2010年02月08日

ブードゥー・マーダーズの真価

 昨日の後楽園ホールにおける全日本プロレス開幕のメインはF4とブードゥー・マーダーズ(以下、VM)の解散をかけた4vs4キャプテンフォールマッチ。そして勝ったのはVM。しかも最後はセコンドの介入なしでTARUが小島を押さえるという文句のない勝利だった。

 試合後、発生したTARUコールに「やかましいわい!」とやり返したTARUだが、大勝負を制した感激が自然と伝わってきた。F4に対しては酷な書き方になってしまうが、TARUの「プロレスを考える」「ユニットとしての役割は何かを考える」という姿勢が上回っていた結果だと私は思っている。実際にこの5年間、TARUはプロレスそのものを考え、どうしたらお客さんが喜ぶかを考え、そしてどうやったら全日本マットで生き抜いて行けるかを危機感を持って考えてきた。だからこそ、メンバーが変わろうが埋没せずにここまでやってこられたのだと思う。

 以前、諏訪魔にインタビューした時にVM時代についてこう語っていた。

「VMに行ったことはよかったですよ。“伸び伸びできるんだな、プロレスって”と感じましたから。先輩後輩も関係ないし、“ああ、こうやってプロレスって考えるものなんだ”って教えていただきましたね。あの人たち、すっごい考えているよ。本隊の人たちより全然考えてたんじゃないかな。プロレスラーの視点から考えると、プロレス頭がある人の方が格上というかね。そういう意識がVMに入って芽生えた。『頭』がないと、この業界はキツイと思いましたよ。頭があれば、会場の空気を支配できる。あれは快感ですよ。試合も引っ張っていけるし。みんな考えるんだもん。TARUのオジキにしろ、近藤にしろ、ブラザー(YASSHI)にしろ…」

 純粋な技量としては決して一流とは言えないが、ヒールに徹してお客を沸かせ、そしてちょっと笑わせて盛り上げるTARUのプロレス頭は今の全日本マットの大切な財産である。

投稿者 maikai : 15:06 | コメント (3)

2010年02月07日

井上雅央の心意気に拍手!

昨日のディファ有明におけるノアはいろいろなことがあった。

 まずはGHCジュニア・ヘビー級タッグ王者決定トーナメント。優勝大本命の丸藤&青木が金丸&平柳に敗れるというハプニングが起こった。しかも勝利をゲットしたのは平柳。スタートからずっと丸藤&青木のシビアな潰しファイトに青息吐息だったが、最後は放送席の鼓太郎にメッセージを送るようにブルーディスティニーならぬ自称オリジナル技のブラックディスティニ―からの昇龍玄藩で青木をフォール。終わってみれば平柳が主役の試合だった。

「最後は無我夢中で憶えてません」とテレビカメラに殊勝なコメントをしている平柳と目が合ってしまい、失礼ながらプッと吹き出してしまったが、当の平柳も言葉とは裏腹にちらちらとこちらを見ながらニヤニヤ。やっぱり平柳は平柳である。

 メインはGHCタッグ前哨戦。力皇&ヨネのタッグ王者に杉浦が加わり、高山&佐野の挑戦者チームには秋山が加わっての6人タッグだったが、個人的な注目は若い世代の王者トリオvs秋山だ。いきなり杉浦vs秋山でスタートして、序盤は王者トリオvs秋山という展開で、若い世代が容赦なく秋山に襲い掛かり、それを秋山が耐えしのぐ流れに。秋山にとってはハードな戦いが続くが、今こそノア黎明期を支えてきた男の意地と底力の見せどころ。それを若い世代に叩き込むのが役目である。2・28日本武道館では秋山&健介vs丸藤&谷口が実現する。これまた注目だ。

 さて、昨日の一番の注目ポイントは井上雅央の復帰。雅央は昨年7・20秋田における小橋との白GHC戦で左股関節後方脱臼という大怪我を負って半年以上欠場していた。欠場中も明るく振る舞っていたから、そんなに大きな怪我ではないと思っていたが、外れた骨が血管を引きちぎって壊死する可能性もあったという。この怪我からスポーツ選手が復帰した例は過去になく、雅央にしても今後1~2年の経過観察が必要だという。

