« 2005年05月 |メイン|2005年07月 »

2005年06月30日

バリ島のエネルギー

IMG_0035.JPG
 昨日の続きです。完璧にリゾート地化されたヌサドゥア地区だけでは満足できなくなったウチら夫婦は3日目の夕方からバリ州都のデンパサールへ。ちょうど今は年に1度(6月~7月)のアート・フェスティバルの時期。毎晩のように伝統芸能などのイベントをやっていると聞いて、いざ出陣。

 ホテルの人に聞いたところ、帰りにタクシーを拾うのは困難ということでタクシーを4時間チャーター。料金はツアー会社手配の3分1の値段だからOKだ。

 さて、ナマのバリの街のエネルギーは凄かった。車間距離もお構いなしに車とバイクがひしめいている。バイクは平気で4人乗りして、ほとんど距離を取っていない車の間をスイスイ。免許が取れるのは16歳からだというが、現地係員さんの息子は小学校5年生なのに「免許を取るための練習」と称して、今から乗り回しているという。なんでも、現地の人が最初に欲しくなるのがバイクで、次がテレビ。クーラーは、暑いのに慣れているからいらないし、洗濯機も手洗いするからいらないという。

 確かに公共交通機関が発達していない島では車、バイクは必需品。車は高いから必然的にバイク利用者が多くなる。人気は日本製で、ホンダと言えばバイクの意味になるとか…。小学校5年生から乗っているから、平気で車の間を縫って運転できるのだろう。

 ただ、彼らの運転は歩行者にも高度なテクニックを要求するから困りもの。とにかく道を渡ることができない。恐らく3日もいたら、確実に轢かれていると思う。

 ようやく辿り着いたアート・フェスティバルの会場アート・センターは、どこから集まったんだろうと思ってしまうほどの人、人、人。ちょうど土曜の夜だったこともあって、大人から子供までゴッタがえしていた。そうした人の群れをかき分けて、屋台でナシ・チャンプルを汗だくになって胃袋に詰めてイベント会場へ。正直な話、群集のエネルギーに圧倒されて、何を観たのか憶えていない。

 物の値段も言い値。行き慣れたマレーシアの物価は分かるが、バリでは基準となる値段がさっぱり分からない。とりあえず値切って、自分で納得できる値段だったら買うしかない。タクシーにしても、メーター・タクシーもあるにはあるが、ほとんどが値段交渉。値段はあってないようなものというのはアジアの鉄則だよね。

 ヌサドゥア地区の静寂とデンパサールの喧騒…このギャップは楽しめたが、アジア旅の達人になるには相当なエネルギーが必要だと、つくづく思い知らされた。次に行く機会があれば、ウブド地区に行ってみたいと思うが…ウチら夫婦には、田舎でのんびりしていて、人も少ないマレーシアのランカウイ島がお似合いかな?

 

投稿者 maikai : 16:51 | コメント (0)

2005年06月29日

バリ島のプール

IMG_0014.JPG
 左腕の自由が利かないまま過ごしたバリ島の4日間。宿泊したメリア・バリはヌサドゥア地区にある。ここは1970年代から政府主導で観光地化された旅行者のための一大リゾート・エリア。3つのゲートがあって、地元の人は許可がないと入れないという徹底ぶりで、しつこい物売りなどは皆無だ。

 まさに絵に描いたようなリゾート。メリア・バリの客室は木のぬくもりが感じられる落ち着いた雰囲気で、照明は間接照明。明るいライトは悪霊に影響を与えることからNGらしい。広大な庭には植物が咲き乱れ、あちこちにヒンドゥー教の神様(?)の置物がディスプレイされている。そして広いプール…。

 そのプールが問題だった! 何とトップレスの女性が多いことか!! 元々、メリア・バリはスペイン系のホテルということだが、トップレスの女性たちは確かにスペイン系に見える。これもラテンの血がそうさせるなのか!? 開放的といえば開放的。胸を露にデッキチェアに寝そべり、そのままプールにも入ってしまう。ここまでされるといやらしい感じはないが、やっぱり目のやり場に困ってしまう。隣のデッキチェアに寝そべっていた女性が、いきなりビキニのブラを取って日光浴を始めたのには参った!

 まあ、こうした光景もパーフェクトなリゾート・エリアならではのこと。でも、行った先の街を見ないと気が済まないのがウチら夫婦の性分。で、ヌサドゥア地区を一歩出たら…そこに待ち受けていたのはアジアならではの喧騒だった! 話の続きは明日ということで…。明日はバリ島編最終回です。 

投稿者 maikai : 17:04 | コメント (0)

2005年06月28日

三角巾で…初めてのバリ島!

