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2006年05月31日

WARに関わる!

 7月27日の後楽園ホールにおけるWARラスト興行のパンフレット制作に協力するために昨日の午後、ドラゴンゲートの関連会社であるドラゴン・ファクトリー、オンリーワンのスタッフとミーティングを持った。

 それにしてもドラゴンゲートは見事に組織を作ったものだと感心する。きっちり3社に仕事が分割され、円滑に回っているのだ。WARラスト興行を、実際はドラゴンゲートの興行だと勘違いしている人も多いが、ドラゴンゲートは純粋に選手を提供するだけ。裏方の切り盛りはドラゴン・ファクトリーが担当することになっている。

 さて、パンフの方は、WARを締め括るにふさわしい内容になるように検討中。私もWARは記者人生の中でも大きなウェートを占めるだけに力が入る。7月27日当日を楽しみにしていて下さい。

投稿者 maikai : 19:26 | コメント (1)

2006年05月30日

坂口会長も注目!

 5月28日の新日本・後楽園ホールでのこと、坂口会長が「出るのは、明日だっけ?」。何のことかと思ったらサムライTV『NEWS侍!』のことだった。

 坂口会長は『NEWS侍!』の視聴者。「あの時間帯って、あんまり見る番組がないから、サムライを見ちゃうんだよね」とのこと。以前、ある内容に頭にきて、新日本の便箋に“坂口征二”と直筆のサインまで入れて抗議のFAXを送ったが、いたずらだと思われて無視されたと苦笑していた。

 この『NEWS侍!』を見ているレスラー、関係者は意外に多い。そういえば5月20日の新宿FACE(NWS本旗揚げ戦)でもIWAジャパンの竹迫望美に「いつもサムライ、見てますよ!」と言われた。

 ウーン、レスラーや団体関係者に見られてるとなると、プレッシャーがかかるなあ。でも、駄目なものは駄目とハッキリ言わなくっちゃね。ファン目線でやらなきゃ番組の意味がなくなるから。

投稿者 maikai : 10:58 | コメント (0)

2006年05月29日

カッキー引退

 昨日の後楽園ホールでカッキー(垣原賢人)が引退した。私とカッキーに接点があったのはUインターの末期→キングダム→全日本フリー参戦→新日本の期間。彼が方向性で苦悩していた時代である。キングダム時代には鈴木健取締役に頼まれて、日本武道館の控室で川田に会わせた記憶がある。

 個人的に思い入れが強いのは全日本の分裂騒動後に長井とチーム・ストロングスを結成していた時代のカッキーだ。選手層が薄い中、チーム・ストロングスと荒谷&奥村のタッグ対決が何とか全日本のひとつのウリにならないものかと京平さんを含めて考えたものだ。だが、この時代でもカッキーは怪我に悩まされていた。軽量で、体が頑丈ではないというのは、どうしようもない。結局、カッキーは膝の怪我で欠場し、そこから全日本を去った。

 昨日の引退試合。懐かしい顔触れが揃った。新日本とUインターの対抗戦がスタートした時、それに背を向けた田村潔司、宮戸優光がどういう形であれ、新日本のリングに上がったのには時代の流れを感じざるを得なかった。そして、その2人にさりげなく気を遣う蝶野…。

 最後、カッキーの笑顔は素晴らしかった。怪我と団体の崩壊やらで大変なプロレス人生だったと思うが、最後を笑顔で締めてくれたのは、見ている者にとって救いだ。

投稿者 maikai : 17:22 | コメント (0)

2006年05月25日

馳浩からのメール

 ウーン、仕事が山積みなのに、どうもテンションが上がらない…と思っていたら、馳センセーからメールが届いていた。

 週刊ゴング1126号に掲載したインタビューへの御礼のメールだった。多忙な中、わざわざメールをくれるなんて嬉しいこと。しかも時間は午前9時35分。きっと、仕事の合間を縫ってメールしてくれたのだろう。相変わらず馳センセーは早朝からバリバリ働いているんだろうなあ。

 こりゃあ、私も頑張らねばいかん。よし、これから4時間を目標に長編の原稿を一気に書き上げるぞ。ダラダラ書いていたら、いい原稿なんて書けない。原稿は集中力だ!

投稿者 maikai : 14:44 | コメント (0)

2006年05月24日

現役でいること

 今週は、週刊ゴングの仕事は27日=新日本の草加、28日=新日本の後楽園の追い込み作業のみ。それ以外の日は自宅に篭って他社の原稿をバリバリ書かなければならない。それにしても、毎日、部屋に缶詰になっての仕事は苦痛だ。昔からそうだけど、現場に飛び出しているのが性に合っている。

 思えばゴングが月刊誌時代は、編集の仕事がメインだから辛かった。週刊誌になって、外に自由に飛び出してからが春だった。編集長時代もなるべく現場に出て行って、その会場の空気を知ることに務めた。やっぱりプロレスは現場!

