてケロちゃんと木原オヤジを起用したあたりは隙がない。この2人がOKならば、文句も言いづらくなってしまうのだ。試合の方は、猪木は芸人だから、モノマネでいっぱいいっぱい。本人は大好きな猪木として試合ができるのだから感慨もあっただろうし、実際に試合後には涙を浮かべていた。そういった純なところは好感が持てた。また、バボがコブラツイスト、猪木が卍固めという競演シーンも演出。これは1971年3月2日、蔵前国技館における馬場&猪木VSミル・マスカラス&スパイロス・アリオンの名場面を再現したもので、こうした細かいところはマニア心をくすぐる。

 ただし、本物のレスラー、バボ…長尾クンには、馬場さんの研究が足りない。長尾クンは新日本出身だし、実際に馬場さんに触れたことがないから無理かもしれないが、上っ面のアポーだけじゃなくて、スローモーな中にも要所で緩急をつけた動きなど、馬場さんのさり気ないレスラーとして素晴らしさまで表現してこそ、レスラーがやるモノマネだと思う。

 そんなこんなをすべて吹っ飛ばしたのは、ハードゲイのコスチュームに身を包んでメイン終了後に乱入した天龍源一郎。その存在感は他をよせつけない。そして、どんなキャラになろうとも、天龍源一郎は天龍源一郎だった。かつて冬木弘道は「どんなにキャラ付けしたって、最後にはその人間が出る。ファンはそれを見る」と言っていたが、まさにその通り。あのHGに負けた意味は、これからの線を見ることによって明らかになるはずだ。

 ハードゲイ姿になっても、なおブレない天龍。今、『ハッスル』の主役は、紛れもなく天龍源一郎になった。『ハッスル』の関係者がこの天龍の覚悟にどう対応していくのか、お手並みは意見だ。

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2007年07月11日

岩佐拓が掴んだもの

 7・1神戸ワールドが終わってドラゲーは新展開へ。元週刊ゴングで、今は週刊プロレスでドラゲー担当になっている金子記者に聞いたら「あんなにお客さんが入っている神戸ワールドは見たことがなかったです」とのことだった。

 さて、昨日の後楽園ホールではオープン・ザ・ドリームゲート王座次期挑戦者決定トーナメントが行なわれ、タイフーンから斎藤了、マッスル・アウトローズからマグニチュード岸和田、戸澤塾から岩佐拓、ニュー・ハザードからB×Bハルクが出場。まず岸和田が岩佐を破って決勝進出。続く斎了VSハルクでアクシデントが起こった。

 新日本のスーパージュニアに参加して外道、内藤に勝つなど充実しているハルクの猛攻に斎了はハードヒッティングな反撃で潰しのファイト。張り手の乱れ打ちでハルクの口からおびただしい鮮血が…。見かけと違って肚が座っているハルクはこれにもめげず、最後は先輩の斎了を攻略したものの、ダメージは大きかった。口の中をザクザクに切り、下の歯が2本折れ、さらにアゴを骨折した模様で顔が晴れ上がり、結局は救急車で病院に運ばれてしまったのである。

 うーん、残念!ハルクはこれからのドラゲーを引っ張って行く存在。上昇気流に乗ったところでの急停止は本人にとっても、団体にとっても痛い。ニュー・ハザードはYAMATOも肩の脱臼で戦線を離脱しており、鷹木信悟、サイバー・コング、ジャック・エバンスの3人だけになってしまった。勢いだけできた彼らにとって、ここが踏ん張りどころになろう。

 だが、この直後に思いもしない感動が待っていた。その主役は岩佐拓。ハルクの決勝戦放棄によって、改めて斎了と岩佐が決勝進出を争い、岩佐が勝利。そして決勝でも岩佐が奇跡の(?)勝利でCIMAへの挑戦権をモノにしたのだ。

 岩佐はハッキリ言って“遅れてきた男”だった。闘龍門5期生として2000年9月にデビューしたが、同期の吉野、アンソニー、土井はもちろん、後輩のミラノ、近藤、ヤッシー、菅原らにも大きく水をあけられて、存在感が薄かった。彼が活路を見出したのはお笑い路線。マイケル岩佐を名乗って、先ごろ引退した同期の三島来夢(ダニエル三島)とアメリカのインディー・レスラーをイメージしたフロリダ・ブラザースを結成して独特の存在感を示し、フロリダ解散後は戸澤塾の第一期生となった。