IMG_0008.JPG
 22日のダイアリーで、27日まで更新できないと書いたが…それは左腕の負傷のためではなく、初めてバリ島に旅行に行ったからなのだ。つまり左腕をテーピングと三角巾で固定されたまま、旅立ったというわけ。

 えっ? こんな時期に遊ぼうとするから罰が当たったって? いやいや、これは神様がくれた休息…と勝手に解釈。フリーになってからというものどうにも休めない、というよりは休まない。オファーがあれば基本的にはすべて受けてしまうので、さすがに妻チエコも心配していた。これは日本スポーツ出版社に在籍していた当時からそうなのだが、仕事がやりたくてもやれない海外に行ってしまうことが、私の唯一の休まる時間なのだ。でも、海外に行ったら行ったで、いろいろなことがやりたくなってしまって、とても休んでいるという感じではない。今回は左腕が使えないので、プールやビーチサイドで本当にのんびり休んだという気がした。

 ただ、格安ツアーには注意しましょう。今回、ホテルはヌサドゥア地区のメリア・バリという、結構いいホテルだったが、航空会社未定というところに穴があった。JALやガルーダ・インドネシア航空直行便なら7時間ぐらいで到着する。ところが我々の便は、シンガポール航空によるシンガポール経由。シンガポールまで7時間半→シンガポールで1時間のトランジット・タイム→デンパサールまで2時間半の合計11時間かかったのである。でもコンチネンタル航空利用によるグァム経由というのもあるから、それよりはマシだったかな。

 27日にダイアリーを更新すると書いたものの、昨日午前帰国→英会話スクール→整骨院→休んでいた間の情報チェック→サムライTV出演…と、帰国した途端に普段の多忙モードに戻ってしまい、更新できませんでした。どうも、すみません。今日から再スタートするので、今後とも、よろしく!

投稿者 maikai : 14:24 | コメント (0)

2005年06月22日

初めての体験

 今週のメインの仕事は来週発売(29日)の週刊ゴングのBOOK in BOOK=技BOOK『WWEスーパースターズ編』の執筆&編集。ようやく校了できたので、行きつけの整骨院に行ったら、左腕を三角巾で吊ることになってしまった。

 これって初体験。実は昨夜、左腕を捻ってしまったのだが、その時に筋肉を伸ばしてしまったらしい。メインの仕事が終わっていてよかったが、怪我をしても何とか試合に出場するレスラーは、やっぱり凄いと思う。もっとも、それで持病になってしまうんだけどね…。

 仰々しい格好で家に帰ったら、遊びに来ていたサイゾウ君&ホマル君の兄弟が「怪我しちゃったの?」と心配してくれた。

 とりあえず、何日間かは固定して安静にしていなければいけないとか…。それが理由ではないが、次のダイアリーの更新は27日になってしまうので悪しからず。今日の深夜のプロレスコラムと、24日夜のハワイコールズは更新するので、よろしく!

投稿者 maikai : 20:27 | コメント (0)

2005年06月21日

おめでとう!タイガー

 タイガーマスクが史上初のスーパージュニアV2&婚約発表! うーん、めでたい。昔、前田日明は「常勝チャンピオンはいない!」と言ったが…今、絶対的な強さを持つレスラーがいない状況を考えれば、ジュニア活性化を掲げるタイガーが王者として史上初のスーパージュニアV2を果たしたことは高く評価されていいと思う。

 思えばタイガーとの付き合いは11年にもなる。つまりデビュー前からということ。私が素顔のタイガーに会ったのは94年だった。この年の8月に週刊ゴング編集長になった私はスーパータイガー・ジムに出向いて久々に佐山聡さんにインタビューしたが、その時に佐山さんが、
「実は今、4代目のタイガーマスクを作っているんですよー。今日はいないんだけど、元々レスリングをやっていて運動神経もいいし、ウチでシューティングをやっているんで有望な若者なんです。小佐野さん、編集長になったお祝いに書いちゃっていいですよー!」
 とスクープ・ネタをくれたのだ。当の本人(今のタイガーマスク)はコンビニでゴングを立ち読みして初めてその事実を知り、佐山さんに「どうなっているんですか?」と聞いたら、「もう見たー?記事になっちゃんたんだから頑張ってねー!」と言われたそうだ。

 あとで本人に聞いたら、私はまったく気付いていなかったのだが、SWSの新人テストも受けたことがあるのだという。成績はトップクラスだったが、体が小さいことで採用されず、それでもレスラーの夢を絶ち難く、アルバイトしてメキシコに行こうとしていた時に佐山さんと知り合ったそうだ。もし、佐山さんとの出会いがなかったら、4代目タイガーマスクは誕生していなかったのである。