 それでもリングに上がった雅央は、いつもの雅央だった。田上、小川の手荒い祝福を受けてのたうちまわり、お返しに細かい反則を繰り出して観客を大いに楽しませてくれた。とても半年以上の空白を感じさせない雅央ワールドを作り上げたということは、実際には凄いことだと思う。

 試合後に改めて雅央のプロレスラーとしての心意気を感じた。カムバックした心境を聞かれると、しばしの沈黙の後に「受け身を取ってレスラーなんだなって実感しました。キツイですね。でも、これでやっとレスラーに戻れた気がする痛みです」と言ったのだ。雅央は職人肌の受けのレスラー。その誇りが滲み出たコメントだった。

「自分では大丈夫だと思っているけど、怖いですね。股関節がはずれた時の感覚が頭に焼きついているから。その瞬間はグニャーみたいな何ともいえない感覚でしたね。自分ではずれたのがわかったからレフェリーに“脱臼しているからストップして”って言ったんですけど、骨折もしていて。リハビリは先生と浅子さんにメニューを作ってもらって。退院は1ヵ月ぐらいでできたんですけど、松葉杖ついている時間が長かったから。復帰のメドがついたのはここ最近ですよ。やっと走れるようになってからですね。あとは受け身取って、衝撃を受けた時にどうかなあ」と雅央。飄々としていながら、プロ根性の塊だけに、これからも雅央ワールドで観客を楽しませてくれるはず。雅央、復帰おめでとう!

投稿者 maikai : 14:15 | コメント (2)

2010年02月02日

南部の麒麟児死去

 2月1日(現地時間)早朝、元NWA世界ヘビー級チャンピオンのジャック・ブリスコが亡くなったと聞いた。数週間前に心臓のバイパス手術を行ったが、その後に合併症を引き起こしたという。まだ68歳の若さだった。

“南部の麒麟児”と呼ばれたジャック・ブリスコは私ぐらいの年代(40代中~50代)にとってはドリー・ファンク・ジュニアと並んで古き良き時代のNWAの象徴というイメージが強いはず。そんなブリスコが1979年の『第2回MSGシリーズ』に特別参加した時は、当時、新日本プロレスのファンクラブを主宰していた私としては小躍りするほど嬉しかった。

 新日本は75年にNWAに加盟したものの、反主流派に属していたから猪木のNWA世界挑戦は現実的にはあり得ないものだった。それだけに猪木と元NWA世界王者ブリスコの一騎打ちが実現というだけで新日本ファン、猪木ファンにとっては夢のカードだった。71年8月5日に愛知県体育館における猪木とブリスコのUNヘビー級選手権をテレビで観たのは小学校4年生の時。それから8年…高校3年生になった私は、79年5月19日に福岡スポーツセンターにおける猪木vsブリスコのNWFヘビー級戦を観に行った。

 思えば、飛行機に乗ったのはこの時が初めて。高校生で小遣いも大してない頃だったから、ファンクラブ仲間の小林和朋クン(のちに週刊ゴング新日本担当→副編集長→バーニングスタッフ代表)と、空席があれば運賃が半額になるスカイメイトを利用し、朝一番の飛行機に乗って初めて九州に上陸した次第だ。

 現地ではデイリースポーツの大加戸康一記者(新日本担当記者で藤波と親しかった)や新間寿さんに「ここまで来たのか!?」と驚かれ、試合後にはゴング編集長だった竹内宏介さんに夕飯を御馳走になり、ウォーリー山口さんと小林君の3人でホテルに泊まった。部屋でプロレスごっこをやっていたらフロントから電話がかかってきて怒られてしまったのも、今となってはいい思い出。

 肝心の猪木vsブリスコは、猪木が首固めで丸め込んで勝つという、当時の私としたらちょっと物足りないものだったが「東京以外の大会場で試合を観た!」という興奮が大きかったように思う。

 本題からズレてしまったが、ブリスコの悲報に接して、何だかファンクラブ時代のことをいろいろ思い出した。こうしてちょっと振り返っただけでも、プロレスを観ることに付随していろいろ面白い経験をしてきたんだなあと改めて思う。その意味ではプロレスに感謝だし、福岡まで足を運ばせてくれたブリスコにも感謝である。

 故人の冥福をお祈りいたします。

投稿者 maikai : 13:07 | コメント (4)