 だが、こうした経験は無駄ではなかった。観客の空気を読むセンス、試合運びが巧くなければ、お笑いはできないのだ。また、岸和田、鷹木などのパワー・ファイターが台頭する中で、それまではもてあましていた大きな体がモノを言うようになった。最近はお笑いではなく、パワー&老獪さで勝負。6月3日にはノアの札幌大会に参戦し、新井健一郎とのコンビで鼓太郎&マルビンのGHCジュニア・タッグ王座に挑戦して好ファイトをやってのけた。

 奇跡の…と、書いたが、今回の勝利は必然だったかもしれない。人間、頑張っていれば、いつかそれが実ることを証明してくれたと言ってもいい。こうした感動があるから、プロレスは素晴らしい。

 岩佐が闘龍門に入った当時のメキシコの寮長だった新井はこう言う。
「こいつね、入ってきた時は眼鏡かけてて、何にもできなくて…ホント、のび太くんだったんですよ。でも、ずっと努力してここまできた。プロレスは人生を表現していると思います。こいつはお笑いじゃないよ!」

 そして夢の扉を開く鍵を手に入れた岩佐はこう言った。
「こんなこと、言うべきじゃないのかもしれませんけど…僕は五体満足とは言えない状態で生まれてきて、それも親からの遺伝だったので、心配かけたくないからずっと強がって生きてきて…。でも人並みのことができなくて、ずっと諦めた人生でした。でも、たまたま友達とプロレスを観に行った時にCIMAさんのファイトを見て“同じ歳の人間が何であんな自由自在に体を動かせるんだ!?”と、嫉妬と憧れを抱きました。僕がプロレスラーの道、闘龍門を選んだのはCIMAさんへの妬みと憧れからです。CIMAさんに少しでも近づきたいという気持ちからです。それが、こうやって目標としていたCIMAさんに辿り着きました。僕にとって、タイトルマッチ云々というのは関係ないです。今まで生きてきた全存在を賭けてCIMAさんに挑んで、恥ずかしくない試合をしたいです。そして今までの自分に決別して、もうひとつ上に行きたいと思います」

 誰かが言った「プロレスには、その選手の人生が見える」という言葉。まさにその通りだと思う。次回のタイトルマッチは、CIMAが岩佐の人生を受け止める大一番なのだ。

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2007年07月09日

デスマッチの絶対王者

 ロープに張り巡らされた蛍光灯。そればかりではない、リング上にも蛍光灯が散りばめられている。ロープに飛ぶことはもちろん、リング上で受け身も取れない。蛍光灯300本マッチは極限の戦いだった。

 ロックアップして膝を着くだけでリング上の蛍光灯が破裂する。安易に投げ技を食うわけにもいかない。こんなに緊迫感のある試合は久しぶりだ。そして時間が経過するにつれて、王者・佐々木貴も挑戦者・伊東竜二も、蛍光灯のザクザクの破片で敷き詰められたキャンバスに構わず体を預けるのだ。

 大日本プロレスにとって夏と冬の横浜文化体育館は年間の柱。私が大日本の横浜文体に足を運んだのは今回が初めてだったが、いかにこの団体が、デスマッチが支持されているかを実感させられた。

 王者の佐々木貴は他団体アパッチプロレス軍の人間だが、ファンは所属団体に関係なく佐々木にも伊東にも声援を送っていた。最終的に勝ったのは佐々木であってもファンはダイニッポン・コールを連呼していた。

「団体なんか関係ねえ。デスマッチを愛する奴がこのリングで輝けるんだ。伊東には大日本の意地があっただろうけど、俺だってあいつがいない間にデスマッチを守ってきた意地がある。伊東は強いよ。強かったけど、最後は意地だよ、意地。今回は俺の意地がほんのちょっとだけ上回ったんだと思う。次の挑戦者? それは俺が指名するんじゃない。ファンが選んだ人間、ファンが後押しする人間だよ。そういう相手とやりたい。試合形式は相手が望むもので構わないから。これからも体を張って、ファンの声援に応えられるように、凄い試合、凄いデスマッチをやっていきます」
 と、佐々木。佐々木にとって今回が伊東戦初勝利。昨年9・10横浜文体で伊東に敗れてデスマッチ・ヘビー級王座を失ったが、勝った伊東は負傷欠場を余儀なくされて王座返上。そのベルトを12・3横浜文体で沼澤邪鬼との王座決定戦で取り戻した佐々木は、今年に入って3・14後楽園で宮本裕向相手に「今年のベストバウト!」と呼ばれるほどの試合をして初防衛に成功したが、本人の中では「伊東に勝ってこそ真のチャンピオン」という気持ちと「この1年、大日本のデスマッチを引っ張ってきたのは俺だ。それを証明する」という2つの想いがあったろう。絶対に負けられない一戦だったのだ。