 当時、私はタイガー売り出しに力を入れた。デビュー前に表紙にもしたし、スタジオ特写もやった。だが、デビューしてみちのくプロレスに所属してからは、ほとんど取材していない。私の仕事の状況からして、みちのくまで取材に行く時間はなかったのだ。だから、ほとんど知らない間に彼はレスラーとして成長した。まだ新日本に移る前、何年かぶりにみちのくに行った時のこと、私の顔を見たタイガーは、
「あけましておめでとうございます。あっ、それと、良いお年を。だって、今年はもう来ないでしょ?」
 と、一言。大笑いとなったが、デビュー後は、それほど付き合いがないのに、未だに会うと、
「おとうさん!」
 と呼んでくれるのは嬉しい限りだ。実はIWGPジュニア王者になってからライガー戦、ブラック・タイガー戦と2回の防衛戦の週刊ゴングの記事はいずれも私が書いている。タイガー、これからもよろしくね!

投稿者 maikai : 20:25 | コメント (0)

2005年06月20日

TAKAの功績

 昨日は後楽園ホールで全日本プロレスの6月シリーズ最終戦が行なわれたが、ここ1年半ぐらいの全日本を見ているとTAKAみちのくの力が大きいことを改めて感じる。

 RODなるユニットを結成して、プロレス本来の醍醐味である外国人レスラーの魅力を引き出したのもそうだし、試合前に行なわれるRODタイムは観客の心をプロレス・モードに切り替えるのにもってこい。

「俺たちの名前を知ってるかー!?」「俺たちの名前を言ってみろー!!」と、観客に声を出させることによって、いざ試合が始まったら歓声が起こりやすい状態にし、また巧みな喋りで、初めて来た観客にもシリーズの流れや、その日の見所を説明しているのだ。そこに敵対するブードゥー・マーダーズが入ってきての言葉の掛け合い…と、これから始まる試合が楽しみになってくるのである。

 何よりTAKAが凄いのは全日本=世界ジュニア、K-DOJO=STRONGEST-K、みちのく=東北ジュニアと、3団体のベルトを保持していること。さらに7月3日にはDRAGON GATEに出場して望月成晃のドリームゲート王座にも挑戦する。全日本ではDRAGON GATEを離脱したTARUたちと試合をしているのだから、これは普通では考えられないことだ。

 いくつもの団体を掛け持ちしてファイトしているということは、仕事的にも人間的にも信頼されているということ。メジャーでトップを張る一方で、選手名鑑にも載らないような地方のインディー団体にも出て行く姿勢にも好感が持てる。

「日本の全団体制覇を目指しているんですよ。結構、名もないインディーの中にも素晴らしい選手がいたりするんで楽しいんですよ」
 という言葉を以前、TAKAの口から聞いた。

「お客さんがいて、戦うリングがあれば、そこがレスラーにとっての故郷だよ」
 とは、かつての天龍さんの言葉だが、TAKAはまさにレスラーである。

投稿者 maikai : 18:35 | コメント (0)

2005年06月19日

お祝い!

 昨日はマンションの大家さん・マサヤさんの5?歳の誕生日&長男タカシ君とワカナちゃんの婚約が決まったということでダブル・パーティー。マサヤさんの奥さんシゲミさん、長女リエコちゃん、リエコちゃんの彼氏ソウ君、次男ユースケ君、ユースケ君の奥さんユキちゃん、その息子のサイゾウ君&ホマル君…そこになぜかウチの夫婦が加わっての大パーティーとなった。

 考えてみたら5月28日にランカウイ島から帰ってきて以来、1日もオフがなく、近所付き合いもしていなかったから、新鮮! みんなの幸せそうな顔を見ているだけで楽しいし、この4月に幼稚園に通い始めたサイゾウ君が凄く社交的になって大人になっていたり、ホマル君が反抗期に入っていたりと、ちょっと見ない間の子供の成長にもビックリ。

 どうしても性格的に仕事一辺倒になってしまう私だけに、こうした時間を過ごせるのは幸せだし、こうしたお付き合いをしてくれる人たちに感謝! やっぱり、この下町に住んで正解だった。

 マサヤさん、おめでとうございます。タカシ君&ワカナちゃん、おめでとう!

投稿者 maikai : 17:52 | コメント (0)

2005年06月18日

赤い疑惑!