 今はそれなりのキャリアを積んでいるので、昔のことに対する記事の依頼が多い。考えてみれば馬場さん、現役時代の猪木さんを取材したことのある記者が少ない時代に入っているから、そうした記事を書くのは務めだと思っている。
 
 でも、過去の蓄積にプラスして“今”を貪欲に吸収していきたい。その意味では、現場に出してくれる週刊ゴングの仕事に感謝だ。下手をすれば20歳ぐらい年下の記者と同一線上での取材となるが、それもまたよし。いつまでも現役バリバリで前線に立つことが、この仕事の喜びである。

投稿者 maikai : 16:01 | コメント (0)

2006年05月22日

長州力の世界

 この土&日の2日間は忙しくてダイアリーを更新できなかった。土曜日は新宿FACEで行なわれた健介&北原のサムライ・ウォリアーズ復活戦(NWS本旗揚げ戦)の週刊ゴング追い込み作業、ロクに寝る時間もなく日曜は午後12時から全日本GAORA中継の解説、その後、新木場に行ってロックアップ旗揚げ戦を取材して週刊ゴングの追い込み作業というのが言い訳だ。そして今日は『NEWS侍!』がある。

 でも、忙しいのは嬉しいこと。会社員時代は「思いっきり眠りたい」とか「入社以来、有給を使ったことがない」とか思うこともあったが、随分と意識が変わった。大仁田がFMWを旗揚げした時、スケジュール表が予定で真っ黒になっていることに喜んでいるのを見て「この人はヘンだ」と思ったが、今はその気持ちがわかるなあ。

 さて、2日間の取材について。NWS本旗揚げ戦については日にちも経っているし、NWS代表の中村吉佐氏、健介&北原のサムライ・ウォリアーズに特別な思い出と思い入れがあるので、それは今週更新のプロレスコラムで書きたいと思う。ここでは昨日のロックアップである。

 ロックアップは、ハッキリ言ってリキプロ。長州の信念を形にするリキプロの興行を新日本が請け負ったという感じだ。前週行なわれたレッスル・ランドはこれから作り上げていくものだが、ロックアップはコンセプトが決まっているから、評判が良かろうが悪かろうが変えようがない。そのコンセプトは“ロックアップから始まって、鍛え上げた体と体をぶつけ合い、体力の限界まで闘う魂のリング”。

 これって、長州が維新軍、ジャパン・プロ時代から理想にしていたプロレスそのまんま。試合の組み立てや、派手な大技の攻防じゃなく、ガンガンぶつかり合えばいいんだというプロレスである。四天王時代の全日本や今のノアとは違うプロレスだ。だから全日本マットを主戦場にしたジャパン・プロが失敗したというのも頷ける。とにかく前に出る長州のプロレスと、受けと組み立てを前提とする全日本のプロレスが噛み合うわけがなかったのだ。もっとも私は、そのギクシャク感の両陣営の「ふざけんなよ、お前はプロレスがわかっているのか!?」というナマの感情のぶつかり合いが面白かったのだが。

 さて、昨日のロックアップはマスコミの評判も上々だった。私からしたら、普段のリキプロを形を変えてやっただけのことで「みなさん、普段のリキプロは見てなかったの?」と言いたい部分もあった。ただ、新鮮に感じたのは新木場という観客数500人にも満たない小さな空間。客席とリングが近いから、リング上の熱気がダイレクトに伝わる。長州は選手たちに「これだけお客に近くで見られることの怖さを知れ!」と言ったというが、こうなると本当に誤魔化しが通用しない。大技の応酬は禁じられているから、ぶつかり合いだけで客を納得させなければいけないのだ。その緊張感が良かった。特に第1試合の裕次郎VS下田大作は、まさにロックアップのコンセプトを体現した試合だったと思う。

 そしてもうひとつ大きかったのは一体感があったこと。今の新日本では長州現場監督に限らず、誰かが何かをやると、それに対する批判が内部から必ず出る。これは取材していても嫌なものだ。だが、ロックアップは長州がプロデュースし、長州を支持するレスラーが集まっているから、みんなひたすら一生懸命に試合をする。プロレスは個人競技と言われるが、イベントはチームワークである。気持ちのいいイベントを見ることができたから、徹夜の追い込み作業も苦ではなかった!