 ベルトを掲げる佐々木に客席から「絶対王者!」という声が飛んだ。まさしく今の佐々木には絶対王者にふさわしい自覚、覚悟、実力、風格が備わっている。大日本のデスマッチが、どんなに血を流してもグロや残酷ショーにならないのは、王者・佐々木貴を初めとして各選手がピュアな気持ちで戦っているからである。デスマッチは遺恨、因縁といったドロドロした感情がなくても成立するまでに成熟した。

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2007年07月07日

新日本の熱は本物!

 昨日の新日本・後楽園ホールは2025人(超満員札止め)。本当によく入った。新日本は後楽園での興行数が多いこともあってか、一時期はまったく客が入らなかったが、この春からは好調。もっとも、IWGPヘビー、IWGPジュニア、IWGPジュニア・タッグの3大タイトルマッチを組んで入らなかったら、深刻な問題なのだが…。

 一番の変化は客数もさることながら、会場の熱気だ。一昨年の秋頃から昨年の春にかけては、観客がひいているというか、寒々した空気があって、何をやってもつまらなく感じたものが、今は観客が積極的に試合を楽しもうとしている。もちろん、試合内容はそれに見合ったもの。昨日の後楽園にしても、第1試合の平澤VS石狩からメインの永田VS真壁まですべてが興味深かった。試合終了は9時半を越えたが、中だるみがなく、たっぷりプロレスを堪能させてくれたという印象だ。

 復帰した蝶野が「俺が新日本を建て直してやる」と言えば、棚橋は「今まで会社に十分尽くしてきたから、これからは自分の自由な意思で上に行く」と宣言。それぞれに意欲的になっている。今シリーズでCTU解散という流れの中で、田口が稔を破ってIWGPジュニア王者になったのもポイント。ここからジュニアの新たな流れが生まれてきそうだ。

 東郷&TAKAに金本&亘が挑戦したIWGPジュニア・タッグは私好みの試合だった。東郷とTAKAはやっぱり巧い。挑戦者チームにやりたいことをやらせた上で、要所はきっちりと押さえる。試合の切り替えし、緩急の付け方が抜群なのだ。TAKAの「アウェーの俺たちが、新日本のリングで一番いい試合をやってやる」という言葉は、様々な団体を渡り歩いている者のプライドである。

 メインのIWGP戦は大流血戦。真壁がイスとハサミで永田を流血に追い込めば、永田はムエタイ流のエルボーで真壁の額を切り裂いた。客席からは「これが新日本か!?」という声も飛んだが、最終的には心と心を真っ向からぶつけ合う勝負。どんなに血まみれになっても嫌な感じはなかった。そこに駆け引きなしの2人の意地のぶつかり合いがあればいいのだ。振り返れば、猪木とシンの戦いもそうだった。

「やっぱり肘は禁じ手…今後は使うべきじゃないね。でも、あれで立ってくる真壁を見て、プロレスラーはやっぱり凄いなと思った。普通なら、あそこでストップでしょう。真壁のスタイルを正しいとは思わないけど、あいつの気力、この道で生きていくんだという気迫は感じた。俺と真壁じゃ、歩いてきた道も、見つけた道も違うけど、根本的に目指すものは一緒。方法論が違うだけでね。方法論は違っても、魂をぶつけ合ったということですよ」
 と、永田。さらに永田は、
「新日本の足場は固まったと思う。このベルトを持って、両国、そして東京ドームに進んで行きたい!」

 スタートは聖地・後楽園ホール。後楽園ホールの熱は戻った。ここから新日本の躍進が始まる。

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2007年07月06日

犬がいない生活

 ハワイで結婚式を挙げた知人が昨日の午後帰国。預かっていた豆柴を迎えにきた。わずか8日間の我が家へのホームステイだったけれど、やっぱり寂しい。

 この2~3日はすっかり甘えん坊になっていて、普段は妻のあとをくっついて歩いているくせに、私が出かけようとすると悲しそうにキャンキャン吠えていた。妻が出かける時も同様。どうやら私たち夫婦2人にいてほしいようなのだ。

 帰す前日の夜には、妻の腕枕で寝ているからいいだろうと、私はひとりでリビングで酒を飲んでいたが「一緒に寝ようよ!」とばかりにリビングと寝室を行ったり来たりしてキャンキャン。私が布団にもぐりこむと、安心したようにパタンと寝てしまった。ウーン、面倒臭いけど、カワイイ奴だ!