 TBSで30年ぶりに甦った『赤い疑惑』。そう、私が中学2年生の時に放映されていた山口百恵主演のあのドラマだ。まだ17歳の大島幸子(山口百恵)が放射能事故で白血病になってしまうというやつ。相良光夫(三浦友和)と恋に落ちるが、実は2人は異母兄弟云々と、とにかく悲劇の連続。父親・大島茂役の宇津井健の熱い演技も印象に残っている。とにかく凄い人気で、このドラマを見ないとクラスの話題についていけないくらいだった。

 で、30年ぶりに見た現代版『赤い疑惑』はどうだったか? 正直なところ、全然、期待していなかったが、これが面白い! まず、大島幸子役の石原さとみがうまい。グラビアでしか見たことなかったけど、独特のオーラ、演技のうまさ、目の力…山口百恵に負けない存在感があるのだ。光夫役の藤原竜也は「ちょっと違うだろう。どうせなら坂口憲二クンあたりが…」と思っていたが、意外にハマっている。父親・茂役の陣内孝則のオーバーな演技も宇津井健の熱血演技に通じるものがある。

 リメイクとして見ても抵抗がなく、それでいて新しさがある『赤い疑惑』。これはハマってしまいそうだ。

投稿者 maikai : 12:17 | コメント (0)

2005年06月17日

昨日のサムライ

IMG_0015.JPG
 昨日はサムライTVの『NEWS侍』に大向美智子&新人の栗原あゆみと出演。久々に会う大向は果たして…「あっ、おさじい(私のこと)! 久しぶりだネー!」って、セクシーな女性に変貌したって聞いてたけど、全然変わってないじゃん! それでも、
「思ったことをそのまま言えばいいんだよ。変に考えると言葉に詰まっちゃうからね。テレビでは沈黙しちゃうのが、スタッフが一番困ることだから」
「あゆみ、何着て出る? Tシャツ、いっぱい持ってきたヨー」
 と、テレビのナマ出演初体験の栗原の面倒を見ているあたり、やっぱり大人になっていた。よかった!

 新人の栗原だが、まだ20歳。考えてみれば、初めて会った時の大向と一緒ぐらいの年齢だ。番組では、
「どのカメラを見ればいいんですか? えっ、メッセージって誰に向かってですか?」
 と、素直&天然ボケでいい味を出してくれた。

 この4月にデビューしたばかりだが、実家の焼肉レストランは女子プロレスラー御用達だから、子供の頃からプロレスに接してきて、プロレス頭を持っている。だから新人なのにアドリブが利くし、技もシャープなので、これは伸びる素材だぞ!

 そして大向は6月28日にスマックガールで総合に初挑戦する。総合用にトレーニングしてきて筋肉が増えたから、あと2キロの減量が辛いという。彼女ももうすぐ30歳…新たな何かを見つけたいのだろう。その向上心があってこそのプロレスラーだ。

 2人とも頑張れ!

投稿者 maikai : 18:32 | コメント (0)

2005年06月15日

明日はチャマと…

 明日は月曜でないにもかかわらずサムライTV『NEWS侍』にまたまた出演する。ゲストとして大向美智子が来るということでディレクター氏から出演のオファーがあったのだ。

 私と女子プロ、私と大向は何かピンとこないかもしれないが…私が94年夏に週刊ゴングの編集長になった時に、女子プロ関係者は「女子に理解のある人が編集長になった!」と喜んでくれたのだ。なぜなら仕事的には関わりはほとんどなかったものの、LLPWの選手たちとは飲み友達だったから。

 ちなみに初期のアイドル的・大向売り出しの仕掛け人は私だと勝手に自負している。当時、まだ新人扱いの大向だったが、その会場人気に目をつけて、LLPWのグァム合宿の際、取材にいくカメラマンに、
「大向本人に水着を選んでもらって写真を撮ってきて!」
と編集長権限の指令を出し、純白のビキニを着た大向をカラー・グラビア2ページで取り上げたのだ。

「あんなことをさせたら大向選手がかわいそう」だの「ゴングのカラーが変わってしまった」などの批判も受けたが、結果的に大向人気は上昇。私からしたら、プロレス界に人気者がひとり増えたのだから、それでいいのである。

 ここ何年か、ロクに喋る機会もないうちに大人のセクシーな女性へと変貌を遂げたらしいが、果たしてどうなのかな? もうチャマと呼んじゃいけないのか!? ちょっと楽しみな明日の再会だ。

投稿者 maikai : 21:15 | コメント (0)

2005年06月14日

好青年・義人

 昨日のサムライTV『NEWS侍』は週刊ゴングの金子泰之記者とダブル解説。金子記者は私が週刊ゴングの編集長をGKにバトンタッチしてから入社してきた。同時期にアルバイトを始めた人間は何人もいたが、その中で残ったのは彼だけだ。FMW担当からスタートして、今は全日本とゼロワンMAXの担当記者。この日は天下一ジュニアで優勝した佐々木義人がゲストだったから、金子記者がいてくれるのは心強い限りだった。

