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2007年04月23日

赤鬼33年!

 昨日の後楽園ホールにおける全日本プロレス『2007HOLD OUT TOUR』開幕戦で“赤鬼”渕正信がデビューから丸33年を迎えた。デビュー戦は1974年4月22日、徳島・阿波池田四国電力横広場での大仁田厚戦である。

 私にとって渕さんは、この業界に入って1年ちょっとで親しくさせてもらったレスラーだ。大学に在籍しながらゴングの編集&取材に携わっていた81年8月、すべて自費だが、取材した材料は必要に応じてゴング編集部が買い取ってくれるという約束で、私は3週間のアメリカ・プロレス旅行をした。ルイジアナ州バートンルージ、フロリダ州マイアミ、フロリダ州ウェストパームビーチ、ミズーリ州セントルイス、ジョージア州アトランタ、フロリダ州タンパ、テキサス州ヒューストン、テキサス州サンアントニオ、テキサス州ダラスの取材&観戦旅行を経て、テネシー州ナッシュビルで出会ったのがマサ・フチ&ミスター・オオニタのコンビ。グレイハウンド・バスのバス・ディッポまで迎えにきてくれた渕さんは頭も眉毛も剃り上げた怪しい風貌で、まるでウルトラマンだった。

「いやあ、髪切りマッチで負けちゃってさあ。でも、髪切りマッチをやるとギャラがいいんだよ!」
 当時、渕&大仁田のコンビはトージョー・ヤマモトをマネージャーにAWA南部タッグ王者に君臨していた。ファイト・マネーは1週1200ドルと言っていたように記憶している。もう26年も前の話だから…私は19歳、渕さんは27歳、ちなみに大仁田さんは23歳だった。ウーン、みんな若い!

「夢はね、ファイト・マネーを貯めてAWAのバーン・ガニアのキャンプに入ることか、カール・ゴッチさんの家を訪ねて指導してもらうことなんだよ」
「今はヒールだけど、俺は必ず先発で出るんだ。先発だと、最初はレスリングから始まるから」
「俺は体が小さいからジュニア・ヘビー級ということになるんだろうけど、ヘビー級に通用するジュニア・ヘビー級になりたいね。ダニー・ホッジのように」

 20代の渕青年はそんな風に夢を語ってくれた。実際、ゴッチの指導はフロリダに転戦した際に受けることができたわけだ。

「同じ会社に33年いられたってことは幸せだよ。辞めろって言われないように頑張らないと」

 そう、ここからどういうレスラー人生を送るかが重要。最近のジジイ・キャラも悪くはないが、その中にチラリと“鬼の部分”を覗かせて、昭和を生きたレスラーとしてプロレス文化を若い世代に伝えていってほしい。

 

投稿者 maikai : 2007年04月23日 14:09

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