 そんな感じだったから、帰ってしまった昨日の夜はホッとしたはずなのに、私も妻も寂しさが募るばかり。まるでペットロス症候群のよう…。

 などと思っていたら、今しがたトコトコトコと豆柴の足音が! 一夜明けたら遊びに来たのである。まとわりついてきて、おやつを食べて、寝る。やっぱり、この惑星の豆柴はカワイイ!

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2007年07月05日

田中護氏の死を悼む

 7月1日、田中護氏が82歳で天寿をまっとうした。田中護氏とは全日本プロレスの会場で「ご観戦の記念に、また、ご家庭へのお土産に…」という名フレーズでパンフレットを売っていたおじさんである。

 我々が「田中のおじさん」と呼んでいた田中護さんは、全日本プロレスのパンフを手掛けていた田中印刷の社長さんだった。シリーズが始まるとパンフレット売り場に立ち、我々、マスコミには取材ノートに対戦カードのスタンプを押してくれた。あの対戦カードを作るのには年季が必要で、キレイに全カードが写るようになるまで大変なのだ。そういえば、デビュー当時の川田は、いつも対戦カードにカタカナで“カワダ”と押されていた。きっと外人選手の名前を切り張りして作っていたのだろう。これに不満を持った川田がおじさんに抗議すると「だって、おまえはハンコ代を持ってきてないだろう」。もちろん冗談だったが、川田が大真面目にハンコ代を包んできたから、おじさんは大笑いだった。

 巡業に同行して各会場で声を張り上げてパンフを売り、試合後には常に馬場さんと行動を共にしていた田中のおじさん。元気で、とても優しい人だった。不機嫌な顔や疲れた顔は見たことがない。

 全日本の広報担当者が急病で入院し、私がピンチヒッターとして85年の『決戦!ダイナマイト・シリーズ』のパンフの編集をしたことも思い出のひとつ。ゴング編集部と田中印刷は目と鼻の距離にあったから作業しやすかった。また、それ以外でも「小佐野クン、○○の写真がないからちょっと借りに行くよ」とか「悪いけどさあ、××の写真、持って来てくれない?」などど行き来したものだ。

 今日の告別式は行くことができなかったが、昨日の御通夜は行くことができた。全日本の武藤社長、渕さん、京平さん、ノアの三沢社長、小橋、天龍さん、馬場元子さんらの花が並び、私が斎場に着いた時には元子さん&京平さん、天龍さん、ノアの選手&関係者、全日本の加藤一良営業顧問らがいた。この何年間かで人間関係が複雑になってしまったが、それでもこうやって会する。それも田中のおじさんの人柄だと改めて思った。

 去年の4月28日、永源さんの引退パーティーでお会いした時には元気だったのに…。昭和のプロレスをを知る大切な人がまたひとり去ってしまった。田中のおじさん、安らかにお眠りください。天国で馬場さんと久々のお食事ですね! ご冥福をお祈りします。

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2007年07月04日

以前とは違うノアの風景

 ここ最近、ノアの不振が話題になっているが、本当に不振なのか? 小橋建太不在ということもあるが、昨年秋からノアの風景は凄い速度で変わってきている。若い力の急速な台頭、他団体との積極的な関わり…ノアが新しい時代につなぐために必要な変化だが、それにファンが追いつけず、戸惑っているといったところか。団体にとっても、ファンにとっても、今が過渡期なのだ。

 昨日、千葉ポートアリーナ・サブアリーナ大会に行ってみたが、確かに1年前とは風景が違う。それは、1年前とは違った見所があるということだ。第1試合から丸藤とDDTの飯伏が登場して客席を沸かせるというのだから贅沢。森嶋、ヨネはすっかり次代のトップとしてのファイトを身につけているし、潮﨑のファイトも骨太になった。