 というのも、義人選手を個人的に取材したことが一度もないから。彼がデビューしたのは2000年9月。すでに私は編集企画室長になっていて、週刊ゴングの仕事は助っ人程度だったので、新人の取材をするチャンスはなかったのだ。ただ、私は冬木体制のFMWを応援していたから、新人時代から骨太のファイトを見せていた義人選手には注目していた。だから喋ったことはなくても勝手に親近感を抱いていたのだが、義人選手は実に礼儀正しい青年。本番前の打ち合わせで「ゼロワンMAXの佐々木義人です。よろしくお願いします!」と改まって挨拶されたのにはビックリしてしまった。

 実際に話してみると面白い。浜口ジム時代のこと、何でFMWに入門したかなど、前々から興味を持っていた選手なのでいろいろ聞いてみたが、丁寧に答えてくれた。そのあたりのネタはいずれ週刊ゴングで書きたいと思う。

 いざ、本番。本番でも義人選手はガチガチに緊張していた。だが、さすがだなと思ったのは、小笠原和彦率いる空手軍団の話題になった時、空手軍団を表にまとめたフリップを、
「こんなもん、いらないですよ!」
と、投げ捨てたことだ。それまでの朴訥としたイメージから一変してレスラーの顔になっているのである。このスイッチの切り替わりは素晴らしい。

 素顔は礼儀正しく、いざレスラーの顔になれば大胆に。まだキャリア5年だが、FMWからスタートして、いろんな経験を積んできた義人選手だけに今後の飛躍に注目したい。

投稿者 maikai : 14:22 | コメント (0)

2005年06月13日

継続は力なり

 今日は月曜日ということで昼から英会話教室へ。このクラスは1クールが10回になっていて、今日は8回目。ただ、月曜日はプロレス週刊誌の締め切りギリギリの日だから、仕事が入ってしまうことも少なくない。

 私の今までの出席率は8回中6回。1回はGAORA全日本プロレス中継のMA(あとからの音入れ)のために行けず、もう1回は先週の月曜日。金曜の全日本・後楽園、土曜のノア札幌、日曜のノア&DRAGON GATE2大会の追い込み作業が続いたため、時間内に東京に戻るのはさすがに無理だった。4月にノア博多大会に行った時は朝早い便で帰京して、ちゃんと行ったんだけどね…。

 で、そろそろ更新の時期。キツイけど、通い続けることにしました。継続は力なり!

投稿者 maikai : 18:23 | コメント (0)

2005年06月12日

ホール・オブ・フェーム

 今日は取材がないので、遅ればせながら4月5日に行なわれた『レッスルマニア21』のDVDを観た。アメリカ国内でのビジネスが落ちていると言われているWWEだが、さすがに年間最大のビッグショーだけにパーフェクトに仕上がっている。試合的にはカート・アングルVSショーン・マイケルズが素晴らしかった。技の組み立て、切り返しの妙…キャラクターだけではない、アメリカン・プロレスの真髄が垣間見られる試合だった。

 さて、私が興味を持ったのは、実は試合ではなくDISC3に収録されていたホール・オブ・フェーム。往年のレスラーの殿堂入りのセレモニーである。

 2005年に殿堂入りしたのはカウボーイ・ボブ・オートン、ジ・アイアン・シーク、“ミスター・ワンダフル”ポール・オーンドーフ、“マウス・オブ・ザ・サウス”ジミー・ハート、“ラウディ”ロディ・パイパー、ハルク・ホーガンの6人。

 英語版のDVDなので、喋っていることは半分もわからないが、往年のレスラーに対するファンの、現役バリバリのレスラーたちのリスペクトが凄く伝わってきた。ホーガンなどは登場するなり6分近くのスタンディング・オベーションとホーガン・コール。トリプルH、ストーンコールド、カート・アングルが、まるでプロレス・ファンの少年のような目で先輩たちのスピーチを聞いているのが印象的だった。

 一番インパクトが強かったのがアイアン・シーク。杖をついていたものの、スピーチになるや元気いっぱい。訛りの強い英語で自分の人生を語り、時間が来ても「まだ、喋りたい!」と、かつての全米一の嫌われ者が、いいオヤジ丸出しだった。