投稿者 maikai : 16:47 | コメント (0)

2006年05月18日

さあ、WARだ!

 今日、午後2時から後楽園ホールの展示会場で7月27日に行なわれるWAR興行の記者会見が行なわれた。出席したのは天龍を筆頭に北原、嵐、折原、荒谷、平井、維新力、石井、マグナムTOKYO、望月、ドラゴン・キッド、イーグル沢井の計12選手。大会実行委員長の海野ちゃんは「みんな二つ返事で今日の会見に出てくれて、感激ですよ」と喜びを隠せない。

 面白かったのは、全員がWAR時代に戻っていたこと。現在は、それぞれが違った団体でそれなりの活躍をしているのに、天龍の前だと昔のまんま。今やドラゴンゲートを仕切る“ミスター・エゴイスト”マグナムTOKYOが「いやあ、皆さん、ボクがレスラーになる前にお世話になった人たちばかりだから緊張しちゃって…」 と小さくなっているのが可笑しかった。

 最後は騎馬を作って天龍を乗せて記念撮影。みんなニコニコとしていて、まるで同窓会のようだった。やっぱりみんな天龍さんを慕っているんだなあ。そして私も、東京スポーツの平塚記者もWAR担当記者だった時代に戻ってしまった。これからの東スポと週刊ゴングのWAR関連の記事に注目してほしい。

 今週号のゴングで私は海野ちゃんについて『今、青春の忘れ物を取り戻している』と書いたが、本人は「今が青春、真っ只中ですよ!」。

 さあ、いよいよ青春のWAR総仕上げだ!これは私も燃えるぞ!!

投稿者 maikai : 20:00 | コメント (0)

2006年05月17日

馳センセイに脱帽!

 今週号の週刊ゴングで記事になっている通り、5月10日に文部科学副大臣室へ馳浩を訪ねた。馳センセイと私は同い年。ジャパン・プロレス入団からの付き合いで、プエルトリコ遠征前には浅草まで日本的なギミックを一緒に買いに行ったり、遠征後はプエルトリコやカルガリーからよく手紙をくれた。筆まめな人で、現地の情報も盛り込んでくれるから、記事を書くのに助かったものだ。

 さて、馳センセイは文部科学副大臣として超多忙。朝8時から文部科学部会、9時から来客、さらに中野厚生労働副大臣が訪ねてくるという過密スケジュールの中で、午前10時からの1時間、どうにか取材時間を取ってもらった。朝は4時ぐらいに起きるというのだから、我々プロレス・マスコミの生活とは大違い。下手すりゃあ、こっちは朝4時に寝る生活だからね。

 久々の馳センセイにはプロレスラーの匂いはなかった。でも、プロレスの話になると俄然、表情が違ってくる。きっと7月23日の金沢における引退式、8月27日の両国における引退試合では、完全にプロレスラーに戻っているのだろう。

「3~4時間は睡眠時間が取れているから、死ぬことはないよ(苦笑)。政務、そして引退試合に向けての練習…1日24時間しかないから、これくらいのスケジュールじゃないと、やりたいことがやれないんだよね」
 と馳センセイ。ウーン、凄いバイタリティだ。私も1日24時間では足りないと思っているが、どうにも体が追いついていかず、今週なんかは特に疲れが取れずに仕事もペースダウン中。馳センセイには勝てないね!

 

投稿者 maikai : 12:41 | コメント (0)

2006年05月16日

12年ぶりの山崎五紀

 昨日の『NEWS侍!』のゲストは、かつての立野記代とのJBエンジェルスで一世を風靡した山崎五紀。もう現役を退いて15年だから…五紀じゃなくて五紀さんか。

 私は女子プロレスを担当したことがないからナマのJBエンジェルスを知らない。その後、LLPWの選手たちと飲み仲間になってから、記代にWWF遠征時代の話を聞いて、山崎五紀は私の中で女子プロレスラーのレジェンドになった。とにかくJBエンジェルスの人気、待遇は凄かったらしい。最初は“日本から来た女のコ”程度の扱いだったようだが、人気が出るにつれてギャラがガンガン上がって、ホーガンなどのスーパースターたちが「キミたちのお陰で、今日もハウスは好調だよ」などと、リスペクトを持って接するようになったという。最初はブーイングだったのが、いつしかベビーフェースとして支持され、88年の1月には女子世界タッグ王者にもなっている。87年の暮れには2週間のオフがあって「日本に一度帰りたい」と言ったら、WWFサイドは、そのまま日本に戻られては困るとばかりに「日本に戻るのは駄目だが、アメリカ国内だったら、どこにバケーションに行ってもいい。交通費、ホテル代はすべて会社が持つから」と言ってくれたという。JBエンジェルスは、WWFのいい時代をダイレクトに体験している数少ない日本人レスラー(男女含めて)なのだ。