 ちょっと前までは「みんな同じようで区別がつかない」と言われた若手にしても、秋山イズムを持つ青木が欧州遠征を経てジュニア戦線で急浮上しそうな予感だし、元気いっぱいの太田一平、ワルに目覚めた平柳努、パワー&ルチャという変わったスタイルの伊藤旭彦と、それぞれにカラーが出てきた。ヘビー級で期待される谷口は潜在能力がありながらプロレスのリズムに馴染めていない感じだが、今シリーズは秋山とのタッグが多いだけに何かを掴めるはず。

 志賀&川畑のパンパーズというキャラは、かつてのノアでは考えられなかったものだし、ジュニア戦線は初のタッグ・リーグ戦、ROH勢の参加でグレードの高い今風のファイトを提供している。

 いつまでもノアを四天王時代の全日本プロレスの延長として見ていたら、それは間違い。今のノアは、かつての伝統を守りつつ、バラエティーに、新しくなっているのだ。これでドッシリした柱ができれば、ノアの新段階は完成するだろう。その過程を楽しまない手はない。今のノアを見ておかないと、あとで損をすることになると思う。

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2007年07月03日

犬がいる生活

 実は、我が家には先週の木曜日から豆柴(1歳半)がいる。旅行に行った知人の犬を預かったのだ。ところが私も妻も犬を飼ったことがないだけにタイヘン。

 柴犬はキレイ好きで基本的には家の中では排泄をしないというので朝、昼、夜、寝る前と4回の散歩。私の役目は朝8時の散歩と深夜の散歩。トイレのタイミングはバッチリ覚えた。完全にしゃがんだ時はオシッ○、中腰はウン○ね。トコトコと歩いていたと思ったら急停止、腰をちょっと下げたところでササッと新聞紙を地面に置く。コトをすませた後、ちょっと申し訳なさそうな顔をしてこっちを見るのがカワイイ。お陰で私は運動不足解消だ。

 それにしても、このお犬様、自分を人間だと思っているのか? 寝る時は私か妻の腕枕。それもうつ伏せではなく、腹を見せて仰向けになってガーガー寝る。キミは本当に犬なの!?

 芸はできません。「おすわり!」「それは伏せでしょ」という具合。でも、餌をあげるときだけはおすわり→お手→おかわり→伏せ→待てを完璧にこなせるのはナゼだ!?

 ということで、我が家は今、お犬様に振り回されている。昨日も午後から妻が用事で外出すると、ふてくされたのか台所でジーッ。私が呼んでも来やしない。そのくせ、私が仕事部屋に入ると、部屋のドアの前で丸くなって寝ている。で、サムライTVに出かける時間になったら、私が出て行ってしまうことを察知してか、玄関に陣取って動かない。何とか餌でリビングにおびきだして、その隙に外出に成功したが、置いていくのが切ないこと、切ないこと。こんな感じじゃ、とても我が家で犬を飼えそうもないなあ。このお犬様との生活も木曜までだ。

 缶コーヒーBOSSのCMのトミー・リー・ジョーンズではないが「この惑星の豆柴はカワイイ!」。

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2007年07月02日

みのるの挑戦&大勝負

 昨日の横浜文化体育館における鈴木みのると武藤敬司の三冠戦はタイトルマッチという意味合いを超える大勝負だった。

 表面的には全日本の最後の砦として武藤がベルトを奪回できるかどうかというのが焦点だったが、実際には鈴木みのるが挑戦者だったように思う。昨年春、全日本に殴り込んできたみのる。当然、狙いは三冠王座だったわけだが、実際には武藤との戦いがすべてだったのではないか。そのために三冠を奪い、防衛を続けてきたとしか思えないのだ。だから4・30名古屋でTAJIRI相手に4度目の防衛成功後に武藤を指名したにもかかわらずノーリアクションだったことに腹を立てて「バイバイ、全日本」と口走ったのだろう。

 鈴木みのるにとって武藤は別世界の人間だった。87年3月に高校を卒業して新日本に入門した時、武藤はすでに海外修行を終えてスペース・ローンウルフとして売り出し中。越中と組んで前田&髙田からIWGPタッグ王座を奪った頃だ。当時24歳の武藤にとって、18歳の新弟子みのるは「高校ではアマレスをやっていた元気のいいアンチャン」ぐらいの印象だったはず。スパーリングはやっているはずだが、武藤には、その記憶さえないのだ。