 また、ホーガンが他の殿堂入りのメンバーと抱擁を交わしていたのも、オールド・ファンにとっては嬉しい光景のはず。いずれのメンバーも80年代にホーガンの敵となったレスラーなのだ。ホーガンにしても、この日の延々と続いたスタンディング・オベーションは、彼らがその時代にいてくれたからこそという想いがあったと思う。

 WWEが往年のレスラー&関係者を大切にすることには以前から好感を持っていたが、日本マット界にもホール・オブ・フェームが欲しい。若いレスラーも関係者も、先輩たちの背中を見て生きている。プロレスは伝承文化なのだ。

 

投稿者 maikai : 19:49 | コメント (0)

2005年06月10日

ノア選手会興行雑感

 今日は後楽園ホールでノアの選手会興行があった。選手会興行なので取締役のレスラーは試合なし。だが、なぜか小橋建太は練習に汗を流している。さすが練習こそ命、プロレスと結婚した男・小橋だ。その小橋、私の姿を認めると「アレッ? 今日は天龍さんは出ないですよ!」と、かましてきた。そうくるかい。フフフ…今日、キミはトークショーで秋山にいじられるのだよ。

 本当にその通りの展開。「小橋さんを突っ込めるのは、俺しかできないので」と、コメンテーターを買って出たが、まさに小橋を手玉に取る名人芸を披露。ほとんど結婚ネタとホ○疑惑ネタで小橋のキャラクターを壊しまくる。「ジュン、いい加減にしろよ」と狼狽する素顔の小橋を出せただけで見事だ。何だかんだといじられまくって爆笑を誘った小橋だが、その朴訥な素顔が垣間見れたのは、ファンにとっては嬉しかったのではないか。やっぱり小橋は純でいい男なのだ。

 そして、この日の目玉は泉田純のプロポーズ大作戦。勝って下田美馬にプロポーズするというトッピング付きの試合で、勝った泉田が「ボクと付き合ってください」。これに対して下田は「お友達からなら…」と返答。でも、結局はしつこく迫ってフラれてしまうというベタなお約束だが…これはこれで、予定調和の面白さがある。ハッピーエンドじゃつまらないし、いきなりフラれても笑えないからね。

 お笑いはお笑いで、試合内容ではちゃんと魅せる。そしてファンとの距離も縮まる選手会興行。収益はちゃんと選手会のものになるのだ。三沢社長は言った。「太っ腹でしょ!」。

投稿者 maikai : 23:11 | コメント (0)

2005年06月09日

時代の違い

 普段はなかなかテレビを見ることはできないが、昨日は出張帰りということで、久々に家でゆっくり。サッカーの日本VS北朝鮮と、フジテレビの『時代を飾った名曲たち2』を交互に見ていた。

『時代を――』は、ナツメロ番組だが、不思議なことに30年以上前の曲も歌詞&メロディーを憶えていてスラスラ歌えてしまう。詞も簡単、メロディーも単純、そして何より昔のヒット曲は、文字通りのヒット曲で、誰もが知っていた。これは昭和のプロレスにも言えると思う。技の数が少なかったし、誰もが代名詞の技を持っていて、しかも団体数が少ないから、試合のひとつひとつが印象に残っているのだ。

 だからといって「昭和は偉大なり!」とは言わない。今はファイト・スタイルが多様化し、技も多くなり、代名詞となる技を持つこと自体が大変。それに多くの団体が日本全国で試合をしているから、少し前の試合でも記憶の彼方。マスコミ関係者だって技を覚えるのは大変だし、とても全団体の状況を把握するのは不可能なのだ。

 恐らく今のレスラーは「昔の人たちよりハードで高度な試合をやっている」という自負があるはずだが、その一方で武藤敬司は「記憶には勝てねぇよ」と言っていた。これは本音だろう。本当に今のレスラーは大変だと思う。昭和に負けない新時代のスーパースターよ、出でよ!

 

投稿者 maikai : 17:50 | コメント (0)

2005年06月08日

名物会場がまたひとつ…

 ノア&DRAGON GATEの札幌取材を終えて6日に帰京。夜9時からサムライTV『NEWS侍』に安田拡了さんと出演して昨日7日はノア仙台大会へ。試合後、久々に天龍さんと食事をし、芋焼酎を飲んでバタンキュー。今、起きて…ようやくダイアリーが書ける状態になった。

 さて、仙台と言えば、宮城県スポーツセンター。1964年に出来た由緒ある会場だ。だが、来年の5月か6月には取り壊されてしまうという。試合後、会場からホテルに戻るタクシーの運転手さんが週刊ゴングの愛読者でいろいろ教えてくれたが、この宮城県スポーツセンターは宮城県が管理しているが、土地は仙台市のもので、財政難から市に返還するのだとか…。