 私が憧れの五紀さんと初めて会ったのは94年3月のニューヨーク。MSGにおける『レッスルマニアX』の取材に行った時だ。夜、五紀さんのご主人・永井さんが経営するレストラン『GO』に週刊ゴングのシュン山口通信員とお伺いした。以後は、LLPWの記念大会などに帰国するたびに会場ではちょこちょこっと話をしていたが、ちゃんと話をするのは今回の『NEWS侍!』が12年ぶり。

 久しぶりの五紀さんは凛々しい女性になっていた。体ひとつで結婚するためにニューヨークに渡って15年…両親、親戚、友達と離れた異国でご主人をサポートし、3人のお子さんを育ててきた五紀さんは、本当にカッコよく見えた。そして引退して15年経つのにオーラがある。“日々を生きている”という輝きがあるのだ。

 五紀さん、エネルギーを貰いました。ありがとう!

投稿者 maikai : 17:03 | コメント (2)

2006年05月15日

電話でのセールス

 フリーになってからは自宅で仕事をすることが多いが、そうすると結構、かかってくるのが電話でのセールス。興味ある話なら聞きたいが、どうにも言葉のキャッチボールにならないのだ。そういうマニュアルがあるのかもしれないが、とにかく矢継ぎ早にいろいろなことを、しかも回りくどく話してくるから、その意図がなかなか読めないし、口を挟む間がない。これって、聞き手側の頭を混乱させて、考えさせないようにする作戦なのだろうか…と勘繰りたくなってしまう。 そして、こっちは要点だけ聞こうと思って質問しても、またまた話が長い。

 ウーン、これではプロレスにならない。職業としてやっているのだったら、こっちの要求を察知して、ポンと言葉を返してもらいたいなあ。それに売りたいあまりに必死になられると、かえってこっちは引いてしまう。何か、一方的にあれやこれやと脈絡のない技を仕掛けるしょっぱいレスラーみたいだ。やっぱり相手の様子を見て、ちゃんと攻防しないと。電話でセールスする皆さん、人との駆け引きを勉強する意味でプロレスを見ましょう。

 ああ、念のため私はセールスする人すべてにイチャモンをつけているわけではないので、誤解のないように。私も高校時代はダスキンの訪問販売のアルバイトをやったことがあって、ちゃんと話を聞いてくれる人もいれば、はじめっから嫌な顔をする人もいて、辛い思いをしたので。だって黄色い夢を見るぐらいだったもんね。皆さん、電話をかけられた側が気持ちよく聞けるようなセールストークをお願いします。

投稿者 maikai : 18:42 | コメント (0)

2006年05月12日

22年!

 気付いたら週刊ゴングが創刊されてから22年が経った。84年5月10日に第1号が出たのだ。それにしても22年て結構長い。だって上戸彩も山田優も生まれていないのだ。蛯原友里は…4歳か。

 当時、私は22歳(この年の9月に23歳)。生きてきた人生の半分近くの時間を週刊ゴングで費やしてきたことになる。もっとも99年1月~04年9月までの4年8ヵ月は助っ人として手伝った程度だが。

 90年7月=副編集長→94年8月=編集長→99年1月=編集企画室長→02年11月=編集担当執行役員兼総合編集企画室長→04年9月~=フリー。ウーン、3~5年ぐらいの周期で何かあるわけか。まあ、22年も時間あれば、いろんなことがあって当然だ。今から22年経ったら、普通の会社員だったら定年を過ぎている。でも、勝手気ままな私には定年はない。というよりも、ずっと仕事を続けざるを得ない立場ってわけだ。この道を行けばどうなるものか…行けば、わかるさ!

投稿者 maikai : 10:43 | コメント (0)

2006年05月11日

午前様

 昨日のドラゴンゲート後楽園大会に新日本の海野レフェリーが訪れてWAR興行への協力を要請。岡村社長、マグナムTOKYOが全面協力を約束した。ドラゲーの関連会社ドラゴン・ファクトリーが会場の手内などを仕切るのだ。

「それってWARじゃなくて、ドラゲーの興行じゃん」という声も出そうだが心配は無用。リング上のことに関しては天龍さんと海野ちゃんがすべてを仕切る。マグナムも「あくまでも裏方ですから。僕は昔、WARで練習させていただいて、その時の空気も知っているし、昔のWARの色が出るようにお手伝いしたいですね」と言っていた。
 
 試合後は海野ちゃんと久々に飲みに行くことに。レフェリーとして新日本と契約していながらも、やっぱり海野ちゃんは天龍信者で、かつての天龍さんの試合後の飲み方を未だに踏襲している。新日本では“ひとり天龍同盟”と呼ばれているが、まさにその通り。WARの思い出話、来たるWAR興行などについて語らっていたら…いつの間にか朝5時じゃないか!