 88年6月、ようやくデビューしたみのる。武藤は2度目の海外修行に出ており、プエルトリコWWCでブラック・ニンジャを名乗ってテレビ王者、プエルトリカン王者になっていた。みのるのデビュー1ヵ月後の7月29日、武藤は橋本&蝶野との闘魂三銃士で有明コロシアムに凱旋している。そして、みのるは90年3月に新日本を退団してUWFに移籍したが、それと前後して武藤は凱旋帰国。グレート・ムタとしてNWAで世界王者フレアーと抗争、スティングからNWA世界テレビ王座を奪い、メジャーとなっての帰国だった。こうして振り返ると、2人はほとんど接点がなかったと言っていい。若き日のみのるは、こんな武藤をどう見ていたのだろうか?

 そして6・22新宿FACEのカスイチで聞いた「その頃、俺はパンクラスでやっててさ、まったく違う世界にいたわけだけど、髙田延彦が武藤の足4の字で負けた時は屈辱だったよ。今度の三冠戦は、そういう想いもこもっているから…」という言葉。みのるにとって、武藤との戦いには様々な想いと意味がこめられていたのである。

 そして昨日の決戦。みのるはキング・オブ・パンクラシスト時代を思わせる白のタイツ&リング・シューズで登場した。髪の毛は金髪。「髪型? 朝起きたら、こうなっていたんだよ。いちいち俺の表現方法に説明を求めるな。画家に“この絵はどういう気持ちで描いたんですか?”って聞くのと同じだろ」とは、みのるらしい言葉だが、そのいでたちだけで決意のほどがわかった。

 試合はグランド中心。武藤もグランドは抜群に強い。一緒にテレビ解説席についた渕さんは「武藤は体が大きいし、体重移動が巧い。上に乗られると重くて、スタミナを消耗する」と言っていたが、その力量を遺憾なく発揮してみのるを追い詰めた。アキレス腱固め、ドラゴン・スクリュー、足4の字…武藤は、みのるを12年前の髙田延彦にするべくシビアな攻めを展開した。武藤にとっても久々の大勝負なのだ。

 そのみのるが勝負を決めたポイントは、掟破りのドラゴン・スクリュー。フィニッシュは、かつてパンクラスで禁じ手となったヒールホールドだった。

「足への一点攻めなんて300年前ぐらいの戦法をやりやがって。ドラゴン・スクリューは俺だって知っている。日本で最初に足持って投げたのは誰だ? 藤波辰爾? 藤波辰爾の師匠はカール・ゴッチだろ。その弟子の俺は練習で何百回、何千回とやっているんだ。…最後の最後に出てきたのは、自分が最初に覚えた技だな」

 それだけみのるも必死だった。だからこそ充実感があったはず。多分、武藤も納得していると思う。派手さはないが、技術と気持ちがこもっていたこの一戦は三冠ヘビー級選手権のグレードを上げた。

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2007年07月01日

ハワイ番組に(偶然?)出演!

 昨日の午後6時半~7時にテレビ朝日で放映された『ポカポカ地球家族 砂川啓介・大山のぶ代夫妻のハワイロングステイ体験』に私と妻チエコが出ていた。

 これは5月のハワイ旅行でのことだった。毎週水曜日の午前10時~12時にカピオラニ公園の中のモンサラット通りとパキ通りが交差したところにある駐車場で朝市が行なわれるのだが、5月16日昼、ここでロケ中の夫妻と遭遇。私たちが野菜を物色していたら、夫妻に話しかけられ、1袋2ドルのマウイ・オニオンを半々に分けることに。さらに妻チエコがマノア・レタスのおすそ分けをしたのだ。その間、テレビカメラがずーっと回っていたというわけ。

 番組のスタッフから連絡先を聞かれたが、その後、何の連絡もないから「きっと番組では使われないだろうねえ」と言っていたら、昨日の放映で登場。時間にして20秒ぐらいか…。

 ちなみに主役は、あくまでも妻チエコ。私は左腕と横顔、声での出演で…きっとわかる人にしか、わからないだろう。ちなみに東京スポーツの柴田惣一クンからは「小佐野クンはよくわかんなかったけど、奥さんはバッチリ出てたねぇー」と電話がかかってきた。よくわかったね!

「ワタシ、若く映ってたよね!」とご満悦の妻チエコでした。

投稿者 maikai : 12:25 | コメント (0)