 この会場での一番の思い出は2003年3月16日。WJプロレス旗揚げ第3戦が行なわれ、日帰り出張したのだが、帰りの新幹線で携帯電話が鳴り、WAR時代に冬木軍担当だった木幡記者から冬木(弘道)さんが危篤状態になったことを知らされたことだ。
「まだ意識はあるようですが、夜には強い薬を打ってしまうので、ちゃんと喋れるのは今晩までのようです。会うなら、今日しかありません」と連絡を受けたのである。

 同じ新幹線のグリーン車に天龍さんが乗っていたが、満席状態でとてもグリーン車まで行けない。上野駅に着いたところで天龍さんの携帯に電話して、私は駅まで迎えにきてくれた木幡記者、FMW担当だった吉川記者(現・週刊ゴング編集長)と冬木さんの病院へ。天龍さんはすでにタクシーで帰途についていたが、私の電話連絡を受けて、冬木さんの病院へ急行した…。

 取材に行った会場には、それぞれに思い出がある。そうした場所が次々になくなってしまうのは寂しい限りだ。すべてがキレイで近代的な会場になってしまったら、なんと味気ないことか…。

投稿者 maikai : 09:18 | コメント (0)

2005年06月06日

ノア札幌2日目…もうひとつのドラマ

 今日(5日だから正確には昨日になってしまうか…)は札幌テイセンのドラゴン・ゲート&札幌スピカのノアのダブル追い込み作業だったので、5日中にダイアリーを更新できなかった。残念!

 ドラゴン・ゲートについては7日更新のプロレスコラムで改めて書きたいので、ここではノア札幌2日目について書かせてもらおう。この日の大きなドラマは天龍と小川の初激突。かつて天龍の付人を務め、天龍同盟にも在籍、天龍と全日本&ノアの関係が悪い時にもプライベートではつながっていた2人が、出会ってから21年目にして初めて戦ったのだ。

 これは天龍番をやってきた私にとって、たまらないカードだが、この試合にはもうひとつのドラマがあった。それは天龍のパートナーとして川畑輝鎮が起用されたこと。川畑は1991年、SWSの第2回新人公募に合格して天龍率いる『レボリューション』に所属した。だが、92年のSWS分裂騒動の中、なぜか天龍のWARではなく、NOWの方に振り分けられてしまったのである。

 まさかノアで天龍とタッグを初めて組むことになろうとは。これまたSWS担当記者だった私にとって感慨深いものがあった。試合前に川畑と顔を合わせると、
「いや、人生って不思議で面白いものですね。もう2度と顔を合わせることもないと思っていた天龍さんとタッグが組めるなんて。緊張? いや素直に嬉しいです」
と、これ以上ない笑顔。

 人に歴史あり。こういう嬉しいことがあるから、25年やっていてもプロレス記者はやめられない。
 

投稿者 maikai : 02:47 | コメント (0)

2005年06月04日

革命記念日

 今日は19回目の革命記念日。1987年6月4日に天龍源一郎と阿修羅・原が合体して天龍革命=レボリューションがスタートしてから丸18年が経ったのだ。

 今、私はノアの札幌大会の取材を終えて、ホテルで週刊ゴング用の原稿を書いている最中。レイアウトが完成するまでの時間を使って、このダイアリーを書いているわけだが、この記念日を札幌で迎えたというのも感慨深い。

 天龍革命1周年の88年6月4日は札幌中島体育センターだった。PWF世界タッグ王者だった天龍と阿修羅の龍原砲は鶴田&谷津の五輪コンビに王座を明け渡してしまったが、敗れたにもかかわらず天龍同盟は「1年間、突っ走って充実した日々を送った」と皆、笑顔。試合後には天龍、阿修羅、川田、冬木、小川の5人で記念写真を撮った。その夜の1周年記念打ち上げも凄かったのを覚えている。気付いたらすでに朝。私は朝飯として阿修羅とラーメンを食べてからホテルに戻ったのだった。

 この記念すべき日に三沢が天龍のために用意したカードは天龍&秋山&森嶋のR(レボリューション)2005VS三沢、小橋、田上の6人タッグマッチ。

「俺が全日本にいなかった空白の10年間の四天王プロレスを体感したい」という天龍の希望をいっぺんに叶えるようなカードだ。

「敬意を表したというか、特別な時じゃないとね」と三沢。やっぱり三沢はいい男である。

投稿者 maikai : 23:47 | コメント (0)

2005年06月03日

熱血!松崎アナ

 今日は後楽園ホールで全日本プロレス『ライズアップ・ツアー2005』最終戦。GAORAスポーツの全日本プロレス中継の解説だ。私の相方は松崎年男アナウンサー。もう3年近くコンビを組んでいる。