投稿者 maikai : 13:56 | コメント (0)

2006年05月10日

これにてオシマイ!

 昨日、ジミー鈴木氏のことを書いたら、2ちゃんねるで広がりを見せてしまい…まあ、想像していなかったわけではないが、予想以上だったので正直なところ「参ったなあ」という感じ。本当は私と鈴木は個人的な付き合いをしているわけだから書くこともないなと思っていたが、私のダイアリーにジミー鈴木氏についてのコメントが寄せられていたので、スルーするのも失礼だと思って敢えて書いただけのこと。個人的な話は電話をもらった時点で完結している。したがって、言うべきことがあったら、お互いに直接言えばいいのだから、もう今回の件については公に書くことはない。連続ドラマのようになっちゃっても困るので。ということで、これにてオシマイです。

 とりあえず、フリーというのは大変な立場だということ。会社員だったら有給や夏休みなどがあるし、毎月決まった給料がもらえる。だがフリーだと、1日休んだら、その分、稼ぎが減る。毎月決まった額が入るわけではないし、その社によってギャラの振込み日はバラバラ。今、私が抱えている仕事の中にも支払われるのは9月というものもある。だから月によって収入に20~30万円ぐらいの増減があるのは当たり前。普通の会社勤めで、もし給料が月に3万円も違ったら一大事でしょう。仮にレギュラーの仕事を持っていたとしても、打ち切りになれば、それまで。ジミーさんも週刊ゴングの仕事はある程度の額を計算できるものだっただろうから、それを打ち切ったのは大きなダメージだと思う。とにかくフリーには安定というものがないから、精神的にもハードなのだ。昔からの仲間として頑張ってほしいと思う。会う時は、いつもお互い笑顔でいたいものだ。そのためには私も頑張らなければいけない。

 ただ、フリーの場合「これで食っている!」という意識が強くなるから、ひとつひとつの仕事にやり甲斐とプライド、責任感が出来るのは確か。常に全力でいい仕事をしようとする。いい仕事が自分への評価につながり、そして次の仕事につながる。そして会社員ではないから仕事を選択できる。少々、ギャラが安くても、したい仕事ならするだろし、意に反するものだったら、どんなにギャラが高くてもやらない。下請けではなく、個人事業主として名前で食っているのだから当然である。それがプライドである。フリーは金である、けれども金だけじゃない。かつて会社人間だった私は、常に不安と緊張を抱えながらも、自分の責任で思い通りの行動ができる今の立場が好きだ。

投稿者 maikai : 07:55 | コメント (1)

2006年05月09日

様々な風説について

 ここ最近、週刊ゴング及び日本スポーツ出版社についての様々な噂が飛び交っているようだ。ジミー鈴木氏が週刊ゴングとの取引をやめたことについてや、心配だか皮肉だかわからない書き込みがBBSにあったりする。

 鈴木氏からは日本スポーツ出版社と決裂した翌日に電話があった。もちろんそこには様々な要素があるとは思うが、一言で言ってしまえばビジネス上の折り合いがつかなかったということだと思う。

 仕事を発注する側は1円でも安くしたい、仕事を受ける側は1円でも多く欲しい。これは当たり前のこと。私は1年半前までは日本スポーツ出版社の執行役員としてコストカッターの立場にいたこともあって、双方の気持ちがわかる。当時、私が心を砕いたのはフリーの人たちに、いかに決められたギャラで気持ちよく仕事をしてもらうかだった。よく「フリーの人間を使う」という言い方をするが、その意識でいたら、必ずトラブルに発展する。「仕事をお願いする」なのだ。そして受ける側も「仕事をやってやる」という気持ちでいたら、これまたトラブルの素。「ありがとうございます」の気持ちでいなければいけない。

 フリーの人間の立場からしたら、自分の価値は自分で守らなければいけないから、どうしても譲れない部分がある。仕事を発注する立場からしたら予算というものがある。そこで、どうお互いに折り合いをつけるかなのだ。今現在、私の場合は日本スポーツ出版社との間に折り合いがついているということ。これが崩れたら、仕事を受けない。それだけのことだ。
 
 鈴木氏に関して言えば、客観的に見れば週刊ゴングに必要な人材だと私は思うのだが。でもジミーさん、週刊ゴングの悪口は公言しちゃいけない。日本スポーツ出版社という会社に対してはいろいろあるだろうが、あなたの言葉が、別に喧嘩しているわけでもなく、人間的な付き合いも長い週刊ゴング編集部の人間にとってマイナスになっているのですよ。

 あと休刊云々という書き込みがBBSにあったが、これは「?」という感じ。一体、どこからそんな話が出てきているのか。今現在、私は会社を離れた人間として、経営面や週刊ゴングの編集方針について、求められる以外は口出ししないことにしており、会社の内情はまったく知らないというのが正直なところだが、休刊などという話はない。日本スポーツ出版社の基本は今も昔も週刊ゴングであり、あり得ない話である。

 それにしても、雑誌の内容だけでなく、その出版元の動向まで話題になるのがプロレス界。それだけファンの思い入れが強い世界だとつくづく思う。そこがまた面白いと、私も思ってはいるが。

投稿者 maikai : 12:34 | コメント (2)

2006年05月08日

19年ぶりの鬼怒川温泉

 今日は我が夫婦の9回目の結婚記念日。ところが夜は『NEWS!侍』の収録があって、帰宅したら日付が変わってしまうので、昨日から1泊で鬼怒川温泉へ。GW最終日、あいにくの天気とあって観光客も少なく、かえってノンビリできた。

 考えてみたら鬼怒川温泉に行ったのは19年ぶり。87年9月に天龍同盟の合宿で行って以来だ。あの時は天龍がジャンボとの一騎打ちに初勝利、天龍&阿修羅の龍原砲がPWF世界タッグ奪取、川田と冬木が天龍同盟入り…とイケイケの時期だっただけに凄かった。

 取材が終われば夕方からは大宴会。天龍同盟のメンバー&取材陣よりも芸者さん、コンパニオンの数の方が多いのだから、さすが天龍! 全員で食事して、カラオケ・スナックに行って、またまた部屋に戻って酒盛りして…。酒が弱い週刊プロレスのA君はこっそり自室に戻って寝ようとするのだが、そのたびに川田に連れ戻されて「イッキ!」。遂には行方不明になり、みんなで探していたら大浴場の更衣室で大の字になっていた。

 アッという間に夜が明けて、さすがに全員グッタリ。川田などは「練習に来たのに、逆に体を壊した」とブツブツ。そして天龍が支払ったのは総額68万円!「財布を見たら、3万7千円しか残っていなかったから焦ったよ…」とは、あとから天龍に聞いた話だ。

 というようなことを思い出しながらの鬼怒川温泉旅行。ホント、奥さんには感謝してます。

投稿者 maikai : 18:16 | コメント (0)

2006年05月06日

若い刺激

 昨日は午後6時から同じマンションに住むユースケ君と馴染みの焼き鳥屋に行ってサシでお酒タイム。ユースケ君は4月下旬から札幌に転勤になったのだが、GWは東京に戻ってきていたので誘った次第。会社勤めの何が凄いって、転勤の辞令が出たのが前日の午後だったとか。つまり「明日から札幌の支店長に…」ということだったらしい。

 これには奥さんのユキちゃん、息子のサイゾウ君&ホマル君も驚いたことだろうが、会社員の宿命…出世コースに乗っているのだから「おめでとう!」だ。すでに家族で住む新居も決まったそうだが、子供の幼稚園のこともあるし、これからが大変そう。でもユースケ君は前向きで明るい男。私より15歳も下だが、しっかりした将来のビジョンも持っているし、家族のことも考えている。エライ!

 焼き鳥屋の後は、ウチで延長戦。気付いたら朝6時になっていた。さすがに30歳はスタミナがあるなあ。まったく職種が違って、年齢も違う人との会話には、普段は気付かないヒントが結構ある。気分転換にもなる。いい刺激を貰ったお酒タイム12時間(!)だった。

投稿者 maikai : 18:26 | コメント (0)

2006年05月05日

今日は子供の日!

 今日は子供の日。といっても、私は大人だから休みではない。午前中に2本、午後に5本の計7本の原稿を書き、さらに校正も…。80%完成した仕事部屋に缶詰状態なのだ。

 大した分量ではないけれど、7つも頭を切り替えて違うものを書くというのは結構、大変。でも、終わった!校正も終わった。よし、子供ではなく大人なので、これから飲みに行こう!