 松崎アナは選手の入場曲に合わせて前口上を作り、選手のリングインと同時にピタリと終わるという職人芸の持ち主。若い頃は全日本女子プロレスのレフェリーをやり、お父さんが元力士だけに、レスラーに負けない立派な体格の持ち主だが、最近はそれによって不幸が…。

 そう、ブードゥー・マーダーズのTARUが毎回のように放送席にやってきては、頑丈な(?)松崎アナにちょっかいを出すのだ。今日もムチでメッタ打ち! 松崎アナの腕には無数のミミズ腫れができていた。

「何で毎回、来るんですかねえ。喋れなくなったら小佐野さん、お願いしますね」
 と、大きな体を丸める松崎アナだが、やられてもすぐに立ち直って大声で実況を再スタートさせる姿は、まさにプロ。松崎さん、これからも一緒に頑張りましょう。骨は拾います…。

投稿者 maikai : 22:53 | コメント (0)

2005年06月02日

6月の思い出

 6月というと、2002年に天龍さん、馬場元子さんと過ごしたハワイを思い出す。ちょうどWWEのハワイ大会があったため、私は週刊ゴングの取材でハワイに飛んだ。現地に滞在していた天龍さん夫妻、元子さん&和田京平さんと合流、天龍さんと元子さんをニール・ブレイズデル・センターに連れて行き、ザ・ロックと会わせたのだ。

 諸々の取材を終えた父の日の16日、私は14年ぶりに、天龍さんは25年ぶりに馬場さんのコンドミニアムにお邪魔した。馬場さんのイスには元子さんが父の日用に買ってきたミッキー・マウス柄のレインズのアロハシャツが…。

 しばらく馬場さんの思い出話をして過ごした後、夜には馬場さんお薦めだったステーキハウス『チャックス・セラー』へ。あのSWS騒動当時のことを考えたら元子さんと天龍さん、私がニコニコと一緒に食事をすることなど考えられなかった。本当に心地好く、嬉しい夜だった。そして去年、私が日本スポーツを退社した時には鮨處『しま田』で元子さんと天龍さん夫妻が、私の“ご苦労さん会”を開いてくれた。本当に人と人の縁はわからないものだ。こうした縁を一生、大切にしていきたい。

 今、天龍さんはノアを主戦場にしているが、元子さんと天龍さんの絆は変わらない。

 

投稿者 maikai : 20:00 | コメント (0)

2005年06月01日

マレーシアン・ドリーム

 今朝(1日)マレーシアで買ってきたマンゴーを食べたら、凄く濃厚な味。心はまたまたランカウイ島に飛んでしまった。

 5月28日のダイアリーで、ランカウイ島はハワイに次ぐお気に入りの場所と書いたが、思い出に残っている人が何人かいる。ひとりは2000年4月にクアの町で出会ったシャークフィン・レストランを経営する中国系マレーシア人のポールさん。フラリと店に入ったら、
「日本の人? 実は千葉で店を出そうと思っているんだ」
 と、話しかけてきたポールさんは、そのうちに仕事を放棄して私と妻のテーブルに落ち着いて、
「まあ、いいから、いいから。これはおごりね」
 と、ビールを何本も振舞ってくれるサービスぶり。最後には、
「どこのホテル? ああ、近いから送っていくよ!」
 と、飲酒運転でホテルまで送ってくれる親切で陽気な人だった。

 ポールさんの奥さんは土産物屋を経営していたが、その店にも連れて行ってくれた。

 それから4年後の昨年1月、ペナン島に行った時のこと。奥さんが経営していた土産物屋と同じ名前の店を発見。早速、中に入って店の人に、
「ひょっとしたら、ここはランカウイでレストランをしていたポールさんの店ですか?」
 と聞いてみたら、ズバリその通り。店舗を増やしてペナンまで進出し、高級コンドミニアムに住んでいるとのこと。ランカウイのレストランは親戚に権利を売ってしまったそうだ。

 そして先週、5年ぶりのランカウイで現地係員のダニエルさん(この人も中国系マレーシア人)にポールさんのことを聞いてみると、
「ポールさん? 知ってますよ。友達です。今は中国、タイと貿易の仕事もしているんですよ」
 
 5年前はランニング姿で汗をかきながら鍋を振るっていたのが、今や土産物屋を何店舗も持つ一方で貿易も手掛ける実業家。

 マレーシアにはマレーシアン・ドリーム…サクセス・ストーリーを生むエネルギーがあるのだ。

投稿者 maikai : 21:13 | コメント (0)