投稿者 maikai : 17:46 | コメント (0)

2006年05月04日

久々のモツ鍋!

 最近は地方に取材に行っても、パソコンで入稿というパターンだから、全然、その土地を楽しめない。仕事が終わって食事をしようとすると早くても午前2時過ぎ。こうなるとコンビニか、全国チェーンの居酒屋しかないから、何とも味気ないのだ。

 だが、昨日の福岡は曜日的に余裕があるので、仕事といっても下準備をするだけでOK。10時前には週刊ゴングの佐々木主任、柳原カメラマン、それにフリーカメラマンの大川昇氏とモツ鍋屋にGO!振り返れば、博多でモツ鍋を食べるなんて、昨年8月4日のG1開幕戦の取材に来て以来のことだ。そこにIWGPジュニア王座から転落したタイガーマスクも合流…タイガーと食事するなんて本当に何年ぶりのことか。

 左膝の靱帯断裂、さらに踵の骨は変形して痛み止めの薬を打った状態のタイガーだが「今は薬が効いているから大丈夫ですよ!」と午前1時過ぎまで我々とくっちゃべっていた。少しでも気分転換になっていたらいいんだけどなあ。佐山、金本、三沢…タイガーを名乗った人間はいずれも足に爆弾を抱えている。4代目タイガーが、この宿命とどう向き合っていくか。これからが正念場だ。頑張れ!

投稿者 maikai : 21:34 | コメント (1)

2006年05月03日

巨獣がベビーになった日

 今日は新日本の福岡大会を取材。メインは“巨獣”ジャイアント・バーナードがブロック・レスナーに挑戦したIWGPヘビー級戦である。これはバーナードにとってジャパニーズ・ドリームと言っていい試合だった。かつてのWWE時代を振り返れば、同じスマックダウンに所属しながらも、レスナーは雲の上の存在だった。挙句にWWEを解雇され、日本で再出発してようやくこの舞台でレスナーと並び立つことができたのである。

 私はGAORAの全日本プロレス中継の解説をやっているから、バーナードは日本上陸時から見ている。やはり思い入れもあるから、こうなると気持ちはバーナードへ。それは会場のファンも同じだった。いつもタイトルマッチ前日に来日し、試合が終わると翌日にはアメリカに帰ってしまうレスナーに新日本愛はカケラも感じられない。またK-1移籍も具体化してきている。それよりもNJCに優勝して、新日本代表の自覚を持って挑むバーナードにファンが感情移入するのは当然だろう。それにしても全日本のVMで憎まれ続けたバーナードにコールが起こるなんて、何か感慨深いものがあった。

 試合はもちろん、レスナーの勝利。正直、物足りないものはあったものの、あのレスナーをラリアットで吹っ飛ばすバーナードのド迫力ファイトは今後も買いだ。もう、私がバーナードの試合をテレビで解説することはないだろうが、新日本のナンバーワン・ガイジンになってほしい。

 この日、他に印象に残ったのは、売り出し中の山本尚史を寄せつけない越中の意地と、天山に果敢に向かっていった石井。石井は徐々にだが新日本ファンにも支持されつつある。愚直なまでに頑張っている人間は、必ず認められる日が来るのだ。

投稿者 maikai : 20:19 | コメント (0)

2006年05月02日

生真面目な大森は魅力的

 昨日の『NEWS侍!』のゲストは大森隆男。紳士的なAWA世界チャンピオンとして知られるが、実際の大森クンも昔から生真面目な男だ。それだけにトークでは突っ込みどころ満載!

 キャスターの三田さんが「大森さんが王者になると、AWAは必ずヘンな注文をつけてきますが、どう思いますか?」「5月5日の後楽園ではランジェリー武藤とのシングルマッチが決まりましたけど、大森さん的にはどうなんでしょう?」などと、サディスティックな目つきで突っ込みを入れるのだが、そのたびに実直に、真面目に答える大森クンが可愛い。

 3日の足立大会では試合前に『大森焼きそば』を作らなければいけないことでレシピに悩み、6日の八街大会の試合前には野球をやることになっていて「試合前に野球をやっていいものか…」と悩む大森クン。こんなに生真面目な性格だから、ゼロワンMAXも、いろいろといじるんだろうなあ。でも、それによって大森隆男の意外な引き出しが次々と開いているのも事実。

 大森隆男はいつまでも生真面目な大森隆男のままで、ゼロワンMAXはいつまでもいじくりまくるゼロワンMAXのままでいてほしい。それによって、大森はますます魅力的なレスラー&人間になっていく。

投稿者 maikai : 14:59 | コメント (0)

2006年05月01日

ウェスタン・ブーツ

 今日から仕事再開!といっても夜の『NEWS侍!』だけ。午前中は整骨院に行って体のメンテナンス、午後は部屋の整理&ウェスタン・ブーツ磨き。

 この世界に入った80年頃、私にとってウェスタン・ブーツは憧れのアメリカ・マット界の象徴だった。ザ・ファンクス、スタン・ハンセン、ディック・スレーターが履いているウェスタン・ブーツは、そのままテキサス州アマリロ、そしてアメリカの匂いだった。でも当時、日本では凄く高かったんだよね。確か7~8万。当時の私にはとても手が出る金額ではなかった。

 81年8月、自費でアメプロ観戦旅行に出た私は、ノースカロライナ州ラーレイで憧れのウェスタン・ブーツを購入。でも革が硬くって、履いたはいいけど、脱ぐのに一苦労したのを憶えている。あまりにも履きづらくて、結局は飾り物のようになってしまった。

 今日、手入れしたのは、ずっと使っているお気に入りの2足。ひとつは十何年か前にワイキキのロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターの『ラク・レザー』というお店で買った茶色のオーストリッチのやつ。これは足の甲の部分が凄く柔らかくて全然、疲れない。確か8万円ぐらいだったけど、店長さんいわく「これは日本で買ったら20万ぐらいはするよ!」というシロモノだ。

 もう1足は92年の1月に、当時のWWF極東支部長だった佐藤昭雄さんがカンサスで買ってきてくれた物。前の年の暮れに天龍さんのハワイ遠征があって、同行取材したが、ウェスタン・ブーツを買う時間がなくて残念がっていたところ、佐藤さんが「ウチ(カンサス)の方だったら安いから、予算を言ってくれれば、その範囲内で買ってきてやるよ」と、1月シリーズ来日の際に持ってきてくれたのだ。一見、ヘビのようだが、実はねずみの革を使ったという逸品で、これまた柔らかくて履きやすい。私は佐藤さんに「じゃあ、300ドル以内で見繕ってください」と頼んでおいたのだが、たったの120ドルだというから驚き。もう14年以上も履いている。

 この2足のブーツ…今回の冬には履く機会はなかったが、私の大切な宝物である。

 

投稿者 maikai : 18:44 | コメント (0)

ウェスタン・ブーツ

 今日から仕事再開!といっても夜の『NEWS侍!』だけ。午前中は整骨院に行って体のメンテナンス、午後は部屋の整理&ウェスタン・ブーツ磨き。

 この世界に入った80年頃、私にとってウェスタン・ブーツは憧れのアメリカ・マット界の象徴だった。ザ・ファンクス、スタン・ハンセン、ディック・スレーターが履いているウェスタン・ブーツは、そのままテキサス州アマリロ、そしてアメリカの匂いだった。でも当時、日本では凄く高かったんだよね。確か7~8万。当時の私にはとても手が出る金額ではなかった。

 81年8月、自費でアメプロ観戦旅行に出た私は、ノースカロライナ州ラーレイで憧れのウェスタン・ブーツを購入。でも革が硬くって、履いたはいいけど、脱ぐのに一苦労したのを憶えている。あまりにも履きづらくて、結局は飾り物のようになってしまった。

 今日、手入れしたのは、ずっと使っているお気に入りの2足。ひとつは十何年か前にワイキキのロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターの『ラク・レザー』というお店で買った茶色のオーストリッチのやつ。これは足の甲の部分が凄く柔らかくて全然、疲れない。確か8万円ぐらいだったけど、店長さんいわく「これは日本で買ったら20万ぐらいはするよ!」というシロモノだ。

 もう1足は92年の1月に、当時のWWF極東支部長だった佐藤昭雄さんがカンサスで買ってきてくれた物。前の年の暮れに天龍さんのハワイ遠征があって、同行取材したが、ウェスタン・ブーツを買う時間がなくて残念がっていたところ、佐藤さんが「ウチ(カンサス)の方だったら安いから、予算を言ってくれれば、その範囲内で買ってきてやるよ」と、1月シリーズ来日の際に持ってきてくれたのだ。一見、ヘビのようだが、実はねずみの革を使ったという逸品で、これまた柔らかくて履きやすい。私は佐藤さんに「じゃあ、300ドル以内で見繕ってください」と頼んでおいたのだが、たったの120ドルだというから驚き。もう14年以上も履いている。

 この2足のブーツ…今回の冬には履く機会はなかったが、私の大切な宝物である。

 

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